「教育分野に携わりたい」ってなんだろう

教育分野に関わりたい、そうずっと思ってきた
根っこには、自分が高校時代までを過ごした地元と、大学で目の当たりにした東京との機会格差という衝撃がある。

地元だったら褒められていたことが、東京だったら当たり前。大学入学で満足している人なんていなくて、私がセンター街の歩き方を覚える頃には、すでにインターンを始めたり、ダブルスクールに通ったり。今に始まったことではなく、18年間の差が既についているんだと愕然とした記憶。

どこからかその時の記憶を、当時はやっていた「教育格差」「機会の格差」といった言葉に紐づけて、自分はこの分野に使命があるんだと思い始めていた。

教育学部での勉強を進めるにつれ、だんだん地元にいた同級生たちが、自らが学ぶ教材の題材となって浮かび上がってきた。授業中毎回抜け出して廊下を走り回っていたあの子、中学卒業時には子供がいた同級生もいた。

彼らのことを思い直すと、純粋な気持ちで「教育の力で困っている子を助けるんだ」とばかり思えない、正直な自分もいた。だって当時は「ああいう子」「私とは別世界」と切り離して、どこか心の中で下に見ていたから

教授と学生だけの部屋で、文献に向き合っている空間とは全く違う環境で議論していることが、怖くなった。早く抜け出したいと思った。といってもすぐに現地に行くわけではなく、ただ逃げていたのだが。

教育というものは、果てしなく大きな言葉で、実態を掴むことができない。誰もが通ってきた道だからこそ、誰もが語りたくなるし、誰もが力になりたいと(口だけでは)言う。でも実際取り組もうとすると、足がすくむ

教育分野に携わりたいって、なんだろう


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