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ながらをやめてみた

普段から、掃除をするときには音楽を流し、食べる時には動画をみて、こうしてnoteを書いている時にもお茶を飲み、なんだかんだで、
『ながら』作業が多いなと思ってました。

始めそれに気が付いたのは、いつも髪の毛を乾かす時間が退屈で、動画を見ながらしていたんです。

だけど、髪の毛を乾かす方はたいていおろそかになっていて、その時に、私はいつの間にか、髪の毛を乾かす時間すらも効率を考えるようになってしまったかと感じたんです。

お風呂に入っているときも、スマホを手放せない時もあるし、布団に入ってからもそう。

何かを同時にこなさないと、いつも手持ち無沙汰になって、一体何をしたらいいのかわからなくなったり、その時間を楽しめなくなっているのです。

以前の投稿で、私の容量は大きくないということを書きましたが、

その時に『あぁ、私って一度に一つの事しかできないんだな』って思ったんです。

ですから、今日は掃除の時間は音楽も消して、掃除する。
こうしてnoteを書いている時間は、お茶を飲まずに書くことに集中する。

そして、音楽を楽しむとき、お茶を飲むとき、ご飯を食べるとき、布団に入って寝るときといった、一つの行動をしているときに『ながら』をするのをやめてみました。

『ながら』をやめても、思考は止まりません。

目の前の作業に集中したくても、頭の中ではいろんなことをずっと考えているんですよね。
結局は、別のことを考えながら掃除をして、なかなか目の前の作業に集中させてもらえません。

掃除の間も、左脳がずっと語り掛けて『今日のnote何書く?』みたいに、のべつ幕無しにしゃべっていましたが、無理に止めようとしたりせず、『左脳の働きなんだな』と受け入れて黙って聞いていました。

なかなか『ながら』の呪縛からは離れられませんね(笑)

まぁ、これを続けていれば、いつかは静かに目の前の作業に集中できるようになるだろうと思っています。

いつの頃からでしょうか。
いろんなことが手持ち無沙汰になって、何かを同時に行わないと、落ち着かなくなっているんだなと思います。

例えば、待ち時間とか、乗り物に乗っているときも、その状況を楽しんだりできず、今この瞬間に五感で感じることを遮断して、スマホを触ったり、頭では別のことを考えていたりになりました。

パソコンに向かいながらお茶を飲むのではなくて、お茶の時間と決めたらそれを楽しんで、色を見たり、香りや味を楽しんだり、暖かさを感じる、みたいなことが出来なくなっています。
気が付いたら、すべてが無味無臭の作業になっていると思ったんです。

そして、床を水拭きしながらいつも「周利槃特(しゅりはんどく )」を思い出します。
この方は、周利槃陀伽(しゅりはんだか)とか、チューラパンタカともいわれるお釈迦様の有名な御弟子さんです。

自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされ、周利槃特はあまりの自分の愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

すると仏陀から、その大好きなそうじをしながら、このように唱えなさいと言われます。
「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)

そうして、掃除を続けて、仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達した方です。

周利槃特は掃除をすることで、心の垢や塵を除いただけではなく、掃除する今この瞬間を生きることが出来たのではないかと私は思います。

ですから、私は周利槃特に憧れていて、いつも私もそうなれたらいいなと思いながら掃除をしています。

効率の良い作業は確かに褒められることではありますが、作業になってしまって、そこに心を込めて出来てるかと言えば出来ていないと思います。

そして、何もしないことで手持ち無沙汰になってしまうのは、何かを同時に行わないといけないぐらい時間がないのではなくて、何となく心の空白時間を埋めておきたい、空白を作りたくないようになっている気もするのです。

そうやって毎日の行動は、いつの間にか作業になっていて、私たちは便利と引き換えに心をなくして、空白にしてしまったんだなと思います。

心をなくして、作業をするだけなら、機械やロボットと同じなんです。
人間ロボットになってはいけません。

一つのことだけを丁寧に行うということは、その失くした心を取り戻すことなのではないか、最近はそう思うようになりました。

床を箒で掃くときに、ほこりがたたないようにしようとすれば、本当に優しく床をなでるように箒を使わなければなりません。

雑巾で床を拭くときには、感謝の気持ちが湧いてきますし、その時間になぜか癒されます。

お金で楽しさや癒しを外に求めることもできますが、一つのことに心を込めて、作業にするのをやめれば、お金をかけなくても、外に行かなくても、いつも心が満たされているのを感じられます。

人間は一度に一つのことしかできないのではないか。
私は今そう思うようになって、一度に一つの事だけをするようにしています。

皆さんはいかがでしょうか

今日もお読みいただきありがとうございます!





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