早川駅~小田原駅のサイクリング

輪行してウロウロするのが好きです。山形や仙台や新潟・・・以前は、ローカルto
ローカルの直行便が多く設定されていましたが、ハブ空港経由でないと不便になってしまいました。フジドリームさんへの期待は大きいです。
 2023年2月14日は、いつものように生まれ育った神奈川県。いつものようにJL640便で11時過ぎに早川駅に着いて、石垣山城~小田原古城を走らむとて、行ったのです。
 冬型気圧配置で大した雨ではないものの、視界を大きく損ねる雨、寒さ。グーたらな私はあっさり断念して、小田原城址公園と滄浪閣旧祉を経由してサイクリング終了、平塚のホテルへ逃げ込みました。
 映像への字幕書き込みのように、伊勢盛時、後北条氏、伊藤博文のファンの私は関連するスポットを停車しながらサイクリングしています。
 この定点‽サイクリング、太閤さん好きでもある私はかねてから名護屋城と陣地址を福岡からサイクリングしていたことの派生で、石垣山城から小田原城って距離としてどんなもんなんだ?って実感したいことから続いています。今回は断念しましたが、いくつかをアップロードしています。

 伊勢盛時について、静岡市育ちでもある私に身近な地点を移動しながら、韮山城を本貫とし、明応地震のおりに小田原に到達。後北条氏は卓越した行政能力で関東信越を領有していきます。にも拘わらず、素浪人だの下剋上と未だ蔑まれ、小田原評定で滅亡なんて負のイメージがまだまだ大勢。
 小田原では後北条氏への敬愛は強いけれど、大久保氏へのそれが薄い。これも不満でした。明応地震の復興や以後の魅力的な行政能力からそれは納得できるものですが、もっと幅の広い価値を、実地で実感するのは楽しいものです。

 実地で実感といえば司馬遼太郎氏の業績は大きいです。でも伊藤博文を「理解不能」と切り捨てています。他の追随が無い豊富な洋行経験から、木戸孝允/大久保利通の明治政府を引き継いだ明治の元勲は、朝鮮統監のキャリアから敗戦後、朝鮮系からのバッシングに乗じた社会党・共産党支持者からの避難と相まって、長らく正当な評価を得られなかった。90年代以後の研究からこれらは一新されています。
 なかでも私は1907年の帝室制度調査局と公式令を最大の業績と考えています。これは日清戦争から日露戦争を終え、山縣有朋/西郷従道が内閣予算を使い放題。明治憲法を作成し、英国型民主主義制度を目標にしていた伊藤博文は、議会の権限を経て執行されるべき予算を内閣へ取り戻した。この舞台が大磯の滄浪閣であり、その序章が小田原の滄浪閣。走ってみたい!と思うものなのです。

一連の映像は2023年3月14日0時以後16日4時にかけて公開します。

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