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わたしの中の小さなわたしに気づいたこと。

カオスだった頭の中が、ついに先日ぱあ〜っとひらけた。人間関係に振り回されがちなのはなんでか。わたし的なその根源に行きついた気がしている。

自分のエゴが満たされる自分って何なん?ふとそこをみてったらいい、みたいなのを感じて箇条書きしていったのだけど、

みんなが集まって来てくれる空間をつくった自分
みんなが楽しんでくれている空間をつくった自分
人に必要と思われる自分
関わりたいと思ってもらえる自分

コレ冗談ではなく、その時ほんとにわーっと自然に出てきたやつなのだけど、見事に「他者」ばかりを欲していた。冷静にみたら、全部だいたいおんなじこと言ってるやん。笑

あれ、わたしって
どうやら多くの人と繋がりが欲しいと思ってるぞ。どゆこと?そんなはずはないのだけど?だって、大勢苦手やし、集団行動好きじゃないし。
なんで??

「寂しいから」

ふとおりてきた言葉は、これだった。
と同時に、不登校だった時、カーテンの隙間から家の前で遊ぶ子供達を、羨ましそうにそーっと眺める小さな自分の記憶が蘇り、電気ショックが走ったみたいにどぶわーーっと涙が溢れてきた。

うわあー、そうか〜
わたしめちゃくちゃ友達欲しかったし、友達と遊びたかったのに、叶えられなかったんやなあ。その気持ちを、誰にも言えずに自分の中にほったらかしてたんやなあ〜

今のわたしが、そん時の小さな自分をみた時、とにかくめちゃくちゃ可哀想で、よお1人で我慢して頑張ったな〜て、抱きしめてあげたくなった。
それはもう大号泣だった。

他にも、たまに登校できた時、女子の友達から無視されたり、睨まれたり、陰口言われたり、な記憶もよみがえってきたりもして。

幼少期のわたしは、なぜか(たぶん過去世のやつ)対人恐怖の感覚を持っていて、でも今世では友達いっぱい欲しくて、そんな相反する感覚と感情で、自分の中はだいぶ混乱だったのだと思う。不登校になった背景がちょっとみえた気がする。
(生まれつき持ってた、みんな分かり合えるとか、みんな一つ、みたいな感覚と現実のギャップにも混乱してたしね)

いやはや
人間関係に繰り返し振り回されがちだったのは、、ちっちゃな自分からの気付いて欲しいっていうメッセージやったんやなあ。
ほんと泣ける。めちゃくちゃわたし頑張った。えらかった。

不思議とその気づきがあってからは、他者に対する感情の揺れ動きが落ち着いていて、なんかすごくハートがあったかい感覚にある。

自分が自分であれれば良いかな。

インナーチャイルドって、ほんとうにピュアで良い悪いなく幼稚で子どものまんまで自分の中にい続けるんやと実感。気づいてくれるまで、ずっとまってるんやねえ。

世界中の人たちが
自分の中のその子に気づいてあげられたら、こりゃもうさいこうな世界がみれそうやん〜

エゴじゃなくて、誰も何も関係なく、じぶんにしか分からなくても、魂がほんとうにしあわせで満たされるよな自分を追っかけていこうと思う。

すべての人に
さちあれ!!


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