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億を動かす女社長 杉本恵里
またの名を えっぱんと申します°˖✧

いつもご覧頂き、誠にありがとうございます♬

突然ですが、今日は私の大きな夢を、ここで宣言させてください♡

私の大きな夢、それは…
スピリチュアルを身近に感じられるテーマパークを創設すること♡
これを今、かなり本氣で実現させようと企んでいます♬

今でこそ、こんなに大きな夢を描き、それを恥ずかしげもなく人様にシェアできるようになった私ですが、こんな風に変われたのは実はつい最近のこと。少し前の私は「 夢も希望もない ただの人 」でした。

これから書いていくのは、夢を描けずもがいていた、社会人時代の私。その中でも、今回は初々しい新入社員時代のお話です♡
それでは本日もいってみましょー!

Eppan’s history

教育業界の扉

👇前回記事

デザイン系専門学生として、グラフィックデザインのことばっかり学んできたくせに、いざ就活の時期になった途端、教育業界に興味を持ってしまった私(笑)。

当然ですが、教員免許なんて持ち合わせておりません。教育業界の代表格である《 学校教諭 》の道は、完全に閉ざされました。

…いや、勉強して大学に入り直すなど、いくらでも道はあったと思うのですが、中1で勉強に挫折した私は、もう学び直しなんてしたくないのが本音(笑)

しかも、私が教育業界に携わりたい理由は《 勉強を教えたいから 》ではなく、《 夢や希望を子供たちに届けたいから 》。勉強することなくその夢が実現できる道を、真剣に模索し始めました。笑

担任の先生にもアドバイスを頂き《 学習塾なら、教員免許がなくても採用の可能性がある 》ということを知りました。

《 学習塾 》と聞いて、まずイメージするのは「えーーー、結局勉強じゃん…⤵

渋々採用ページを覗いてみると、とある個別指導塾の教育理念が目に留まります。それは…

・やればできる
・チャレンジする喜び
・夢を持つことの大切さ

この3つの教育理念が、私の辿ってきた道のりを、見事に表現してくれたように感じたのです。

職種としても、講師ではなく《 教室長 》を募集している様子。《 教室長の仕事は、勉強を教えることではなく、子供たちをやる氣にさせること 》。

教室長って、勉強を教えなくて良いんだ!
子供たちをやる氣にさせるのが仕事なんだ!
うん、それがやりたい!!!

熱意が伝わったのか、採用試験は見事合格♡ こうして《 個別指導塾の正社員 》として、教育業界の扉が開かれたのでした♡


魔の初期研修期間…

入社してたかが数日…
まだまだ初期研修が始まったばかりだというのに、幾度も押し寄せる「もう辞めたい」の荒波。

いやね。まず研修会場が遠すぎるの。自宅の最寄り駅から、研修会場まで、片道2時間半。往復5時間。楽しい場所なら苦にならずとも、《 行きたくもない場所への 連日往復5時間 》はホントに地獄。

そもそも研修が楽しくなかったのは、研修内容のほぼ全てが、ちっとも理解できなかったから。中学時代の屈辱の再来です。「何が分からないかも分からない」ってやつ。

👇中学時代の屈辱は、こちら♡

でも、そりゃそうですよね。《 個別指導塾の教室長 》なんだから、最新の受験情報、地域の学校情報、成果につながる学習方法の提案、成果が出ない原因分析… 前提として、これらが出来ないと仕事にならないんです。生徒をやる氣にさせる以前の問題。でも残念ながら、私はこれらに一切の興味も持てませんでした。

「そっか…やる氣にさせるだけが、仕事じゃないんだ…⤵」と、ごく当たり前のことに氣付き、打ちのめされたのです。今の私なら「これはやりたいことじゃなかったから、やっぱやーめた♡」とあっさり次に行けてしまいそうなところですが、当時は「これが仕事なんだ。私も社会人なんだから、しっかり頑張らなければ…!」と精一杯頑張ることしか考えられませんでした。

