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昨日と今日と、あの日のこと

昨日、美容室に行ったときのこと。

シャンプー台に腰かけたら、いつも殺風景なはずの目の前の棚に、大きな二つの風呂敷包みが、丁寧に並べて置いてあるのが目に飛び込んできた。
美容師さんに、「あれはなに?」と聞いたら、「明日、成人式なんですよ。」と教えてくれた。

シャンプーをしてもらいながら、ずいぶんと前に、自分が着付けをしてもらった美容室の風景を思い出していた。

自分の着物姿の光景は、実は後に写真で見た姿しか思い出せない。
あの日覚えているのは、嬉しそうに着付けをしてくれた、美容室の小柄な奥さんと、その様子を嬉しそうに見ている、鏡越しの母の姿だ。
当時、ペラペラに痩せていた私に、「タオルがもっといるわ!」と言って、私に抱き着くようにして、汗をかきながら着付けをしてくれた奥さんの笑い声と、それに重ねて笑う母の声は、店の壁のオレンジ色と同じように明るかった。

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シャンプーが終わって、二つの風呂敷包みをもう一度見た。
座席を移動してしばらくすると、店のドアから大きな荷物を持った男女が入ってきた。
明日、お子さんの着付けをお願いしている、ご両親のようだった。
風呂敷包がもう一つ増えた。

鏡越しに、嬉しそうなお二人の表情が見えた。
成人式は、親のイベントでもあるんだよなと、いつかの鏡越しの私の母を思った。

男女と入れ替わりに、再び大きな荷物を抱えた女性が入ってきた。
明日、成人式を迎えるご本人のようだった。
大きな袋がまた一つ増えた。

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明日、荷物の中身を纏うであろう4人の主たちに、仕事で会う若者たちの姿を重ねた。
学生もいれば、働いている人もいる。
若さに悩ましさが重なって、ややこしい年代だ。
いつも何かが物足りないと感じているのだけれど、何が物足りないのかを言語化できない自分に腹がたつような。
グルグル回っては、急上昇と急降下を繰り返す、頭と心。

19歳のときと何が変わったかと聞かれても、大して何も変わっていないのに「成人」と呼ばれてしまう、小さな理不尽のような感覚。

先日、とある学生が「あのとき自分は人間じゃなかった」と話してくれた。
その意味をすっと受け取れたのは、日頃から学生と接しているからなのか、そのときカウンセラーという役割を担っていたからなのか、当時の私のグルグルを、言語化してくれたと感じたからなのかはわからない。

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2019年、成人の日。
晴天の東京。
新成人のみなさん、おめでとうございます。
新成人を送り出す親御さん。
親も20歳。おめでとうございます。


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