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出産レポ③分娩【10年ぶりの出産が何一つ思い通りになりませんでした】


妊娠出産。女性にとって住む世界を丸ごと変えてしまうほどの一大事だと、改めて思います。

恥じらいや自尊心を暴き出してしまわなくては臨めず

あらゆる煩悩を捻りつぶしていく出産。

もちろん、幸せで、神秘的で。


10年ぶりではありましたが、2回目だった事

1回目とは比べものにならないほど、あらゆるプロセスが想定外に満ちていた事もあり

良くも悪くも、妊娠出産という一連の経験を

深く、深く、味あわせて頂きました。


予定日1週間前にあっさり破水する

長引く前駆陣痛、そしてたびたび起こるおしるしに

体力も気力も限界…

想定外のフライング入院に、まさかの火傷と

トラブル続きだった年末。

ダメージの一方で、打たれ強い家族の絆を訥々と結んだ日々でもありました。

今日か、明日か、明後日か、、

そんな言葉を毎日交わしつつ

元日のお昼には母も訪ねて来てくれて、お節こそ用意できませんでしたが、お正月らしい時間を過ごせました。

買って来て並べただけですが、豪華風です。

我が家では

◉家で好きなものを食べる
◉ダラダラとベットでネットフリックスを見る
◉寝坊

これらが1番の贅沢だと、全員信仰しています。

なので、翌日も寝坊しました。

ちょうど10:00頃「なんかおかしい」

と、呟きました。

タラっと、何かが溢れる感覚。

また、おしるしなのかな…

そんな事を寝ぼけながら想い

トイレに行かなきゃな、、と考えた次の瞬間

お腹に手を当てて、胎動がしばらく感じられない事

おしるしではなく、破水だという事に、同時に気が付きました。

「なんかおかしい」「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん(産まれる前から決めていた、赤ちゃんの名前)」

私の、恐らく悲鳴にも似ていた声に

隣で寝ていた夫が文字通り飛び起きました。

「産まれる?」

お腹が大きくなってからは、どんな些細なアクションにも「産まれる?」と(本気で)聞いてくる夫に、冷静に伝えました。

「破水してる。入院バックから産褥シート持ってきて欲しい。胎動がない」


家から出産をする聖霊病院までは、普通に運転していくと40分ほどかかってしまう距離で

以前から主治医の先生に

「産気づいたら救急車を呼びなさい。迷わずに」

と繰り返し言ってもらっていたのですが、その事に本当に救われました。

出来れば救急車に乗るなんて大げさな事はせず、夫に運転してもらおう、と思っていましたが

赤ちゃんを絶対助ける、以外の事は何も考えられなくなった時

迷わず病院に「救急車で向かいます」と伝えて、119をコールしていました。

絶対に会う。絶対に守る。

全妊婦に伝えたい、救急車の素晴らしさ


夫が持ってきてくれた産褥シートを身に付けている間に到着した救急車。

お正月の静けさの中、あっという間にサイレンが近づき、うちの前で止まりました。

お餅つまらせる人がいるから、スタンバイ万全なのか?

