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舞の神 北田典子

「舞」「盆踊り」は、私の”いのち”の表現


はじめに

アメリカはカリフォルニア州、サンディエゴ。日本庭園を擁するバルボアパークの大きな 門。紫の浴衣姿の“のんちゃん”こと北田典子さんは、夕刻の陽のあたるその門の前に立って いた。


舞台は自身の夢をすでに叶った次元で語る“バイ柴トークス 第3弾”。 オンライン上の観覧者 300 名の眼が一気に彼女に集まった。登壇したのんちゃんの、どっ しりとして揺るぎのない声に、誰もが彼女の凄みを感じ取り、否応なく惹きつけられた。


淀みなく語られるのんちゃんの夢。その光景が、目に浮かぶ。
櫓の上ののんちゃん。それを取り囲む1万人もの群衆の八重の輪。星空の下、ぼうっと照 らす提灯の灯り。夏の日の夜、先祖を弔う舞。


スピーチの最後、彼女の好きな曲、“さくら音頭”が流れた。その艶かしいリズムに乗り柔 らかく舞うのんちゃんを、じっと見つめた。大舞台で舞う喜び。それと同時に、彼女の寂し さ、孤独も感じた。夢へまっしぐらに立ち向かう者だけが身に纏う、孤高。桜の儚さをも表 現しているようで、とても美しかった。


ふるさとの大阪、寝屋川から遠く離れたアメリカの地で、一人舞うその姿に、私は心を揺 さぶられ、涙が溢れ出そうだった。


「のんちゃんの盆踊り大会に出たい。浴衣を着て一緒に楽しみたい」


全く関心のなかった盆踊りに、一気に興味が湧いた。そもそものんちゃんはなぜ、ここま での本気を盆踊りにぶつけられるのだろう。彼女の原点からその思いまで、くまなく知りた くなった。



目次


はじめに

第一章 のんちゃんの生い立ち

生まれ故郷の大阪、寝屋川

自分を変えたくて高校卒業後アメリカへ



第二章  100 人盆踊り大会への道のり 

 第一節  始まり
 2019 年 9 月に「1万人盆踊り」の夢。まずは「100 人盆踊り」を 

 第二節  挫折


 第三節  復活 

 バイ柴トークスに登壇 きっかけは、キュン柴グルコンのワンコインチャレンジ 

 私が盆踊りを「ダサい」と思っていることに気づいた 

 1万人盆踊りを語りたくて、バイ柴トークスに申し込んだわけではなかった

  自分に本気を伝えたい


 第四節  達成


「100 人」より、「楽しくみんなと踊りたい」が一番の目標



第三章  私にとっての「盆踊り」 

 アメリカ人の楽しむ姿勢 

 アメリカと日本の架け橋

 エネルギーのボルテックスが、「輪」 

 「死」を意識しつつ「生の喜び」を表現しているのが、盆踊り 

 お兄さんの死


第四章  母の思い、母への思い





第一章 のんちゃんの生い立ち

生まれ故郷の大阪、寝屋川


---のんちゃんは、大阪弁が印象的な明るい女性で、全身から大阪愛が溢れてる。のんちゃ んの生まれ育った大阪の街って、どんな町?


寝屋川といって、京阪電車の車庫のあるところでね、車庫に電車が集まってきてて、そ の向こうに山が見える。ちょっと郊外でのどかなところ。春になるとね、桜がすごく綺麗 なんだよ。寝屋川っていう川があって、その川沿いに散歩道が次の駅まで続いていて。そ この桜並木がすごくいいの。おじいさんおばあさんが犬の散歩をさせていたり、沢山の人 が通るんだよね。あの桜はまた見たいなあって思う。私、日本離れて余計思うよ。桜は日 本の宝だって。薄いピンク色とか、2週間持たずに散ってしまう儚さとか、本当にいいよ ね。


---その大阪へは、よく里帰りしているの?


年に一度は帰ってる。だって大好きやねん。実家に帰りたいんだよね。うちは農家なん やけど、父と母がいて、父と母が作ったお米や野菜を食べられる。やっぱり安心するし、 すごい居心地がいい。それに寝屋川の町があまり変わってない。昔の道や田んぼがちゃん と残っていて、変わらない風景がある。土の匂いがするし、その匂いが好きなんだと思 う。


自分を変えたくて高校卒業後アメリカへ

---ご実家や寝屋川、桜が大好きなのに、どうして日本を出てアメリカへ?


ずっとしんどかったんよ。子供の頃とか学校嫌いだったし、家しか安住の場がなかっ た。自分の意見を言うとか、自分を表現するなんて、ありえへん。外の世界が怖くてさ、 ずっと隠れて生きてきた。それを変えたくって、アメリカへ来た気がする、高校卒業して すぐやった。


---アメリカへ行って変わったの?

自分のメンタルが変わらない限り、こっち来ても一緒やなって思ったよ。新しい土地で 一からやれば違う典子で、みんなの中に入っていける社交的な典子でいけるのかなと思た けど、全然ちゃうかった。もうこれが自分やなって諦めたよ(笑)。

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