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学校に先生がいなくなっているコト。

いま学校に先生がいないらしい。
産休や体調不良の休職で、長期間担任がいないコトが親としては不安だとか。学力が落ちるのではとか、将来のことを相談できる心の支えがおらず子供も不安だと思うとか、そんな話しをされていた。

ほんとうにそうなのかな?

不登校の増加や教職員の体調不良、もうたくさんのサインはでているので、いよいよ本質的な部分に気づくための、必然的なできごとなんだと思うんだよね🌿

時間外勤務をほぼサービスでやっている教職員のみなさんは、これまで本当に頑張ってこられたと思うし。おんなじ枠に抑え込まれてきた子供たちも、これまでよく頑張ってきたと思う。
ようやっと多くの人の意識にあがるくらい、これまでの学校制度に限界がきたのだなと思う。

みんな苦手もキャパも得意も違う人間なのに、同じ基準に統一させたり、はみ出た人を異常人とみたりするのが、わたしからすれば逆に普通じゃないだった。(この時代まで導いてくれてきたのも、その時代やそこを必死で生きぬいてきた人たちだから、そこへの敬意と感謝はもちろん忘れていない。)

2クラス合同で授業の日もあるとか、担任じゃない臨時の色んな先生が授業をするとか、わたしからみたらめちゃくちゃ楽しそう😳わくわくする!視野が一気に拡がってくよね!

子供もきっと不安だと思っているって考えは、変わるのが恐い大人の勝手な思い込みだったりすると思う。子供は大人をよくみてるから、きっと大人に合わせて答えを変える。ピュアで愛がいっぱいだから、大人を思いやる。

(でもそれが過剰になると子供自身も自分がそう思ってるって思い込んじゃう。それは出来るだけ避けさせてあげたい。固執され制限された意見や常識を、子供が自分の人生にまで反映させなくて良いんだよ、と大きな声で言いたい。良い子になんてなんなくて良いよ。自分の人生を生きたらいい。)

大人の方が、刷り込まれてきた考えを根本からアップデートしてくコトに、真剣に向き合わないといけない。子供の学力低下への不安とか、担任不在の不安とか、色んな非常勤講師では不安とか、それぜんぶ大人のあなたの不安なのではないかな?

そこを不安になって揺れている大人が、なぜ自分はその件で不安になっているのか、それをしっかり見つめて感じて考えたら、きっと自分自身の中にほったらかしたまんまの傷や刷り込みに気づけると思う。

それを真剣にやる大人たちが増えてゆけば、不登校も先生たちの体調不良休職も、もっと言えば戦争も、すべては解けてゆくと思うんだよね。

ちなみに担任不在による学力低下についてだけど、わたしの私見では心配無用だと思う。だってわたしは義務教育期間の9年間不登校だったんだから。でもわたしの中には夢があったから、自習して大学に行って看護師と保健師の免許をとった。
担任不在とか、学校行くとか行かないとか、大切なのはそんなコトじゃないんだよ。

わたしの両親は、苦しみながらもわたしと本気で向き合ってくれた。30年近く前の時代だから今とは比べられんくらい辛かったと思う。叩かれたり、泣きわめいたり、両親もおなじように苦しみもがいたり、そうきれいな話じゃないけれど、とにかくそれが向き合ってくれたということ。そのプロセスを通した関わり合いで得たものが、わたしが人生をすすむときの支えになってくれた。
子供とほんとうのとこで向き合ってゆけるのは、国でも、学校という枠でも、学校の先生でも、ないんだよ。(もちろんヘルプの手はたくさんあるし必要)

自分の人生に起こる不安も心配も、ぜんぶ自分の中でのことでしかなく、責任は外じゃなく自分にしかおけない。大切なコトを思い出すきっかけがいまたくさんたくさんきているって思うよね🥰

すべての人たちに
さちあれ!


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