maria_24

フィットネスインストラクター

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最近の記事

使命

毎日が目まぐるしく展開していく中で、大きな使命感を持って仕事に励んだり、たくさんの人を導くリーダーも出てきました。 今までは、学歴や職業、生まれ持った家柄でカリスマ性を発揮していた人が多くいたと思います。 しかし、ネットの普及と共に、そんなことは関係なく、誰でも思いのままに発信出来るようになりました。 それに伴い、見ている側も自由に選択できるようになったことで、たくさんの人が使命感を持ったり、人を導いたり、注目を集めることもできるようになったと思います。 以前『ブログ

    • ゆっくりゆっくり

      前回投稿で書いた、『ながら』生活を出来るだけやめてみたところ、一つ一つの動きがとても丁寧にできるようになりました。 例えば、お皿を洗うときも、水やお皿に触れている時間を楽しんだり、動きの一つ一つをゆっくり行えるようになってきたと思います。 そして、丁寧に動けるようになってから、ふとこう思いました。 『今までなぜあんなに焦って動いていたのだろうか』と。 朝の掃除も、どこか心の中で 『さっさと終わらせて、ゆっくりお茶でもしよう』 という、なんだか嫌なことを早く先に終わらせて

      • ながらをやめてみた

        普段から、掃除をするときには音楽を流し、食べる時には動画をみて、こうしてnoteを書いている時にもお茶を飲み、なんだかんだで、 『ながら』作業が多いなと思ってました。 始めそれに気が付いたのは、いつも髪の毛を乾かす時間が退屈で、動画を見ながらしていたんです。 だけど、髪の毛を乾かす方はたいていおろそかになっていて、その時に、私はいつの間にか、髪の毛を乾かす時間すらも効率を考えるようになってしまったかと感じたんです。 お風呂に入っているときも、スマホを手放せない時もあるし

        • 不便と手間

          コストパフォーマンスが重視されて、効率の良い生活や仕事の在り方が優れていると、マルチタスクが行えるので、その分たくさん時間を使えたりするでしょう。 私も以前はそのように考えていたので、いつも効率重視、どのようにしたら少ない労力で、高い効果があげられるか、そればかりを考えていました。 頭で考えながら、別のことをメモしつつ、人と話すを同時にこなしていることも良くあります。 ただ、それって同時に行えてすごいと思いがちなんですが、実はどこにも焦点が合っていなくて、何にも集中でき

          容量

          割と何でも器用にこなせる。 そう思っていた時期もあったのですが、実はそうでもなかった、ということに最近気が付きました。 いろんなことに興味を持って、調べるのも好きだったので、広く浅くにはなりますが、器用貧乏というか、私はそういうタイプかなと思っていたんですよね。 しかし、私の容量はそんなに大きくない、そしてさほど器用でもないということがわかってきたのです。 毎日の生活の中で、いろんな機械や人の支え、どこかの誰かや何かによって、当たり前だと思っている生活は支えられている

          総じて嫌い

          最近気が付いたことは、私は実はいろんなことが大嫌いだった、ということです。 何年も休みなく働いて、忙しいことが充実していると錯覚していたけど、本当は働くことが嫌だったし、 人に関わる仕事ばかりを選んできたけど、そもそも人間が大嫌いだったということにも気が付きました(笑) お金に関しても、安定よりも、自ら仕事を増やすことで収入が増える喜びを感じていましたが、お金のことを考えるのも嫌だった。 お金なんかなくなればいいのにとか、むしろお金を憎んでさえいました。 総じて、人生

          総じて嫌い

          束縛

          皆さんは、自由をどれだけ感じていますか。 毎日、好きなことをして、自由に生きている。 そう思っても、私たちはたくさんの束縛の中で生きています。 家族や人間関係、時間、仕事、住む場所、経済…。 これは私が選んだことですからと、そうはわかっていても、逃れられないしがらみ、そこから自由になれたら私は一体どうなるのだろうか、考えたことはあるでしょうか。 今日、掃除をしながら私はふとこう思いました。 ああ、私はもう何にも縛られたくないんだな、と。 仕事は好きなことをしている

          感覚

          普段の生活の中で、心の感度を高めることがとても大切だなと思います。 行動するとき、人と会うとき、何となく気が乗らないという場合もあるでしょう。 仕事でお断りができない場合は仕方がないと思いますが、そうではなければ、心の感覚に素直に従って、その通りに行動するといいかもしれません。 以前の私はこういうことがよくありました。 例えば、お友達からの誘いがあったりしたときに、何となく気が乗らないということがあっても、断る理由もないし、ではそうしましょうとその誘いの乗ります。 た

