地元に残る人たちが、幸せに見えるとき

私は高校生まで片田舎で過ごし、大学入学とともに上京した。それからはずっと東京住まい。

1年に1度帰る地元は、「ホーム」から次第に「もう1つの世界」になってきた。客観的に見つめる対象になってきた。

普段からInstagramなどで生活を覗き見はしているが、実際に話す機会はなかなかない。そんなとき、コロナの影響もあり、オンラインで再開できることになった。(StayHomeは、近くにいる人との距離は遠ざけたが、遠くにいる人との距離はむしろ近づけてくれたと思う。)

いざはじまってみれば昔話に花が咲き、本当に気兼ねなく楽しい時間を過ごした。でもやはり、もう別の世界になってしまったんだなという感覚が生じたことも否めなかった。「成長」「ビジネス」に侵食されていた頭に、「同級生の離婚話」「彼氏の浮気疑惑」の話は新しい風を吹かせてくれた。

10年後に後悔しないよう、日々わからない道を手探りで進む日々。成長が止まっている、劣っていると感じて焦る心。苦しさの代償として得たお金は、高い生活費にあてる一方、資産形成にも気を配らねばならない。日々すり減らしながら生きている私の人生。

家賃は東京の3分の1、周りに昔からの友達がたくさんいて、疲れたら駅前の居酒屋に集まって愚痴をこぼし、また翌日から頑張る。経済的ではなく、精神的なゆたかさをここに感じるのだ。

自分がいざ田舎の生活に戻ってみたら、やっぱり張り合いがないとか、成長を追い求めないと時間を持て余すとか、マイナスの感情も出てくるだろう。だから田舎に戻りたいとか、都会から脱出したいとは思わない。

だけれど、心がしんどくなったとき、いつでも思い出せるようにしようと思った。成長が当たり前じゃない、前進だけが人生じゃない、いまこの時をゆたかにすることも、立派な時間の使い方だと。



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