救急隊員の人に、すみません、今産褥シートしてるんで。と部屋の扉の前で待って頂いたほど、早かったです。

救急隊の方々、妊婦に慣れていました。

「今何週ですか?」「胎動は?」「破水ですね」「いつ気が付きました?」「動かないで下さい」

声をかけてくれつつ、あっという間にタンカに乗せてくれて、15分ほどで病院へ。

湧いてくる情けなさを叩き潰したら、安心感が募りました。

主治医の先生が「迷惑でも何でもないから、救急車を呼びなさい」「行き先さえ分かっていれば、彼らは嫌がらないから」と言ってくれていたのは、こういう事だったか。


救急車に乗る直前に、コトン、と胎動がして

「胎動あった!動いてる。大丈夫」と青ざめていた夫に伝える事が出来ました。

出る前に動いてくれてよかった。夫の、安堵した表情を見れました


3階の病棟までタンカで運ばれ、そのまま分娩室に。

破水してからずっと横になっていたので、羊水がいたずらに流れ出ずにすみました。


こんな事を言うと怒られる事もあるかもしれませんが

救急車を呼ばせてもらえて、本当に良かった。本当に助かりました。

全ての妊婦さんに、赤ちゃんのために必要と感じるならば、躊躇わないで下さいと伝えたい。


昼食の時間に、分娩室からお部屋に移動しました。

偶然にも切迫早産の時と同じ、慣れた部屋。

ただいま。

破水から本陣痛が来るまで


促進剤は使わずに産みたいと予め希望していたので

しばらく本陣痛を待つ事になりました。

赤ちゃんが頭で子宮口に蓋をしていたらしく、流れ出ていた羊水も一時的に止まり

特にする事もないので、新年の挨拶などを投稿したり、返せていなかったメールに返信したりと、やたらと呑気に過ごしました

赤ちゃんが産まれたら暫く何も出来ないと思っているから、本当は焦っているのですよね…

出産直前って、案外特別なことは出来なくて、日常の続きを、呆然とこなしている。

SNSで友達のメッセージに返信しながら、今陣痛来て病院にいるよ〜と書いたら

え!ごめん!頑張って!と即返信がありました。いや、こちらこそごめん。

何だか、扱いようのない時間。本当は、出産のイメトレとか、出来れば良かったのかな。

分娩室が「何ここ楽園?」本陣痛


夕食を食べながら、次第に強く、間隔が短くなる痛みの波に乗りました。

腹が減っては戦は出来ぬと、黙々と完食してからナースコール。よし。

陣痛アプリの記録を助産師さんに見せているその時にも痛みに襲われ、思わずしゃがみ込み

いよいよ分娩室に移動する事になりました。

夫にも電話し、病院へ向かってくれる事に。よし。

ぐるぐると回る陣痛。

赤ちゃんがお腹の中で、もう旋回しているのか?と思うような

ぐるんと目が回る、痛み。

下腹部から全身に拡がる鈍痛が

次第に強くなり、逃げ場がなくなっていき

ひたすら、それを受け入れ続けます。


4秒吸って
8秒かけて、吐く。


痛みの狭間で、薄目を開けて少しずつ

ミンミのキセキを読んでいました。

※これを撮ったのは余裕あるとき


朦朧とする中

この痛みが

命がこの世にやってくるエネルギーで…

まさに今、赤ちゃんが私に会いに来るんだと

なんとも言えない多幸感に包まれました。

3〜5分ごとに、強くなったり、弱くなったり。

だんだんと強くなる時

赤ちゃんが、こんなにがんばっていると身に染みて

涙が出てきました。全身がじんわりと、温かい感動で包まれます。

ちょうど助産師さんもいなくて、分娩室に1人。

「何ここ、楽園?」と呟いたほど

