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生ける伝説 Şivan Perwer 来日コンサート

Şivan Perwerは、やはり生ける伝説だった。

主催者から、「Şivan Perwerを呼びたいけど大きな会場がないだろうか」と相談を受けたとき、私はその場ですぐに1000人以上を収容できる会場を探した。

そして最初に問い合わせたのが埼玉会館。1月14日のみ大ホールが空いているとのことで、即、仮予約した。

多分その翌日だったか、「ŞivanのOKが出た」と聞いた。

毎年のように「Şivan Perwerのコンサートをやる」と聞いていたが、さすがに大物すぎて、難しいだろうと思っていた。

なにしろ、世界の大統領クラスの人に招かれるような、超VIPなのだ。

「会場を探しておさえる」、という自分の一手が最後の一手となり、大きな山が動いたような気がした。



「Dersa Kurdi」私にとっての最初のクルド語学習教材に登場するŞivan Perwer

私が2018年にイスタンブールでクルド人に出会い、帰国後すぐにクルド語を学び始めた時に、教材として観ていたYouTubeの番組で、クルド人の芸術家としてたびたび例示されていたのがŞivan Perwerだった。

つまり、私にとって、初めてのクルド人著名人はŞivan Perwerだった。

その後、私はクルドの言語を学び、歴史を学び、音楽を学ぶ、という道を歩んでいくことになる。

クルドの音楽の世界において、Şivan Perwerという人の持つ影響力は到底はかることのできないものだ。

彼の作る音楽を無数の人がカバーし、演奏してきた。

存命のクルド人のうちで、彼の音楽に触れたことのない人は一人もいないはずだと断言できる。

クルド人の主催者のうちのある人は、Şivan Perwerにこう言った。

「私たちは皆、あなたの音楽を聴いて育ちました」

Şivan Perwerは、音楽によって、言葉によって、クルド人の民族意識を掻き立て、鼓舞し、その精神を率いてきた。

その力強いメッセージ、その存在が放つ大きなエネルギーによって、Şivan Perwerは一ミュージシャンという存在を超えて、民族の誇り、自由の希求を体現する象徴となった。

また、出演者のうちのある人はこう言った。

「クルド君侯国割拠の時代だったら間違いなく一国を率いていた人であろうと思いました」

現代においても、クルディスタンを精神的に率いている人だ、と言っても過言ではないだろう。

惹きつけられるのはクルド人だけではない。

大地から湧き上がるような力強い歌声、高度な技術によってかき鳴らされるサズの演奏に、聴衆の心は一瞬で虜になる。

本公演の聴衆はおそらく95%がクルド人だったが、来てくれた日本人の数名から「圧倒的なパフォーマンスだった」「言葉が分からなくても伝わってきた」と感想をもらった。

私は第一部を客席から聴いていた。序盤からものすごい熱気だった。

「Halepçe」では、Şivanの悲痛な声に、河崎さんのコントラバスの唸りが重なり、それがHalepçeで死んでいく人びとの叫びのように心をえぐった。涙が溢れてきた。

公演後の話。
「Şivan先生、私は”Halepçe”で悲しくて痛くて泣いてしまいました」
「私もだよ」
あの時、Şivan Perwerは泣いていたのだ。

共演された立岩潤三さんの投稿を引用したい。

「事前リハの段階でもその全力の演奏と声に鳥肌立ちっぱなしだったけど、本番はさらなる高みのパフォーマンスに。

会場は一部序盤からすでにクライマックスの熱さに達し、その中でŞivanさんの「ここでこう!」という脊髄反射に近い展開で、もはや日本とは思えない会場の空気感にさらなる拍車が。

終盤の8人の合唱隊が入ってからは、コンサート中、ステージ中央のŞivanさんの生声を直接顔面に浴びているとしか思えないビリビリ感に加えて、真後ろからのCall & Resの生声の群声の音圧に挟まれ、その中で全力でErbane=ダフを振っている、その「時」を思い返すだけで未だに全身鳥肌が立ちます。

