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毎日柿もぎして見えてきた日本の農業の闇とそこに一石投じたい気持ち


まもなく今年のおけさ柿の収穫が終わろうとしている。

今(11月12日)、これを書いている外では
朝からずっと大粒の雨が降っている。

柿の最終出荷期限は15日。
それを過ぎると市場が柿を受け入れてくれない。

実は、11月9日からず〜っと佐渡は雨、暴風といったお天気で、
それが16日まで続くらしい…。

なんと8日連続雨。涙

まるで柿もぎラストスパートをかけたい柿農家を
通せんぼするような酷なお天気。

お天気の神さま、どうか1日でいいからご機嫌麗しく、
15日までお天気の日をください。

それ以降では、せっかく実った柿が行き場を失ってしまうのです。


農家は自分で作った柿の値段を決められない

書いているうちに、外が一段とにぎやかになってきた。
どうやら雨があられに変わってしまったらしい。

こうなると、柿は傷つき一気に商品価値は下がってしまう
(価格は半値以下、もしくは商品にならず…)

お天気はどうしようもないと分かっていながら、胃がキリキリと切ない。

味はまったく変わらなくても
見た目のきれいさ、大きさ、形が整っているかどうかで
値段はびっくりするくらい変わる。

昨日まできれいだった柿が
あられに当たって傷がついたら値段は半減。

ばかげてると思いつつ、
市場に出荷する限り市場の基準に従わざるを得ない。


農家は自分で作った農産物の値段を決められない。


毎年同じ労力と時間をかけて一生懸命育てた柿が
ある年は1コンテナ4000円になり、
ある年は1コンテナ6000円になり、
ある年は1コンテナ3000円になることもある。


市場が価格を決める。
市場が基準を決める。
市場が出荷開始と終了を決める。

それによって、農家さんの収入は大きく左右される。

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消費者には見えない生産者と農協の関係

そのくせ、市場が生産者に売るものの値段は変わらない。


農家や生産者じゃないと、
市場や農協の仕組みがどうなってるかって
よくわからない。

消費者の人の大半は、
農家さんが生産した農産物を農協が取りまとめて販売し、
その収益が農家さんに渡る、

そんな役割を果たしているのが農協というイメージの人が
多いのかもしれない。

たしかに、間違いではないのだけれど、
その裏には消費者の人は知らない闇がある。
(わたしが勝手に闇だと思ってるから、そう書かせてもらう)

肥料、防除の薬品、反射シート、販売用段ボール…etc
などの生産する上で必要となってくるもろもろは、
生産者はたいていが農協から買っている。

もちろん割引等はあるのだろうけど、
この経費がバカにならない。

その年の柿の値段が高かろうが安かろうが
かかる経費の値段は変わらない。


さらに、わたしが大問題だと思うのは、
こういった経費や防除の薬品(除草剤等を含む)
を使用することが“販売の条件”になっていること。

生産者は、農協が定める規定の肥料や防除を使用していないと、
農協に出荷することができないのだ…。


もっと自然農に近づけよう、
もっと低農薬を目指そうと頑張れば頑張るほど、
市場は扉を閉し、受け入れ拒否される始末。

肥料や防除を条件に生産物を受け入れるというのは、

なんだかおかしい。
すごくおかしい。

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市場の規定に従うか、独自の販路をもつかのジレンマ

低農薬(そもそも柿を無農薬で作るのはものすごく難しい)、
または自然農に近づけた栽培をしようとする場合、
不可欠となってくるのが「独自の販路」を持つことだ。

規定の防除をしていないとなると、
農協(市場)は柿を受け入れてくれない。

農協を通して販売することができなくなる。

そうなると、農家さんが独自の販路を開拓して
いかなければならないのだけれど、
これは簡単なことじゃない。

販路を持っていなければ、
せっかくいい柿を作ったとしても農家さんの収入にはならない。

販路が数件開拓できたとしても、
さばききれなかった柿たちは行き場を失い、
痛んで、腐って、ダメになっていくのを見ているしかなくなる。

そんなの切な過ぎる。

大切に、一生懸命育てた柿が
どれもこれもみんな喜んで食べてくれる人の元へと
旅立っていくためには、
“まとまった”販路が必要になる。

販路があるかないかは、農家の収入に直結する。

しかも、販路があれば、
市場ではなく農家さんが自分で値段をつけることができる。


ネットがあれば全国、世界と繋がれる時代、
じゃあ、販路を開拓してったらいいじゃない!
と思うかもしれないけれど、

ここでまた壁が立ち塞がる…。


わたしの両親どちらも70歳を超えて今なお現役で
頑張っているのだけれど、
生産者のほとんどが高齢者。

それも後期高齢者と言われる年齢の方々。

そういった年代の人に、生産や収穫をしながら、
同時並行で販路を開拓していくということは容易いことではない。

それはあまりにも酷だ。

だから、農協に収めることになり、
農協に収めるためには規定に従わなければならない。


独自の販路を開拓したいのは山々だけれど、
それが叶わないジレンマがあるのだ。


こういう課題を知ると、なんとかしたいと思ってしまうのである。

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消費者の方の声はでかい

こういった生産者と市場の裏の仕組みって
知らない方の方が大半だと思う。

農家の娘であるわたしですら、知ったのは最近なのだから。


でも消費者の人は、
より安全で安心な農産物の方が嬉しいわけで、

そして、安心で安全な自然に沿った栽培は、
空気、水、土壌といった地球環境にとってもいいわけで、

生産者にとっては、
より手間や労力はかかってしまうところもあるかもだけど、
それでもやっぱり生産者の健康といった面におおいては、
危険や防除の散布剤を浴びなくてもいいメリットが大きい。


そんなにいいことづくめなのに、
なんで低農薬や無農薬、自然農の農作物が広がらないのか?

