河崎城址と東芝鶴見病院跡~新整備場駅サイクリング

東芝鶴見病院で生まれた私のサイクリングルート。羽田から飛行機に乗るので、第1ターミナルまで自転車で乗り付けたいのですが、新しくできたスカイブリッジは、跡形もない旧ターミナル、羽田東急ホテル跡の真ん前渡れるのですが、箸にも棒にもかからない。。。

 その途中、川崎の第一京浜の稲毛神社の付近は、1247年綾瀬市城山公園こと早川城の周辺から薩摩川内市とさつま町へ下向してきた渋谷氏の所縁の地です。
 桓武天皇から9代目 秩父基家はこの川崎市川崎区城内町を基盤とし、河崎基家⑨となりました。河崎基家は開発領主。本牧や小机を開発。基家の父、平(秩父)武綱⑧は前九年/後三年の役(1051~87年)で得ていた武蔵国渋谷庄と相模国渋谷庄を得ていました。秩父基家は川崎から武蔵国渋谷庄へ移転。1156年頃、孫の重国が相模国渋谷庄へ移転し渋谷重国⑪となり、渋谷光重⑫の次男から六男の一族が、1247年に鹿児島県へやって来ました。

 鎌倉幕府は1185~92年の成立。この時期に渋谷氏はすでに藤沢/綾瀬/海老名/大和市の神奈川県民lolであったわけです。1247年の宝治合戦で三浦氏を滅ぼした際に、渋谷氏は御家人として最有力となりました。
 平安時代末期の平氏の時代は大庭氏が関東を取り仕切っていました。この映像の前日のサイクリングのように、鎌倉時代初期は海老名市にまたがる綾瀬市に密集するように勢力をはった渋谷氏。渋谷氏の下向は、上総介、梶原氏、畠山氏、比企氏、和田氏などの例から、次男以下を下向させたとされ、けれども領地からの収穫量を問題としていたのが自転車で分かるわけです。

 この映像と前の横浜駅~鶴見の映像から、秩父基家が開発した本牧や小机は、まだ平安時代なので、荘園となったのか?さればその荘園地頭は?と、関心が広がることになりました。

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