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変化するもの

断捨離や人生を変えたい時に、物理的に環境を変えると同時に、マインドも変化が必要になってきます。

ダイエットもそうですが、物が少なくなっても、中にはリバウンドする場合も多くあるでしょう。

外側を変えたところで、すぐに内側に変化が現れるわけではありませんし、環境を変えた途端、急に今までの経験や記憶がなかったことになるわけではありませんから、外側と内側の両方をバランスよく変化させていく必要があります。

私の場合は、環境(外側)は一気に、マインド(内側)は徐々に変化させていき、一進一退は繰り返しました。

環境を変えれば、精神面にも影響があるとは思いますが、深い部分で人間の心を変えるのはなかなか難しいと思うのです。

どれだけ周りのサポートがあったとしても、習慣、癖と思えるものは最後まで残り、いくら物や環境を変えても、それも一緒に手放すことができないものだなということもわかりました。

また、必要以上に物を抱え込んでいることに気が付かないように、そういった手放したい習慣や癖を持っていることにも、本人は全く気が付いていません。

ですから、いろんなことを少しずつ少しずつ、点検し、必要であれば残し、いらなければ手放す。

これをを繰り返すうちに、心の方も徐々に変化していったなと思います。

点検というのは、大きな意味で、
『これは私にとって本当に必要だろうか』

と、心に聞くことだと思います。

例えば、成長過程で『こうすべき』『こうあるべき』みたいに教えられたことだったり、自らが作ってしまったこだわり、どこから来たのかわからない情報を鵜吞みにしてはいないか、というのを一つ一つ検証していくということです。

それをしていくうちに、
『しなくても生活できる』
『持ってなくても支障はない』
『誰かがそういったからではなく、私が好きなものを集めよう』
という風に考え方が変わってきます。

実際そうやって、検証の度にいろんなことを手放しましたが、全く不自由していません。

そして、いろんな断捨離をしたり、どんどん環境を変えても、それをするのはあくまで私の境界線の中だけにしています。

人にはそれぞれ大切なものも違うでしょうし、傍から見た時に手放したほうがいいと思えるような習慣や癖であっても、他人がどうこう言う問題ではないからです。

そうやって手放すうちに、自分というものの実体は何もない、と思ったのです。

『これが私です』という枠組みというか、私を形作ったものの多くは、外側から与えられた影響が大きいでしょう。

そもそも、生まれた瞬間から、何の影響も受けずに生きることはできません。
それぞれの時代や、国や地域の慣習、家庭環境、学校など、私の固定概念のすべてが、外側から与えられたものも多くあるはずです。

右腕の動かし方は家族の影響かもしれませんし、歩行の仕方は学校の影響かもしれません。

食べ方は友人からかもしれないし、飲み方は職場の人の影響かもしれない。

そう考えれば、ここにいるのは私であって私ではない。
では、ここにいる私は一体何なのでしょう。

『これが私だ』

と思い込んでいるこの生き物は、私と思われるものを集め、私という人の形を作っているのかもしれないのです。

例えば、量子力学でも、人間を含めたすべての万物は素粒子の塊であると言われています。

その素粒子一つ一つを『小さな私』と思い込んでいただけで、小さなあなたや小さな別の誰かもいるかもということです。

私たちは人の形を作る『小さな誰か』や『小さな何か』を見ることはできません。
その素粒子が見えるほどの目を持っていれば、話は別ですが。

ただ、本当に見えていないのでしょうか。

実は私たちは、その素粒子を実際に見る目を持っています。
それが、見たり、感じるこの外側の世界です。

人間は心の中をすべて見ることが出来ない。
だから、それを外側の世界に投影させてみている、というのを以前みたことがあります。

私を形作るものも、心の中も、すべては外側に投影されているだけなのに、私たちがしようとするのはいつもいつも外側を変えようとすることばかりです。

ですから、外側と同時に内側も、その両方を変化させていくことで、私を形作った生命体もまた変化していくのだと思います。

もしも生命体を作る神様が目の前にいたとして、あなたはどんな生き物を作って欲しいと思いますか。

例えば、愛にあふれたもの、優しいもの、強いもの、繊細なもの、怒ると怖いもの、いろいろあると思います。

その神様になったつもりで生命を作ったら、愛があふれたものには、多くの愛を集めてからだを作り、優しい人には優しさを、強いものには強さをといった感じで、それぞれその要素を集めて人型を作るでしょう。

ですから、そうなりたいと思う姿があれば、それらのかけらを集めればいいのです。

そして、習慣や癖のうち、なりたい姿とはかけ離れたものがあれば、それから離れたり、変えていくことです。

そのためにはなりたい姿と、それを作るための要素は何なのか知る必要があるでしょう。

そして、自分が一体何者なのかも。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!






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