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完全な仕上がりじゃない

親も。
上司も。

残念ながら、ごくごく普通の”ただの人”だったりする。
私もそうだ。

私は仕事に行くと、職業柄「先生」と呼ばれることが多い。
この仕事を始めた当初は、自分が「先生」と呼ばれる職業であることを自覚しておらず、
そう呼ばれても、自分のことを呼んでいると気づかないことも多かった。
全くひどいもんである。

「先生」と呼んでいただくに値する人間にならねば、と思ったこともあるが、
残念ながら、今も大きくは変わらないままだ。
日々の失敗やうまくいった事例から小さく学び、小さく前進、今できる最善を実践するのみだ。

仕事を通し、たくさんのご相談をいただく。
その中でも、職場の人間関係や、親との関係性についての内容がとても多い。
人生の問題の多くは、身近な対人関係にあるのだと感じる。

「親」や「上司」や「先生」などは、その人が人生の中で担っている役割に名前を付けたものだ。

人生役割の担い方については、対人関係を通して自主的に学ぶしかない。
研修などの学習機会もあるが、それは一時的な学びで、その後も自分の対人関係の中で応用し、研鑽を積む必要がある。

恐らく私たちは、その役割をどのように担ったらいいのかわからないままに生きている。
何らかの学習をしていたとしても、完全な仕上がりじゃない。
そしてきっと完全にもなれない。

だから他者の人生役割に、過度な期待はしないことだ。
「親はこうあるべきだ」「上司はこうあるべきだ」と思っていると、そうではないことが多い。
もし「こうあるべきだ」が外せないなら、自分がそこを目指せばいい。

役割を外して、その人の在り方そのものを観ることも、ときに大事だ。
役割がうまく担えていない、もしくは学習中であったとしても、素晴らしい人格の人も多い。
そこが観えたなら、共に学んでいけばいい。
人生役割名を乱用した悪意しか観えないなら、離れればいい。

お互いに完全な仕上がりではないことを知り、学びあえる関係こそが大事だ。
そう思うと、不完全な者同士のほうが、対人関係は楽しいのかもしれない。


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