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わかりあえなくても心強い関係性について

仕事で「価値観」を扱うことが多い。
私の講座やセミナー、授業を受けたことのある人なら、そのことを知っていると思う。

価値観とはわかりやすく言えば、
『自分にとって何が大切で、何が大切ではないのか』
のようなものだ、と前置きをして話を始める。

もう少し深めてみると、それは、
『自分の考え方や判断の基準』のようなものでもある。
だから自分の価値観は、とっさの出来事や感情を揺さぶる出来事に対応するときの自分の態度に表出しやすい。

何らかの判断をして決断をしたときに、自分の価値観が脅かされているとモヤモヤすることがある。
自分の大切なことを自分で置き去りにしたか、もしくは自分が大切にしていることを、他者から大切にされなかったと感じるような場面がそれだ。

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『多様性』というものがある。
わかりやすく言えば、「それぞれの違いを認め、わかりあおう」ということになるのだと思う。

一方でそれがとても難しいことに気づく。
「それぞれの違いを認める」ところまでは可能だ。
しかし「わかりあう」というのはとても難しい。
相手と同じ考えになることとは違うし、またその違いをわかりあおうとすれば話し合いが必要であるし、話し合った結果、結局わかりあえないことだってある。

話し合いもせずに「簡単にわかりあった風」というのもあるが、それが多様性なのかどうかは私にはわからない。

だから私は「わかりあえないことが前提」と伝えている。

そもそも全ての事象においてわかりあえる関係性のほうが稀である。

大切なのは相手と考え方が異なっても、その意見に耳を傾けることであったり、伝えることを拒まれない関係性そのものにあると思っている。

『多様性』は聞こえがいい言葉だが、実現にはその場を共有する全員に努力が求められる。
ときには健全に衝突をしまくることもあるのだ。

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多様性に話が逸れたが、価値観に話を戻そうと思う。

私は人の価値観に触れるのがとても好きだ。
趣味嗜好が同じであることよりも、その人が大切にしている考え方や構え方が、態度として表出されている場面に触れることが好きなのである。

仕事でも家庭でも、誰かと活動を共にしていれば、相手が何を大切にしているか、折に触れ知る場面があるのではないだろうか。

だからこそ、こういうこともある。
「あ、いまこの人価値観を譲ってくれたよな」と、相手の態度から気づくような場面だ。

いつもなら自分の大切にしている考えを貫くはずの相手が、今日は私に合わせてくれている。
話し合いの中で、それぞれが大切にしていることをわかちあった結果、相手が譲ってくれることがないだろうか。
(もちろん自分が譲るときもある)

一方的に論破するのではなく、お互いに大切にしていることを聴き合う。
もし相手が自分に譲ってくれたなら、相手が「何を譲ってくれたのか」に気づけると、それは愛おしさにすら変わることがあると勝手に思っている。

複数で活動をしていると、他者同士の話し合いの中で、それぞれに何が起きているのかを垣間見ることができて、やはりここでも誰が何を譲ったのかに気づくと、なんとなくそこに愛おしさのようなものが芽生えるのである。

譲ってもらったほうは、そのことに気づけることも大切かもしれない。
自分の意見のほうが優れていたわけではないことも多い。
ときに相手に譲ることも大切にしたい。

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わかりあえなくても、相手が何を大切にしているかや、何を譲ってくれたのかは、自分が知ろうと思えば知ることができるものだ。
知りたいと思ったら相手に聴いてみたっていい。

そして、相手を知ろうとすること、わかった風を装うのではなく、相手が伝えきるまで聴ききることも大事だ。
それは、自分のことを伝えるときも同じかもしれない。
そういうことが歓迎される相手に出会えると、私は人生の幸福度が上がる。

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先日、私が自分らしくない決断をしたことがあった。
とあることで、友人と合意形成が必要な話し合いをしていた。
意見が割れに割れ、私は自分の考えがどうにも理解してもらえないと判断し、割と早い段階で説明をあきらめた。
「もうあなたの考えの通りでいいです」と、結構乱暴に相手に譲ったのだ。

すると意外な言葉が返ってきた。
「え、説明が足りてなくない?」と私に聞き返してきたのだ。
だから「言葉を尽くしてもわかってもらえそうにないので、今回はあきらめます」と正直に伝えてみた。
そうしたら再びこう返ってきた。

「あー、それはダメなやつだ。言葉を尽くしきってもらっていい?ちゃんと聴きます」

相手は「私」という存在そのものが大切というより、「わからないものをわからないままにしたくない」ということを大切にしている人だと日頃から思っていた。
このまま簡単に譲られるわけにはいかなかったのだろう。
併せて、普段はかなり丁寧に言葉を尽くすタイプの私が、簡単にかつ乱暴に譲歩したことに違和感を覚えたのだと思う。

違和感をそのままにせず、本来互いに大切にしていることに軌道修正しようと試みてくれたことが嬉しかった。

話し合った結果、私が出した結論に対して、
「それはあなたの決断ですか?」ともう一度聞かれたので、
「あなたも合意でいいのですか?」と聞き返す。
この丁寧なプロセスが心地いい。

決して日頃から仲がいい、という類の友人ではないが、頼りになる存在のひとりだ。

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組織など、人数が増えれば増えるほど、その場にはたくさんの価値観があふれ、わかりあうことには難しさが増す。
だからこそ、他者が何を大切にしているのかを知りに行ってほしい。
相手から教えられることもあるが、コミュニケーションの場面から、相手の価値観が見えてくることも多いはずだ。

リモートワークでチャット文化が根付き、言葉の選び方、タイミング、反応、声掛け、主語の方向(自分か相手かなど)などが可視化され、なんとなく相手が大切にしていることの一部がわかる要素があるように思う。

そのことに気づいたら、黙っていてもいいし、相手に伝えてみてもいい。
離れていても、わかりあえなくても、自分が大切にしていることを知ろうとしてくれる人がいること自体が、実はすでに心強いことなのだ。

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