          掃除の仕方

          義務教育の間は、掃除の時間があったので、普段から教室を掃除していましたが、学生ではなくなった今、そういえば改めて、理にかなった掃除 の仕方って一体どんなんだろうと思うことがあります。 私が子供のころは、まだ祖母が箒で畳を掃いていて、掃除機でって言うイメージはありませんでした。 しかし、今は良い掃除機もたくさんありますし、掃除機もエアコンも、もはや機械自身が勝手に動いてくれたり、掃除をしてくれるものもありますから、人が掃除をするという感じではなくなっているような気もします。

          掃除の仕方

          家を大切にする

          毎日部屋を掃除するようになって、今までなかった感情、家に対する愛着がわいてきました。 今までは、家に対してこだわりもなかったですし、正直、住めたらどこでもいい、ぐらいにしか思っていませんでした。 幼い頃は、三世代で暮らす戸建てでしたが、転居で賃貸に変わったり、徐々に住まいも変化し始めました。 ただ、家に対してあまり執着もなく、選ぶ基準も曖昧で、頭の中ではつねに『きっとここも長くは住まないだろう』と、今いる場所に重きを置いてはいませんでした。 また、家を心地よくするとい

          家を大切にする

          ふと、でそうする

          最近、ふとそう思う、ということを無視せずに、その直感に忠実に行動するようにしています。 そもそも、断捨離を始めたのも、ある早朝突然目が覚めてふとそうしようと思ったことから始まりました。 そのうち、部屋に空間が出来て、あちこちを毎日掃除しようとふと思いました。 部屋がすっきりしてきれいだと、ふとお部屋に花が飾りたくなりました。 毎朝の掃除も慣れてきて、すぐに終わるようになったので、建物の周りの落ち葉を掃こうとふと思いました。 それが出来たら、ふと部屋の外階段の手すりも

          ふと、でそうする

          人を大切に

          栄えている企業や場所、その一方で始めは良かったものの、だんだんと状況が悪化していったり、人がとにかく離れていく場所。 それらにはそれぞれ共通点があるのではないか。 最近そんなことを思うようになりました。 以前何かで、人が集まる家は栄えると聞いたことがありますが、家でも会社でもどこでも、人が集まらなくなる場所や、どんどん離れていってしまう場所は、次第にさびれていってしまいます。 ですから、どこも何とか人を集めようとしたり、イベントを考えたり、人の目が向くようにアッと驚く

          人を大切に

          衣食住

          心地の良い生活は私にしか作れない。 最近そう思うようになりました。 以前はあまり掃除が好きではなかったり、見えるところだけ申し訳程度にしていた掃除ですが、最近は隅々までピカピカにしたい気持ちが大きく、とにかく毎日きれいにしています。 今まで見逃していた汚れを見つけては、しめしめと掃除をする。 すると本当に気持ちがよくなるのです。 家は人からは見えない部分ですから、ある意味心の中と同じような感じがします。 見えないから汚くてもいいだろうと、人から見える部分だけをきれいに

          し『過ぎない』

          すべての苦しみと不幸の始まりは、この『過ぎる』ということではないかと私は思っています。 この『過ぎる』というのは、境界線を越えて、バランスを欠いた状態です。 欲は決して悪いものではありません。 しかし、この『過ぎる』を越えた瞬間、欲望を求める気持ちや、結果に対する期待感が強く出てきます。 例えば、健康に気を使い『過ぎる』人も、適度ならいいですが、度を越えると、健康に対する執着や、期待、これだけ頑張っているのだからと結果を求める気持ちが強くなるでしょう。 また、場合によ

          し『過ぎない』

          ちゃんと見る

          いろんなことを見逃さないで、小さいことや些細な変化を常に見ておくということはとても大切だなと思います。 現在の住まいに越してきて、始めは良かったものの、時折洗面台の排水口の匂いが気になるようになりました。 専用の洗剤を入れてみて、何となく匂いがなくなったような気はするけど、また時間が空けば匂いがする。 気にはなっていたけれど、大家さんに相談するまでもないのかなとか、いつか直るかも(絶対に勝手に直るはずがないのですが)、みたいな気持ちで放置してしまっていました。 ただ、

          ちゃんと見る

          あなたの心は私の心

          昨日、友人から仕事の環境のことで相談がありました。 普通に聞いたら、職場でちゃんと働いていない人への不満や怒り、職場環境が変わらないこと、それをゆるしてしまっている職場の風土の不公平さへの憤りや諦めの気持ちのようです。 しかし、私はそうは感じませんでした。 話を聞きながら、なぜかその友人がとても傷ついているように感じたのです。 もちろん私がそう感じただけですし、理由はわかりません。 友人は表面的には職場への不満を表明していますが、その奥には心が傷付いていることを強く

          あなたの心は私の心