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#9 選挙の日の朝

 選挙に行って、図書館に寄って、海へ行き、少し本を読んでから歩いて、帰ってきたら疲れた。ああいう、じゅわーっとした疲労感は、時々来る。鉄板焼きみたいな、熱した鉄板の上にかけた水がじゅわーっと目の前で蒸発していくような、水を飲んでも、飲まないよりいいけど、全然おさまってはくれない熱っぽい感じ。夜、お灸をしてなんとか整える。

 というか、選挙に行く前の朝の時点で、神奈川県知事選で誰に投票しようか、候補者についてネットで調べているうちに、私はみるみるどんよりしてしまっていた。すごくよく言えば、ある程度の平和がそれなりに達成されている社会の姿のひとつということなんだろうけど、自分の想像していた平和の姿とあまりにかけ離れてて、今、日本中こんな感じなんだろう。

 あの日の朝、何が私をどんよりさせたのか、もっと具体的に言うと、現職で知事に当選した黒岩さんが過去に不倫相手の女性に送ったというメールの文面だった。不倫って言葉自体ちょっと嫌なんだけど、それより何よりあのガラケーメールを目にして私はものすごくくらってしまった。みんな言ってるキモいとかそういうのは別にいいっていうか、付き合ってる相手とプライベートでどんなメールのやり取りしようがこちらの知ったこっちゃない自由だから楽しんでくれたらいいし、その中から選りすぐりの二人だけのおたのしみをたまたま目にしてしまったからと言って、「キモい」とか言っても仕方ないし(言うけど)、じゃあどうしてあんなにもくらってしまったかと言うと、「俺はこの女を支配している」という、あのメールの書き手が持ってた疑いない感覚が、あのガラケーの画面の、隅々の隅々まで、まんべんなく行き渡り、立ち込め、たまたま目にしてしまった私の喉元あたりまで、むんむんとせり上がってこちらに回ってこようとしていた。俺の支配のダンスがあそこまで成り立っているということは、あれは裸の王様の腹おどりみたいに見せられてるけどそうではなく、俺に手をとられてずっと一緒にダンスを踊ってきた存在が確かにいる。そのダンスや踊り手たちをおぞましいものだと思うことは簡単だけど、そのおぞましいと感じるバランスの中で、何かがぴたっと合ってしまって、そのままその特異点みたいな均衡点のまわりを、そこだけ時間が止まったみたいに、後から振り返れば信じられないほど長い間、疲れ果てて足が棒になっても、手が上がらなくなっても、はたから見たら滑稽な姿のまま二人ともどうしても踊り止めることができずにいる、そういう世界のことを、その世界にある少なくとも一瞬は甘美な魔力のようなものを、私たちは知っている。男と女。それ以外の様々な関係性の大小の中で。平和のためにふだんなるべく近くに寄らないようにしているあの世界の毒が、選挙の日の朝、もはや意味をなしてない民主主義の割れ目から、壊れ切った日本語と一緒にバリバリと音を立てて私の喉元まで締め付けてくるとは、うっかり気を抜いていてやられてしまった。私もそれだけふだん平和にのんびり生きているということだろう。

選挙の日の午後の海。


 投票後、海に行くと、キラキラと輝いてものすごく美しかった。ここから海を眺めていると、美しかない。地球ってすごい。しばらくたたずんでいるだけで浄化されていくような気持ちになって、でも足元を見ると、波打ち際に、流れついたプラスチックの使用済みタンポンのケースが落ちていて(海岸によく落ちている)、私はもううまく言葉にならない気持ちになる。とにかくたくさん海の写真を撮った。タンポンを避けて、ゴミの見えない方を向いて。

 言葉にはならなかったけど、曲が出てきた。
 投票に行こうとシャワーに入って支度していたら、さっき見た黒岩知事の過去のメールの中の言葉が、歌になって私の口から出てきていた。好きとかいやとかそういう次元ではなく私の身体を通過していっているということなのか、聴いたことあるようなないようなメロディといっしょに、あのメールの中に見た言葉がいくつも出てきて、それを私は前から知ってる曲の鼻歌みたいに、シャンプーやトリートメントをしながら、新しい歌詞の新しい曲をスラスラ口ずさんでいた。シャワーの水音のおかげもあってか、あれかなこれかなとコードを考えながら何度かくり返して歌っているうちに、意外なことに少しずつ気分がよくなってくる感じがある。涼しげなボサノバのような曲。

 一体何が起きているんだろうな。昨日の朝はほとんど泣いてるようになって起きた。神奈川県の未来を嘆いてとかそういうのではなく、よくわからない不安のようなさみしさのようなものが起きたと同時にあって、ほとんど泣いいている状態で起きて、あれあれどうしたのえりちゃんと自分でも少し驚いた。とにかく出てきた以上は出しきったほうがいいだろうと思って、昨日はあの知事のメールの歌を曲らしく仕上げて、amazonから届いたスマホ用三脚を使って短い弾き語り動画を撮って、ほとんどそれで一日が終わった。本当はギターで弾き語りしてみたいけど、ギター弾けないからなんとかピアノで。題名はまだない。何になるかな。

 シンガーソングライターと紹介されると申し訳なくなるくらい、私は意図して曲を書くことがあんまりできない。歌はほんとうに不思議。私から出てきても自分の歌じゃないみたい。かと言って、この歌が黒岩さんの歌ってわけでもないだろうし、元不倫相手の女性の歌ってわけでもないだろうし、何が起きているのかわからないけどもう歌になっていて、私はそれを歌っている。木曜日の弾き語りのライブで歌ってみようと思う。それがどういう行為なのかもよくわからないけど、歌というもの全体の、決して自分だけのものではないという以外全然よくわからないわからなさの中で、それでも声を出して歌うということにはいつも喜びみたいなものがある。

 アメリカの友人から「元気?」と連絡があった。
 「選挙でちょっと落ち込んでる。ミニチュア版トランプみたいな知事が再選になって。」
と返事をすると、
 「でもいいでしょう。ずっとそこに住んでるわけじゃないんだから」
と言われて、ちょっとびっくりしてしまった。確かに台湾と行ったり来たりしているけど、こうして日本にいて、私はもうずっとここにいる気持ちになっている。たぶん私の何かはずっとここにいるだろう。私がいてもいなくても。でも台湾の家にも私はいつもいるような気がする。あの部屋の机で、窓に向かってこれを書いているような気がする。


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