明らかにそのウェーブは来ているものの、
まだまだ海外に比べると日本の市場は、
農作物の安全性とか栽培法よりも見た目のきれいさ、形の良さ
に価値を置く傾向がある
からなんじゃないかと思うのだ。

海外だと形が不揃い、大きさがバラバラであろうと、
“オーガニック栽培”ということに価値がある。

むしろ、自然に作ったらそうなるのは当たり前よね、
という価値観を消費者が持ち合わせている。


けれど、日本の場合はまだその域に達していない。

見た目が悪いと商品価値はなくなり、
市場にすら出回らない。

形の揃った、見た目だけはいい、栄養価の低い野菜の方が
おすまし顔で店頭に並ぶ。

そのために、不自然な栽培方法がなされることになる。

受け入れてもらえなかった農産物は捨てられる…。

市場がそうなっている限り、
消費者の方がそういった農産物を求める限り、
生産者はそこに合わせないといけない。


でも、消費者の方が
「形が揃ってなくても自然栽培のものがいい!」
「傷があっても、曲がってても構わないから安く買いたい!」
「少し高くても低農薬のものを選ぶ!」

と、声を上げてくれたら、市場は変わらざるを得ないんじゃないかと思う。


それくらいパワーを持っている。
消費者の声はでかい。
(音量の意味ではなくってね。笑)

もちろん声を上げるのは苦手という人は、
低農薬のものを買う、地元の生産者のものを買う、
そういった行動で応援してくれたらすこぶる嬉しい。


そんな風に、農家の娘は思うのだ。

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農家の収入ってどうなってるの?

両親とはほとんど収入に関する話をしたことがなかった。

だから、これまでなんとなくなイメージで
想像していたところが大きかったのだけど、
思っていた以上に衝撃的だった…


例えば、
柿1コンテナが5000円の値がついている年に
500コンテナ出荷したとしよう。

5000円×500で、250万の売り上げになる。

これがそのまま農家さんの売り上げになるのかと思いきや、
ここから市場の手数料が引かれる。

この手数料がえげつなかった!!

なんと40数%……

ほぼ半分近くが手数料として引かれてしまう。
オーマイガー。

ちなみに、1コンテナに入っている柿の量は、
大きさにもよるけれど100個以上は入っている。

1コンテナ5000円というのは、
決して高い金額ではなく、
柿1個あたり50円の計算になる。


それなのに、40%も手数料で引かれたら、
手取りは150万になる。

さらに、そこから肥料や備品、除草剤、機械等の
経費が引かれ、

さらにさらに、そこから税金が引かれる…


これじゃ、農家をやろうと思う若者なんて居なくなって当たり前。

いくら頑張ったところで、
引かれる分が多過ぎる。


例にあげた1コンテナ5000円というのは、
比較的値段が高い年。
これが4000円とかになる年もあるわけだから、
事態はもっと悲惨だ。


農家さんが農家として働いた分で、
普通に豊かに暮らしていける、
そういう日本にしていきたい。


わたしの中にビジョンはあるのだ

つらつらつらつらと、
柿もぎ手伝いをした約2ヶ月で感じたことを書いてみた。

なんだかどす黒い部分が見えてきて、
切なく、悲しい気持ちにさせてしまっていたら申し訳ない。


ただ、わたしの中では
しれば知るほど、
「こんなふうにしてみたらどうかな?」
「こうすればもっと楽になるんじゃないかな?」
「こんなシステムがあったら農家さんみんなが喜ぶんじゃないかな?」
と、アイディアがぶわっと溢れてきて、

実行できるかどうかは危ういものの、
そういった希望の妄想を展開している時間は
すごく楽しい。


農業に対する興味もむくむく大きくなっている。

なんだかんだ言っても、
わたしの中には農家の血が流れ、
農業が性にあっている気がする。


課題が見えてきたから、
これからは少しずつそれを解決していけたらいいなぁ。


できたら、一人じゃなくって仲間がいたら最高だなぁ。


ま、ひとつひとつ急がず、時間をかけて前に進むのだ。


お父さんが50年間、
その年1年間の栽培で見えてきた課題を翌年に生かし、
1年1年と積み重ねてきたように、

農家の世界は一朝一夕ではいかないのだ。


なんだか、自分の視点だけで書いてしまっていたけど、
消費者の方、他の農家さんはどんなふうに感じてるのかな?

コメントいただける方いたら嬉しいです!

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柿を作って50年。
両親について書いたnoteはこちら


源farmインスタ


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