最高潮に幸せで、1人の動物で。

何だか冷静に、まるで亀の産卵だな。と思いながら

泣いていました。

天国と現世の狭間って、ここじゃないのかなと。

ミンミのキセキ。分娩室に持って行って、陣痛が引いたタイミングで、少しずつ読み進めたのですが、とてもオススメです。

痛みの中で読むと、言葉と絵が実感を伴って身体に染み入りました。あまりに痛くて、ほんの少ししか、結局読めなかったのですが。


ちなみに、妊娠中に色々と調べたソフロロジー出産。

陣痛のさ中に瞑想しているような状態に入れると、痛みが「快感」に感じられる、と聞いていましたが

痛みは痛み
、でした。

私の集中とイメトレが足りなかったんだと思うのですが、普通に痛かったです。

決して快感ではなかったので、マゾヒスティックな痛みとの折り合い方だったのかもしれませんが

とはいえ、感動で涙が出た時間は

後から振り返ってみれば、出産を苦しいものではなく、幸せで心地よいものとして、振り返らせてもくれます。

出産の直後は「もう二度と妊娠しない」「もう一回産んだら死ぬ」と噛み締めたのですが、それよりも、記憶の改ざん並に幸せだった印象が強く残るとは

なんて、人間の生命力って凄まじいんだろうと思います。

ひとしきり感動?の涙を流した後

ふと冷静になり、トイレに行っておこうと思いました。

分娩台から立ち、すぐ近くにあるトイレまで進むも

ドアの前で一度、大きな痛みの波に襲われました。

痛みが去った後、トイレの中に入り、また波に襲われて静止。

なんとか便座に座り、結局、何も出ず、数回痛みに襲われ…

立ち上がろうとした時にも襲われて、静止。

かろうじて扉から出ようとした時にまた襲われて、洗面台に手をついて静止。

扉から出た後も、襲われました。動けない。

一気に陣痛の感覚が短くなっている


グルグルと痛みで目が回り、ゆっくりかがみ込みます。

全身が、竜巻にエネルギーを搾り取られたように憔悴していき

必死で分娩台に登ってナースコールをしました。

「もう産まれると思います。夫を呼ばせてください」

「確認して判断しますね」と、助産師さん。

その確認が、とてつもなく痛くて。いや、助産師さんって、凄まじい仕事です。

この「確認」をやらずにすめば、どれほど楽かとも思いながら、必要なんだと自分を鼓舞。

「子宮口、7センチくらい開いてますね。旦那さん、呼びましょう」

自分で電話をして「もうすぐ産まれる」と伝えました。

「よし!行くわ!」と、なんとも心強い。


夫が来る。ずっと車で待っていた、オットがクル。

張り詰めていた緊張が、ホッと安堵に転じた瞬間から

「絶対叫ばない」と決めていたのに

しっかり唸り、しっかり叫びはじめました。

夫よ、よく聞いておけよ!!

10年ぶりの出産が早すぎて尻込む


コロナ禍じゃなければ、ずっと近くにいてもらえたのですが

それでも、夫に立ち会ってもらえてまだ幸運でした。

(私達の1週間後から状況が悪くなり、立ち合いも面会も出来なくなってしまっていました…)

叫ばないって言ってたよね?!という夫の心のツッコミをフル無視して

全身で痛みを逃します。


長男の出産の経験から、ここからが長いと思っていたのですが

夫が到着してから30分で産まれました。本陣痛のスタートから、たったの4時間弱。

最初の出産は10年前だったので、産道も閉じてしまっているのではと怯えていたのですが

初産の時の半分以下の時間で産まれました。身体はちゃんと憶えていた!