いやしかし、
全っ然、頭に入らない…

全く理解できない。質問したくても、何が分からないのかが分からない。
…そりゃそうですよ。
中学受験なんて、その存在すら知らないし。高校受験なんて、担任に「ここなら余裕を持って合格できますよ」って言われたところに当日試験を受けに行っただけだし。大学受験なんて見向きもしなかったし。専門学校の受験なんて、面接という名のお喋りをしに行っただけだし。

私って《 受験で頑張った経験が皆無 》だったんです。

私は、この仕事には向いてない。全く楽しいと思えない。辞めたい。でも入社してすぐ辞めるなんてカッコ悪い。せめて3日…。せめて今週いっぱい…。せめてもう1週間…。せめて1ヶ月…。そんな風に、なんとかなんとか3ヵ月の研修期間をやり遂げたのでした。


初配属

地獄の3ヵ月の研修期間を経て、なんとか本配属。最初の勤務地は、サザンの聖地 茅ヶ崎♬ バリバリに業績を上げている若手女性室長のもとで、副室長を務めることになりました。

ドキドキの配属初日。初日から、まぁやらかしました。アポなしでいらっしゃったお客様にトンチンカンな窓口対応をしてみたり、電話を取ればお客様の名前を間違えてメモしたり。

めちゃくちゃ優しい室長さんだったので、むやみやたらに怒鳴られることは無いものの、困惑 & 哀愁が漂う表情で見つめられるのが、ただ恥ずかしくて辛かったです😂

そんなわけで、現場配属初日から本当は逃げ出したくて堪らない私。ですが、あれだけ辛かった研修期間を乗り越えたことで、よほど強い忍耐力がついたのでしょう。「3ヵ月はやってみよう」という氣持ちになれたのでした。


初めての成功体験

現場配属から3ヵ月が経とうという頃、異動が決まりました。隣駅の大規模な教室に欠員が出たため、私が異動することになったのです。この時期の私は、自分の力量不足に情けない想いでいっぱい。それでも、退職する勇氣は持てずにいたので、新天地に移れることは正直とても有難かったのです…!

新天地の大規模教室を牛耳るのは、「女王様」の異名を持ち、近隣の屈強な男性室長たちを震え上がらせる、超やり手の美人室長でした。(☚どんな塾www)

諸先輩方があまりにビビっているので、私もつられてビビっていたのですが、この女王様と私はとにかく相性が良かった。

分からないことが分からなくて、何もかも失敗続きの私に「さすがにこれはダメ」「これはあり得ない」「こういう風にやってごらん」と、女王様は冷静かつ的確にご指導くださったのです。ここでようやく、自分の何がダメだったのかを理解できるようになりました。

また、かつて現場配属初日に大失敗した《 電話対応 》を、新天地では着任するや否や大絶賛して頂けたことも、大きな成功体験となりました。何ひとつ成長を感じられなかった茅ヶ崎での3ヵ月で、私もしっかり成長できていたんだ…と、涙が溢れる想いでした。

結局こちらの教室では、1年半に渡り副室長を務めることになりました。この中で、それまで抱き続けてきた「辞めたい」という想いは徐々に薄れ、「大変だし、向いてないけど、仕事なんだから頑張ろう」と思えるようになったのでした♡

書いてて氣付きましたが、中学のバスケ部での経験から、めちゃくちゃ成長してますね、私。
「ド下手糞な自分が認められない私」から「向いてない自分を受け入れる私」にちゃんと進化出来てます♡ すごいぞぉー♡♡

世界は 私の映し鏡

色々書いてしまいましたが… 実際には、魔の研修期間にも、茅ヶ崎での3ヵ月間にも、私は色々な場面で「お褒めの言葉」や「感謝の氣持ち」を頂戴していた氣がするんです。

ですが、当時の私にはその言葉が届きませんでした。耳には届いていても、身体や心がその言葉を受け取ることを拒絶するのです。

でも今ならわかる。あの頃の私は、自分自身が許せなかったんです。自分をダメなやつだと思い込んでいるから、人からの賞賛も感謝も受け取ることができなかっただけ。

ようするに、世界は私の映し鏡だということなのです♡

このあたりは、書き出すと長くなってしまうので、また次回にしようかな♡

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