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【パリ1日1話】13 ガレット・デ・ロワ、或いは上のおっちゃんの話

いつの頃からか日本でもガレット・デ・ロワをよく見かけるようになったので、説明は不要かもしれない。ざっくりいうと、フランスでは1月5日ごろの日曜日がエピファニー(公現祭)というキリスト教の祝祭日で、その日に食べることになっているのがガレット・デ・ロワだ。

敬虔な信者以外にとっては、ガレットを食べる日である。この時期、フランスでは日常会話においてはわざわざ「ガレット・デ・ロワ」とは呼ばない。なぜなら、このタイミングで食べるガレットは「ガレット・デ・ロワ」に決まっているからだ。ついでに言うと、フランスでは平たく丸い形状のものは大概なんでもガレットと呼ぶ。お好み焼は「ガレット・ジャポネーズ」で説明できると思われる。

パイ生地(フィユタージュ)にフランジパーンというアーモンドのクリームが入ったものが一般的だが、今はいろんなものがあり、クリームにチョコレートやレモンが入ったり、生地もただのパイ生地ではなくもっと凝ったケーキらしいものなど店により様々。私は断然フランジパーン派だ。ただ、2つ目を選べるなら、ちょっと凝ったものを買うことにしている。

早いところでは、クリスマス頃には店頭に並び始めるガレット。商売っ気のあるパン屋などでは、ビュッシュ(クリスマスケーキのこと)の側で、もうスタンバイさせられている。親戚や友達が集まる機会の多い時期なので、ついでにガレットも食べちゃおう、という感じなのだろう。

ガレットにはフェーヴと呼ばれる小さな玩具が入っていて、切り分けたときにフェーヴを当てた人は王様・女王様となれ、おまけについてくる冠をかぶることができる。当てると大人でもうれしいものだ。ガレットを食べる回数だけ、フェーヴを当てるチャンスは多くなる。当然、ガレットを食べる回数は多い方がいい。

うちは夫婦ふたり暮らしだが、毎回4〜6人前のガレットを2つほど買って余らせている。小さい1人用には、フェーヴが入っていない。我々は、フェーヴを当てる楽しみのないガレットなんて、全く必要としていない。したがって、余る覚悟で大きいものを買うのだ。なにしろフェーヴは可愛い。昨年のピエール・エルメのフェーヴはシルバー・カトラリーの名門クリストフル製で、それはそれは美しいものだった。ジュエリーといっても通用するレベルで大変満足したが、ガレットのお値段もそれなりであった。

今年はジル・マーシャルとセドリック・グロレ オペラという、ともに大人気店でガレットを入手した。前者はエピファニーの日に、そして後者は数日後に買った。安心してほしい。多くの店では、エピファニーの後数日間はガレットを売っている。そこらへんはけっこう適当だ。

先日、今季2つ目のガレットを抱えホクホクしながら最寄りのバス停から家へ向かっていると、偶然、同じアパートの上の階に住むムッシューに会った。推定年齢65歳くらいの気のいいおっちゃんだ。名前は知らない。なぜか尋ねたこともないので、我が家ではシンプルに「上のおっちゃん」と呼ばれている。

上のおっちゃんはもともとよく喋る元気な人なのだが、ある時を境に見かけなくなった。そして、去年の半ばにまた見かけるようになったが、前ほど元気ではなくなっており、気になっていた。

「ガレット・デ・ロワのパーティ来る?」と、ボンジュールの挨拶に続いて、おっちゃんは言った。

掲示板の告知をまだ見ていなかったが、アパートの管理人クリスティーナ主催でガレット会がロビーで行われるらしい。

「ちょっとわからないですね〜、ムッシューは?」

「行きたいけど、ガレット食べられないから」

「なんで?ガレット嫌いなんですか?」

「いや、大好きだけど、大病しちゃって。厳しい食事制限があるからお菓子は一切食べられないんだよ」

一昨年前にステージ4の内臓の癌が見つかり、闘病していたのだという。

「病気すると、本当に大変だよ。でも、最近できた治療法で、どうにか生き残れた。5年前にかかったら、絶対に死んでた!」

「じゃあ良くなったんですね〜」と私。

「いや、まだまだだけど、とにかく死ななくてすんだよ」と鈍く笑った。

ここで、どんな言葉をかけるのが正解なのだろうか?しかも私の拙いフランス語で?いや、日本語でだって、こういう場合、正しい答え方というのはあるもんだろうか?寒さでいつも以上に動きの鈍くなっていた頭を数秒フル回転させたが、こんな言葉しか出てこなかった。

「じゃあ、次のときは良くなって、いっしょにガレット食べましょう!」

阿呆な奴だと思われただろうか?言葉が足りなかっただろうか?または言い過ぎたであろうか?ああ、しまった、という気持ちでいっぱいになってしまう。

「そうね、次ね。その前に6月のご近所パーティもあるしね、行ければ」

とおっちゃんはかすかに笑って短く答え、夜の挨拶「ボン・ソワレ!(良い夜を)」を互いに言って別れた。

歳を取れば取るほど、幸せな話より悲しい話が聞こえるようになる。私も40代も半ばを迎え、周りには「まだ若いじゃないの?」と言われつつも、悲しい話に親近感を覚えるようになってきた。でも、悲しい話が増えるほど、小さな幸せを大切にしようという心を持てるようになってきたのもまた事実。それは逆説的ではあるが、きっと素敵なことだ。

たかがガレット、されどガレット。巷にあふれるガレットでさえ、毎年食べられる保証は誰の元にもない。アパートの部屋の前、重く回りにくい鍵を力を込めて開けながら、来年のエピファニーにはおっちゃんを含むアパートの住人たちと一緒に、フェーヴの奪い合いをして大笑いしたいと心から願った。








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