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『“政治的”クルド音楽の2つのステージ -Koma BerxwedanとHunergeha Welat-』 (著:Darîn DOSKÎ)

本稿は、Darîn Doskî氏がクルド語で執筆し、『Politik ART』に寄稿した論文を日本語に翻訳したものである。本日3月8日「国際女性デー」に先駆け、本稿でも取り上げられているグループ「Hunergeha Welat」が、新たな作品、"Stranên Kezîya Sor - Jin , Jiyan , Azadî" を発表した。「Hunergeha Welat」はこれまでにも演劇的な手法で音楽作品を制作しているが、今回の作品は組曲調で、そのスケールは圧巻。「女性の解放」をテーマとしたこの作品を、以下に示すDarîn Doskî氏の論考と併せてご覧いただきたい。

『“政治的”クルド音楽の2つのステージ -Koma BerxwedanとHunergeha Welat-』 (著:Darîn DOSKÎ)

クルド人の政治的な活動は1970年代から80年代にかけて、トルコとヨーロッパにおいて次第に活発化した。この期間の活動においては、テレビ、ラジオ、新聞などは使用できなかったため、外部へアピールし、衆目を得るような機会や手段は非常に限定的であった。そのため、音楽がプロパガンダの手段のようなものとなり、最も重要で効果的な活動と捉えられた。音楽という手段は、人々に直接的にメッセージを届け、民族感情を高めることに奏功したのだ。80年代の政治的クルド音楽という文脈における最も重要な事例として、”Koma Berxwedan”を挙げることに異論はないだろう。現在もなお人気を維持している自身の楽曲によって、Koma Berxwedanはその地位を確立した。それまでの活動家の試みが達するに至らなかった、あるいは不満足な状態であったことと一線を画す出来事であった。Koma Berxwedanの成功事例によって、その他の活動家も政治的芸術活動を活発化させ、そのことはあらゆる面においてクルディスタンに変化をもたらした。つまり、Koma Berxwedanは、クルド人の活動が覚醒・勃興するため、クルド民族の個別の記憶や知恵を大衆へと拡張するため、来たる時代に対して良い兆しを与えたと言える。

音楽的な手法と新たなスローガンによって抗争の精神を表現したことは一つの大きなきっかけとなった。Koma Berxwedanが採った音楽的手法とそこで用いられた言語が、イデオロギーや政治的言明に適合し、膾炙していくこととなった。

創造の必要性

1980年代の終わりから2000年代の初頭にかけて、クルドの都市において闘争や戦いが頻発し、村々は焼き払われ、人々は故郷を追われた。うち多くの人々が、トルコの大都市、またはヨーロッパを中心とした他国へと離散することを余儀なくされた。Koma Berxwedanは、このように他国へ亡命した人々によって立ち上げらた。このグループの立ち上げは、自民族の文化遺産、個々の経験などを、政治活動と共にある実践的な芸術へと変容させることへとつながった。

1970年代と80年代にかけてŞivan Perwerが示した実践的芸術の成功事例を受け、Koma Berxwedanはコラボレーションという手法を採った。Kome Berxwedanの目的、活動の動機は、新たな政治的活動を起こし、民族意識を強いものにせしめることだった。その時期に存在した同様のグループより先駆けたKoma Berxwedanは、自らに重大な使命を課した。Koma Berxwedanはその使命の遂行によって、非常に短期間のうちに世に知れ渡り、同時に、優れた芸術家たちを発掘した。また、クルド音楽という文化遺産のうちに、多くの傑作や功績を積み上げた。

1980年代から90年代初頭にかけては、全ての音楽家にとって活発な創作が求められる状況であった。音楽家は、自民族の抵抗、闘争に対して責任を負っているという自覚を持っており、その自覚のもと、芸術作品を創作し、人々の活動をサポートするという役割を担った。音楽家たちが自らの仕事を積極的に遂行するにつれ、人々の活動の推進も非常に重要なものとなり、このことは活動を多分に自発的なものにした。音楽家・芸術家たちは相当数の創作を行い、活動を推し進めた。その時代において、彼らは創作する義務を負っていた、とも言える状況であったのだ。実際に、彼らの仕事がクルドの活動を活発化させた。また、音楽性の観点からすると、1980年代と90年代の闘争の時代における音楽の一形態として、「プロパガンダのための音楽」という形態を確立した。

全てのアルバムが10万枚以上のセールスを記録

この期間、Koma Berxwedanはクルド人社会や自身の聴衆との間で相互に影響を及ぼし合い(これに関する具体的な内容は他の議論や研究に譲るとして)、グループメンバーによる積極的な音楽活動(カセットやCDの制作)が大衆へと広く届いたことには論を俟たない。Şehîd Sefkan、Şehîd Mizgîn、Xelîl Xemgîn、Diyar、Seyîdxan、Beser Şahîn、Hozan Serhat、Şemdîn、Zozan、Kawa、Hekîm Sefkanなどの歌手のカセットはいずれも10万枚以上売り上げ、彼らは当時、最も精力的に活動していた音楽家であった。言い換えると、Koma Berxwedanは、個々が成功することにより、全体として多くの聴衆を獲得したグループと言える。実際、幾人かのメンバーは自身の作品によって、Koma Berxwedan本体よりも知られるようになっていた。この事例を受け、1990年代終わりから2000年代初頭にかけて、業界の音楽グループがこぞって、コラボレーション形態の音楽を作るようになり、それらの作品がより多く受け入れられるようになった。そして、クルド歌謡曲は、社会的政治的な時代の要請に沿うことで、市場のニーズに適合していった。

