見出し画像

演奏会と発表会の違いを説明できますか?

演奏会とは、お客さんに音楽を楽しんでもらうためのものである。この点はプロもアマチュアも同じである。演奏会をする以上は、アマチュアと言えども自分が楽しむだけではダメなのだ。自分が楽しければ良いアマチュアスポーツとはその点が全く違う。演奏会は、練習してきた成果を披露する「発表会」でもない。ここを勘違いしていると観客に感動を伝えられないばかりか、「時間を無駄にした」と怒りを買うことさえもある。

アマチュアの世界において、演奏会に対する意識付けは「言うは易し、行うは難し」である。事実、巷にはつまらない演奏会が氾濫している。上手か下手かの問題ではない。上手でもつまらない演奏はあるし、下手でも人に感動を与える音楽もある。何が違うのだろうか。それは演奏する側が聞く側に「音楽を届けよう。自分の感動を共有しよう。」という意識が有るか無いかの違いである。アマチュアの理想形に到達するには、以下の哲学的思考が大切になる。

演奏会と発表会、コンクール、カラオケの違いを説明できるか?

音楽には様々な使途がある。下の図を見てもらいたい。横軸に「誰のため」をとり、縦軸に「何を重視」するかをとると、4つに分類できる。これらの違いを理解することによって、演奏会に必要な心構えが見えてくるはずだ。

画像1

発表会
小学校の音楽会や音楽教室の発表会とは、演奏者がそれまで練習してきたことを「一生懸命練習して上手になったでしょ?ほら?聞いてよ」と発表する場である。上手にできるかどうかが、演奏者にも聞く側にとっても最大の関心事である。つまり「質」の世界だ。そして主役は「舞台で輝いている我が子」であって、音楽が主役ではない。ましてや観客に感動を与えたかは誰も期待していない。

大人の音楽団体にも「一所懸命に練習してきた成果を聞いてもらいたい」という意識の人がまだまだいる。残念ながら、こういう意識では演奏会にはなり得ない。

コンクール
ピアノコンクールや吹奏楽コンクール、合唱コンクールなどを想像してほしい。残念ながら日本のアマチュアが体験してきた多くのコンクールでは、音楽の質が勝負であって、音楽の最も重要な部分である「人に感動を伝えられていること」はほとんどの場合、審査の対象になっていない。音程が合っているか、良い音が出ているか、揃っているか、楽曲として組み立てられているか、などしか審査の対象になっていない。こじんまりとしていても上手に演奏するほうが、大胆でミスをするかもしれないような危険を冒しても何かを表現しようとする演奏よりは評価される世界である。音楽という観点からは本末転倒としか言いようがない。

上手に演奏することと、人に感動を与える演奏は、グラフのX軸とY軸のように全く別物である。上手に演奏することを目指すだけの演奏会からは、だんだんと観客の足は遠のくものだ。

カラオケ
カラオケは演奏者本人がその場を楽しんでいるかが最も大事で、一緒にカラオケボックスに居る仲間(つまり観客)が音楽を楽しんでいるかはどうでも良い。ましてや観客が演奏者の音楽に感動したかなどは全く誰も考えない。

オーケストラの中でも「演奏会の目的などと堅苦しいことは考えるな。自分の楽しみでやっているのだから自分が楽しめたらそれで良い」というようなことを正々堂々と発言する人に時々出くわす。私の経験では、退職してから趣味で楽器を始めた人の中に、このような考えになっている人が多い。こういう意識の人が大多数のオーケストラの演奏会には客は集まらない。こういった意識は分からないでもないが、そういう方々に私は「それなら演奏会をするのではなく、ホールと録音機材と録音スタッフにお金をかけて、録音して自分たちの記録に残せばいいのでは?あなたの楽しみだけの演奏を聴かせられる方は苦痛だ。」と言ってきた。厳しい言葉だが、このアンチテーゼによって初めて「演奏会」をすることの意味やその責任を考え始めてくれるものだ。

演奏会の主役は音楽

演奏会とは、お客様に「音楽に感動した」という体験を持って帰ってもらうための場である。あくまでもお客様の体験のためでなくてはならない。

芸術は自己表現であるから、まずは自己満足がないといけないという主張がある。しかし既に、感情は空気を介して他人に伝わることが、科学的に証明されている。自分が感動しなければ、観客に感動が伝わらないのは事実なのだ。でも、それをだけを最終目標にしていてはダメで。お客さんに伝えたいという気持ちそのものも、空気を介して伝わっていると考えた方が良い。つまり演奏者に伝えたい気持ちがあるかどうかが、結果に反映されるのだ。

さらに理想を言えば、演奏会とは「空間を音楽で満たし、奏者も観客も区別なく楽しむ場」であるべきである。奏者は技術を提供し、観客はお金を提供することによって、演奏会という場を共に作っているのだ。主役は演奏者ではなく音楽そのものだ。音楽を演奏して観客に届けるのだが、理想は「音楽に仕え、音楽の素晴らしさを観客と分かち合う」意識を持つことだ。ホール全体を音楽で満たし、音楽のシャワーを観客とともに楽しむことを想像してもらいたい。音楽をプッシュして観客に届ける意識で演奏するより、一段と大きな感動を共有できる演奏会になるはずだ。

まとめ

アマチュアオーケストラでよく問題になるのが、図の左上に相当する「自分が楽しむこと」がアマチュアの存在意義だと主張するグループと、右下の「質の良い音楽を追求する」ために活動しているのだと主張するグループの対立である。どちらも悪いとは言わないが、この一般的な対立の解決方法は、右上の「お客さんに演奏に感動してもらう体験を提供する」と言う解を提示する以外にないし、それが最高の結果をもたらすはずなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?