この記念すべきコンサートに参加出来た事自体が人生の宝のように思えます。」




実は公演が決まった時、主催者から、「エリカさんもŞivanとデュエットしなさい」と言われた。

私は「いやいや、そんなこと、聴衆は誰も望んでいないし、畏れ多くてとてもできません」と答えた。裏方の運営サポートに徹することに決めていた。

しかし、リハーサルでŞivan Perwerに「エリカ、何を歌える?ソロで一曲歌いなさい」と言われて、震え上がってしまった。

心の底から「とんでもないことだ」と思ったが、クルド音楽を学ぶ者としてこれほど光栄な機会はない。


リハーサル

そして、「Canê Canê」を歌わせてもらった。これまでに繰り返し、繰り返し、歌ってきた大切な歌。人々はこの歌が始まると手と手をとりあい、満面の笑顔で踊り出す。

「Canê」は大切な人に呼びかけるときに使う言葉。

「大切なみんな、男も女も、老いも若きも、少年も少女も、みんな広場に集まって手をとりあおう!」という歌詞の歌だ。

この日、観客の皆さんが歌い踊り、その中でŞivan Perwerと共に「Canê Canê」を歌ったことは、私の人生の中で間違いなく、とてつもなく大きな出来事になった。


クルドの伝統衣装Kiras û Fistan。なんとŞivan Perwerからのプレゼント!

熱狂に包まれた、あの公演を、きっと生涯忘れることはできないだろう。


サウンドエンジニア、プロデューサー、演奏家であるHakan Akayは、Şivan Perwer含め多数のアーティストの音楽のプロデュースを行なっており、これまでに200枚以上のアルバムを制作。

*****

Şivan Perwerの肖像を別の角度から眺めるため、公演以外での出来事も記しておきたい。

日本に滞在中はほぼ毎日、主催者の方々と共に、Şivan Perwerをアテンドした。

どこへ行っても何をしても、「おもしろい、おもしろい」と、あらゆるものを動画や写真におさめ、じっくりとみてまわっていた。

「これは何だ、あれは何だ」と興味を持ってたくさんのことを尋ねてくれた。

時差もあり、リハーサルや公演もあり、疲れているはずなのに、ものすごいバイタリティだ。

そして、さらに驚いたことがあった。

歩き回っている間も、移動の間も、片耳にはずっとイヤホンをつけていて、何をしているのかと思ったら、なんと、ずっと新曲を耳に入れていたのだ。

スマホを見せてもらうと、30曲ほどの録音が入っていて、それを絶えず聴きながら時間を過ごしていた。

天賦の才に恵まれ、おそらく想像を絶する研鑽を積み、ここまでの地位を築いたレジェンドのその行動に瞠目するしかなかった。

その合間合間では、クルド語の文法や単語について、クルド音楽のマカームについて、クルドの歴史について、

さらに宗教や哲学について、あらゆることを美しいクルド語でゆっくりゆっくり説いてくれた。

そして、「よくよく学びなさい。なんでもサポートしてあげるから」と言ってくれた。

いつも冗談を言って周りを笑わせ、「サポートをありがとう」と周囲への感謝の言葉を常にかけてくれる。

「この人のために何かをしたい」誰もがそう思ってしまう。真のカリスマだった。


ワッカス先生から素敵な帽子をプレゼントされご満悦


少年と全力で遊ぶレジェンド 子供もすぐ懐く

レジェンドの1週間に満たない日本滞在は、少し長めの夢のような期間だった。

「親愛なるエリカ、今ドイツに着いたよ。予定よりも2時間も多くかかってしまったけど、それ以外は全て順調に進みました。改めて、君の友情とサポートに感謝します、ありがとう」

レジェンドの細やかな心遣いに、また胸がジーンとなり、よしたくさん勉強しよう、と決意を新たに。

Şivan Perwer 50 SAL HUNER 50周年記念ワールドツアー 日本公演
2024年1月24日(日)埼玉会館大ホール
<出演>
Hakan Akay (監修、サズ演奏)
松尾賢 Ken Matsuo(ウード)
瑞穂 Mizuho(ヴァイオリン)
河崎純 Jun Kawasaki(コントラバス)
Abdurrahman Gulbeyaz(パーカッション)
立岩潤三 Junzo Tateiwa(パーカッション)
伊藤結美 Yumi Ito(パーカッション)
ゲスト:FUJI (サズ)、上田惠利加(歌)

主催:一般財団法人 日本クルド文化協会

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