2000年代の初頭、クルド人の活動が昂まりを見せる中、テクノロジーの進化やインターネットの登場により、既存の音楽は古いものとなっていった。それまでの聴衆は離れ、新たな聴衆を獲得することも無くなっていった。クルド社会は既存の音楽作品を過去のものとして手放したということである。Koma Berxwedanの音楽作品がそれまでに熱狂させてきた聴衆の欲求や選択はもはや変化の過程にあり、彼らの関心は新時代の社会的政治的音楽へと移っていった。その結果、Koma Berxwedanの創作活動は減少していった。つまり、1970年代、80年代、時流を掴み、制作されたKoma Berxwedanの作品は、同様の手法では新時代には受け入れられず、彼らの活動は下火になっていったのだ。

さて、我々は近年、綺羅星のごとき輝きを放っている”Hunergeha Welat”をKoma Berxwedanの「後継者」と定義づけることはできるだろうか。Hunergeha Welatはなぜこれほどまでに支持され、人気を得ただろうか。

Koma Berxwedanのかつての聴衆も、西欧中心の既存の音楽の聴衆も、その手の音楽を十分に聴き、満ち足りた状態であった。したがって、クルドの政治的音楽の創作活動は減速し、大衆を熱狂させる楽曲や作品の数も減少していっていた。クルド音楽界に到来した沈黙と空白の時代。芸術、音楽、文学などあらゆる創作に関して同様に言えることであるが、社会的、政治的な変化により、音楽や文化的な創作活動の前に新たな「道」が開かれた。つまり、世の中の変化が文化的な創作に対して、直接的な影響を与えるということである。1990年代のダイナミズムが、音楽に対していかなる影響を与えていたとしても、2000年代に移り、「表現の沈黙」の時代が求めたのは、新たな表現だったのだ。

Koma BerxwedanからHunergeha Welatへ

直近10年間、西クルディスタン(シリアのクルド人居住地域)における闘争と革命が非常に活発化し、世界中がその動きを知ることとなった。多数の地域で抵抗運動が勃興し、それに伴い民衆の動きも一斉に加速した。この全体を覆うダイナミズムは、文化、とりわけ音楽に影響をもたらした。この10年間は、我々は音楽的創作において、「この音楽が我々の時代の精神なのだ」と示してきた期間と言えよう。Hunergeha Welatもまた、最新の手法によって音楽を創作し、若い世代を筆頭に多くの聴衆を惹きつけたグループだ。彼らの創作活動においても、Rojava革命という「政治的闘争の泉」から水を取り込んでいることが根底にあり、であるからこそ、クルド民族の間に大きな熱狂を巻き起こしたのだ。

他方で、抵抗活動の前に立ちはだかる困難を目の当たりにしたHunergeha Welaは、(その影響力をもって)、クルド人の上に絶望と悲観的思考の霧を広げてしまう可能性も孕んでいた、とも言われている。しかし、Hunergeha Welatとそのメンバーは、悲観主義の存在を認識していたからこそ、そこに、自らの芸術の必要性を見出し、作品を創作した。Hunergeha Welatのメンバーのうちの1人であるDelîl Mîrsazが、ANHAでのインタビューでこのように語った。「Rojavaはクルディスタンのうちの小さな一部です。しかし、<革命家の芸術>という観点においては、クルディスタンの他の地域に先駆けていると言えます。1980年代から今日に至るまで闘争のための音楽が無数に作られました。現在においても、Rojavaのクルド人芸術家の声によって、我々はまた新たに前進しようと奮起し、自民族が置かれている状況を新たな歌に込めて記録しています。」

Hunergeha Welatはクルド音楽に限らず、アラブ、アッシリア、トゥルクメン、チェルケスの音楽もRojavaにおいて録音しており、卓越した手法でクリップやその他の作品を制作し、それを望む人々に対して大きく貢献している。

Hunergeha Welatは、かつてのKoma Berxwedanのような影響力を持っている。今日、Hunergeha Welatは、最新の手法を用いた創作により、(政治色を帯びた)クルド歌謡界を非常に成功的に牽引し、隆盛を極めている。

かつて、Koma Berxwedanは、カセットやCDという手法によって自らのメッセージを聴衆に届けた。そして今日では、Hunergeha Welatが、意匠を凝らした衣装やダンス、演劇的手法で制作されたクリップなど、その先進的な視点によって、我々にメッセージを届けている。

原題:Du qonaxên muzîka polîtîk a Kurdî(Darîn Doskî)
翻訳:上田惠利加


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