とはいえ、あまりのスピードに、息つく暇が皆無でした。

一気に産道を押し広げて進行する分娩に、イメージも意識も、何もかもが置いていかれます。

「足をしっかり拡げてください!!」と助産師さんに言われて気がついたのですが

自分の耐性を超えた痛みに、文字通り腰がひけてしまい、腰から下が左にひねった状態で身体が固まっていました。

しっかり拡げて!と言われて、痛すぎて無理ですと首を振ったら

「赤ちゃんが苦しいから拡げてください!!」と声をかけられ

死にものぐるいで開こうとするも、完全に硬直状態。

終いには夫に膝同士を引っ剥がしてもらい、かろうじて少し開くという、なんとも情けない状態でした。

あまりに進行が速く、しがみつくように呼吸法をしていたら

とうとう「頭見えました!!」と、声がかかりました。

その瞬間、不思議な事が起こりました。

身体を支配していた

痛みが無くなり、パチンと無くなり

あんなに硬直していたのに、全身が柔らかくなり

なんだか、その時間だけがスローモーションのようになって

ピークに痛いと思っていた

赤ちゃんの頭が出る時は

ただ、赤ちゃんを熱いと感じただけで

自然に手が伸びていました。

赤ちゃんを抱き上げようとするように。

最後は自然な力だけで、やたらにフワッと、誕生した命。

痛みがピークを振り切って、脳が感覚をスイッチみたいに切ったのかな?と後になって考えてみるなどしました。

産まれた瞬間に夫が、まだフニャフニャでクシャクシャの赤ちゃんを「激カワじゃん!」と言ってくれた事が、やけに嬉しかったのを覚えています。

母子分離。赤ちゃんはNICUへ


産まれたばかりの赤ちゃん、

一瞬泣かなかったのですが

この子は、生命力が強い子だから大丈夫、と

妙な確信がありました。

すぐに聴こえてきた、細い泣き声。

私の胸に、小さな赤ちゃんを乗せてもらえて

か細い、ふわふわの抱き心地

可愛い〜、可愛い〜、めちゃ可愛いよ〜と泣きました。


無言の夫。


「少し、処置しますね」「産後の処置を、しますね」と

先生が赤ちゃんを抱き上げて

産後の処置か…キレイにしてくれるのかな?と思っていたら

先生が私の赤ちゃんを、診察台の上に乗せて

口から管を、スルスルといれて、グォーっと何か吸っている

は?は?え?え?え?え?は?

満身創痍の身体を起こし

全て使い果たして白くなっている脳で必死に考えました

長男の時、あんな処置したっけ

いや、してない。してない。絶対してない。え?え?何この光景

私の赤ちゃんに何しとんねん

振り絞るようにして「大丈夫ですか?」

「私の赤ちゃんは大丈夫ですかっ?」

と聞きました。

「ちょっと小児科の先生呼んで」と、お医者さん。

おーーーーーい!!!

「出産のストレスで、胎便が出てしまって、ちょっと呼吸も弱かったので、処置しますね」と助産師さん

大丈夫なやつなのかっ!?

もはやよく分からないので、説明よりも空気で判断しようと

機敏に動く助産師さん、黙々と処置を続けるお医者さん、すぐにやってきてくれた小児科の先生の

表情とか、動きとか、そこに漂う空気を、右、左、右、左と、必死に眺めました

暗い表情とかしてないか?その笑顔は、無理して笑っていないか??私の赤ちゃんは大丈夫なのか?!

じっと、先生の手元の赤ちゃんを、黙って見つめ続ける夫。

お互いに、しがみつくように手を握り合いました。

産後。夫婦だけの分娩室


「顔、覚えた」

赤ちゃんだけが、NICUへ運ばれてしまった後

取り残された分娩室で、夫が呟きました。

「〇〇(赤ちゃんの名前)の顔覚えた」「取り間違いとか、ないように」

真剣な表情の夫に、もう笑いも出てこず

「リストバンドしてたよ」とだけ伝えました。

妻の出産に立ち合う時、多くの旦那さんが、何も出来ない無力さに狼狽えると言います。

妻としては、そこにいてくれるだけで心強いのですが

壮絶な場において励ます(そして嫁の足を開く)以外の何も出来なかった中

産後の緊急事態に

取り間違いとかないように、我が子の顔を死んでも忘れないという役目を、彼は全身で背負ったのだと思います

「紫色だった…」と夫。

あまりに可愛くて、可愛いくて

私は我が子が紫色で産まれてきた事にも気付いておらず

呼吸が弱かった事、羊水を飲み込みながら産まれてきた事、上手に吐き出せなかった肺の中の羊水を、管で出してもらった事、保育器の中で呼吸のサポートを受ける事、胎便が出ていて、恐らくそれも飲み込んでいる事

