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共存

家事をするときに、いろんな洗剤をたくさん使いますよね。

洗濯、食器洗い、各部屋の掃除洗剤、それらを見るとどれにも除菌とか抗菌と書いてあります。

いろんな菌やウイルスに対して、有効な成分であれば、身を守るのに効果的であるのはわかっていますが、洗剤を見ながら、本当にここまで除菌が必要なのかなぁと、洗剤片手に急に思い始めました。

昨晩、お風呂に小さな虫がいました。
外に出せない状況だったので、その虫にお湯がかからないようにして、そのままにして出ました。

部屋に入ってくる他の虫も、出来るだけ頑張って外に出したり、時には、もうこの部屋には入らないでねって説得したり(笑)
命をむやみに奪わないようにはしています。

ですが、洗剤の多くは、そのような小さな生き物からあっという間に命を奪う成分がたくさん入っているなと思います。

以前から、身体は固形石鹸、お風呂や洗面台を洗うときなどは粉せっけんを使っています。多少は自然に優しいかと。

洗濯やトイレなどはやはり汚れやにおいが気になるので、界面活性剤入りの洗剤を使っていたり、部屋のあちこちを拭いたりするときも除菌シートを使っています。

病院など、菌やウイルスが命取りになる場所ではないので、洗濯なども、全ての洗濯物に、除菌する洗剤ではなくても良いかもしれないなと思いはじめました。

とはいえ、石けんであれ、界面活性剤であれ、生物や自然に影響があるのは変わりはないと思いますが。

重曹水とか試してみようかなと思っています。
生き物に優しい掃除って何かなーって考えるのも楽しいです。

人間の肌にも常在菌がいますので、たくさんの菌たちが古くなった角質を食べたり、そこで糞をしたりしていると思います。

そのおかげで、肌のターンオーバーが繰り返され、新しい皮膚になっていきます。

常在菌をなくしたり、少なくすれば、その新陳代謝が正常に行われなくなり、肌の調子が悪くなるなど、肌荒れの原因となる場合もあるでしょう。

常在菌がいてくれないと困ったことになります。

特に今は、菌やウイルス=悪いもの、みたいになっていますが、すべての菌やウイルスが、いきなり牙をむくのではなく、そこには結局それぞれが生存していくために必要な進化を遂げているだけなのかもしれません。

人間は強いと思っていても、こうやって除菌したり、ウイルスから何とか身を守ろうと、守りの姿勢に入っていますから、風の谷のナウシカではないですが、すべての生命との共存ではなく、攻防になってしまっているんだなと思います。

確かに、とても一緒に生活できそうにない生き物や動物、それらとは距離を取ったり、出会ったら逃げないといけません。
命に係わるときは戦うこともあるでしょう。

しかし、存在を認めることはできます。
ですから、共存するということは、互いに距離を保ちながら、尊重するということです。

やみくもに怖がりすぎたり、相手が何もしていないのにむやみに命を奪うことは、決して良い方向には進まないような気がします。

また、今は飽食、美食に時代ですから、美味しいものを食べたくなることもあるでしょう。

ですが、栄養や生きるために命をいただくならまだしも、貪るための食事であれば、命を無駄に奪っていることになるのではないでしょうか。

人間が生きるために、周りの命を奪い過ぎているような気がするのです。

互いに共存していく中で、それが必要な場合もあるかもしれません。

動植物の食物連鎖もしかり、それが生きるということだからです。
人間以外の生命は、豊かさを得るために貯めたりしないですし、お腹がいっぱいであれば、目の前に他の動物がいても狩りはしないでしょう。

人間にはそれが出来ません。
なぜなら自我の発達によって、欲を抑えることが出来ないからです。
ですから、あればあるだけ欲しくなるし、欲求を満たそうとします。

本当は人間も必要のない命を無駄に奪うのをやめて、今日満たされるだけの命をいただいたらそれで十分だってなればいいなと思います。

だけど、それもできない時、人間に唯一出来ること、
それは『感謝』です。

今自分が生きているのは、そういうたくさんの命のおかげであるという感謝の気持ち、それこそが命に対して真っ直ぐな生き方なのではないかと思うのです。

今日、今のこの瞬間があるのは当たり前ではないということ、そして、そこには多くのいただいた命があるという感謝。

それと共に生きるということは、自分一人の命ではないということに気付かされます。

共に生きる、共存するということは、私の命は私一人のものではない、と宣言し、この命に感謝することだと思うのです。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!




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