見出し画像

今更ながら2021年振り返り。

こんばんは。すごく久しぶりのnoteとなりました。
2022年1本目のnoteです。久しぶりすぎてなんか、地元に帰ってきたのに地元の最寄り駅があれよあれよと発展しすぎていて、駅でのバスの待ち時間の過ごし方とか歩き方のそれが分からなくて内心アウェイ感を感じている帰省者みたいな心境です。

今更ですが、2021年の振り返りをしようと思い、noteを開いてみました。
あっ、あけましておめで…とはもう遅いですね。そもそも寒中見舞いでした。文字通り、本当に最近寒いですね。皆様お体にはお気をつけて。。

2021年は一言で言うと「汚さと美しさが隣り合っていた一年」だった。これは実際に12月31日の日記にも書いていて、我ながらしっくりきている表現である。

生きてると向き合いたくないことだらけだな、というのを去年一年で何回感じただろう。大好きなお父さんが亡くなりそうな状況で、帰りたくても地元に帰れないコロナ禍。その3日後、LINE電話の着信音で目が覚めたけれど、画面に映されたお姉ちゃんのアイコンを見て訃報だなと悟り、出るのが怖くて結局着信音が切れるまで画面を見ていた深夜1時。お父さんともう二度と会えないのに、それでもなぜか全然悲しめない自分。あぁ、なんで私にはコロナ禍でも家族のために動ける行動力がなくて、訃報の電話をリアルタイムで受ける覚悟がなくて、大好きな人を亡くしたのに悲しむ心すらないんだろうって毎日毎日考えた。

6月ごろには相続云々で色々大変で、人生一病んでたな。お金と家族、血の繋がり、親の墓、遅かれ早かれ直面することだとは思うので、23で経験できたことは100歩譲ってまぁよかった。ん?いやいや、当時はきっと誰よりも病んでたしストレスすぎて白毛生えたし理由なく毎日泣いていた。あの死に物狂いの苦労を忘れるところだった、アブネェー!「まぁよかった」なんて間違いなく今だから思えること。当時新宿区で誰よりも「楽な死に方」を検索していたのは私です!なんて笑って言えるのは、今だから。

手続き関連があったのでなるべくすぐ対応できるようにリモートで働いていたけど、人と会わなすぎたのもあって純粋に心が疲弊していって、生きるの辛いなー消えてなくなりたいなーとリアルに毎日思っていた。新宿区の「心のお悩みホットライン」的なところにLINEで相談したのももはや笑い話。。(すごく機械的に返信をしてくれるので、ある意味楽だった。返答ほぼ全てが「そんなことこちらも分かってまんねん」「できることならとっくにそうしてまんねん」と、死にかけの心からも十分つっこめるくらいのボケ感なので、1ミリも解決には繋がらなかったのは内緒。)


そんなこんなで、夏が過ぎ、秋が過ぎ、来たる12月、今度は人生一の金欠期に襲われた。

なぜあれほどに金欠に見舞われたかは今度また書こうかなと思うけれど、ガチでお肉を買うお金すらなかった。毎日豆腐を食べて、リュウジのバスレシピ見ながら目で美味しさ感じて夜ご飯食べるヤベェ時期だった。

サブスク一気にやめて、固定費見直して、できるだけの手渡しでのアルバイトして、得たことと言えば、豆腐の美味しい食べ方と「なんとかなる、大丈夫、お肉食べたい、でもまだ大丈夫」と、不気味な暗示を唱えて耐えるマインド。我ながらよく頑張った。褒めてあげたい。

周りの人にもたくさん助けていただいて、ご飯にもたくさん連れていってもらって、長期で家を開けるので植物に水やりしに行くバイトだってさせてもらった(本当に大感謝)。はぁ生きるの辛いけど人様の優しさで生かせてもらえて私の人生捨てたもんじゃないなと何ヶ月ぶりかに人間味を取り戻した。今はおかげさまで少し潤い、生活も人間らしさを取り戻しました。

もちろん楽しいこと嬉しいこともたくさんあった2021年だったけど、自分の不純なところも人の不純なところも十二分に感じ、人間の優しさや、脆くて美しい部分も同時に味わいすぎた1年でした。

2022年は未来志向を心がける一年にしたいなと思います。
私はTHE原点思考人間なんですが、先日お会いしたコーチの方から未来志向の考え方を教えていただき、私に足りないのはコレだぁぁ〜〜と、マルタイのカップラーメンばりに「こ・れ・だ!」の三文字が舞い降りてきた(これだラーメン、久しく食べてない••)。未来志向については、また今度詳しく。

今は心の健康もだいぶ回復してきたので、2022年もみなさん一緒にご飯行ける時が来たら行きましょう。早くコロナも終息しますように。今年もよろしくお願いします。

ちなみにカバー写真は、去年11年越しに近くで見ることを達成できた愛してやまない太陽の塔です。🤍

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?