夫に確かめ、必死に頭の中で整理しながら

ただただ、身体が硬直して足を開けなかったせいだと

自分を叱責していました。

憧れていたカンガルーケア。

胸に抱いた生まれたばっかりの赤ちゃんと一緒に

初めて世界を共有するヒトトキ。

聖霊病院では、その時間を家族水入らずにして頂けると聞いており

どんなに幸せなヒトトキだろうかと楽しみにしていました

叶わなかった時間の中で

夫と2人。身体を休めながら

早く、とにかく、赤ちゃんに会いたい一心でした。

もし、この病院じゃなかったら

すぐにNICUに入れなかったら、どうなっていたのだろうと想像すると、恐怖で身体がすくみ

やっぱり、赤ちゃんが自分で選んだのかなと、感じました。


もし、元々分娩を予定していたクリニックで産んでいたら、赤ちゃんだけ救急車で運ばれ、別々に産後の入院生活を送る事になっていたかと思います。

何よりすぐにNICUに入れた事、本当に幸運でした。

出産したばかりの母親を労ってか「産後の処置をしますね」と、まるで何事もないかのように、淡々と命を助けてくれた事

そして、一瞬でもまずは、私の胸に赤ちゃんを抱かせてくれた事

NICUという文明にも、ここで産めた事にも

感謝でいっぱいでした。

赤ちゃんの手


しばらくして、夫は赤ちゃんの入院の手続きに呼ばれ

私は、お部屋に戻って身体を休めましょう。と言ってもらいました。

その前に赤ちゃんに会えませんか?と聞くと

NICUに車椅子で連れて行ってくれました。

温かい保育器の中で、管に繋がれて

一生懸命に生きていた、小さな

小さな、息子。

思わず、赤ちゃんの手をそっと握りました。

1人の母親として、息子を励ますつもりでした。

ふわふわの手。

細い指を動かして、握り返してくれました。

大丈夫。この子は大丈夫。


遅れてやってきた赤ちゃんに会えた感動を

精一杯かみしめつつ

我が子のこの姿を思い出せば、この先どんな事も頑張れる気がしていました。

命に変えても、守りたい命。

一緒に、生きていたい命。


2022年、聖霊病院で最初に産まれた赤ちゃんだそうです。

産後。退院

幸い、懸念していた胎便は、産まれ出るその時に出たものだったようで

赤ちゃんは飲み込んでおらず

少しだけ弱かった呼吸をサポートするのみで

4日目に母子同室になる事が出来ました。

産後2日目、ちょうど自分の誕生日に

産後の興奮にガクンと反動がくるような

これが所謂産後うつの前兆なのか?と感じるような、気持ちの沈み込みを経験しました。

長男がNICUには入れないからと夫は会いに来ず

誕生日だから私にしか会えないけど来て、と本当は言いたいのに

そんなワガママ許されないと自分を律し

そのくせ「夫、気が効かないな…」とモヤモヤしながら、赤ちゃんが恋しくて仕方のない、行き場のない不安につまされていました。

14時と20時にNICUに会いに行ける、その2回を1日の喜びのピークに

あとはグラフのごとく下がっていくだけ。

普段なら感謝しかしない看護師さんの一言にも、ズドーンと来ます。

産後のホルモンバランス。あるあるなんだと知っていてもキツい。とはいえ、知っていてまだ救われました。

全国の旦那様に、この事実は知ってほしいと思います。

産前産後の女性には、魔物が憑依するのだと。

何事も大袈裟な私は、まるで生まれ変わったかのような気持ち。

初めて息子を腕に抱き、授乳できた日の喜びは、生涯忘れない、というか、何度でも思い出せると思います。

千切れそうな喜びと痛みを、ジェットコースターのように味わいました。こうやって母になるんだ。

このブログ、産後すぐに仕事復帰したため、ここまで書くのに6ヶ月もかかってしまい、放置したまま書き終わらないので

ここで終わりにします。続きは拙い日常。あまりにも幸せな。

母である。この事を幾度となく省みて、1人胸を張り、夫を威嚇する半年間。

何があっても母であるので、私は強いです。

泣いても強い。怒っても強い。笑って笑って、笑って家族と生きてます。

ありがとう。


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