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#20 アフガンの子守唄

 慌ただしくあっという間にドイツ。いつも本当にびっくりするけど、寝てたりぼんやりしたりしていば、自分の体がどこかに着いてしまう。乗り物に乗りさえすれば。まるで魔法みたい。だって日本で乗り物に乗って、寝てるだけなのに、目が覚めたらイスタンブール、とか、そこでもう一度また言われるままに次の乗り物に乗って、寝て、目が覚めたら今度はドイツに自分の体があるなんて、どういうことなんだ?といつも思う。飛行機での移動が増えれば増えるほどそう思う。終電乗って寝過ごして、目が覚めたら自分が浦賀に着いていて、本当にびっくりしたことがあったけど、それに輪をかけたようなびっくりだ。浦賀。イスタンブール。シュトゥットガルト。フランクフルト。

 明日からバッコスの本番が始まる。さあちょっと遠出してひと仕事、という時になると、その少し前から、まるで何か大きな渦の中に自分が入っていってしまったみたいな感覚が始まる。ライブが入るタイミングもなんとなく密になって、それ以外のいろんな仕事も、じわじわと、先のどこかにあるピークに向かってあちこちの方向から、まるで「私も!私も!」と参加者がどんどん増えてくるみたいに、仕事が増えて、のんびりしてる時の自分では考えられない数の人に会って、私はちょっと緊張してみたり、先回りして疲れたり、色々面倒くさくなったり、ということをしながら準備がだんだんできていって、最終的に、まあどうにでもなるわい!という気持ちになってきたあたりで、ビューンと遠心力がかかって、ぶぉーーっと飛ばされて、ちょっと先に着地できるような感じ。というわけでオッフェンバッハ。

 オッフェンバッハの街はほどよく小さくて、あんまり人がいなくて、暮らしやすそう。第二次大戦で街の多くが焼けてしまったらしくて、ヨーロッパの小さい街にしては新しいビルが多い。そういうところにも何か親しみを感じるのか。とにかく、あ、ここ住みやすい、とパッと思った。ベルリンでは全くそう思わなかった。稽古の合間、宿泊してるホテルの近くをぐるぐる歩いてみると、ここにいる人のほとんどは移民みたいだ。地元スーパーの店先のフルーツが全然違う。シーシャバーの中にくつろいだ大きな体が並んでいる。裏通りは男ばかり。白人があまり見当たらない。アジア人は今のところゼロ。中国人さえいない。観光客も皆無。ここにいる人はみんな他人に興味なさそうで、でも話してみると少ない言葉のやり取りの中にやさしさをはっきり感じる。緑も鳥も多くて、川が近くて(マイン川)、私にはとても居心地がいい。

何もないと言われてるけどそんなことないじゃんと思って写真撮ったら、
たしかに何もなさそうな写真になった。街の中心地。

 
 稽古の帰り、みんなでご飯を持ってホテルの中庭で食べようということになって(中庭っていう文化すごく好き!)、スーパーで買い物した帰り、薬局に寄って、ちょっと気になったケバブ屋さんに寄った。ケバブって書いてあるんだけどなんとなく雰囲気が違って、メニューにもなんて書いてあるのか、ケバブという単語以外一つもわからない。肉の量が多い。店内の雰囲気が、よく見るトルコ系のケバブ屋と違って、とてもおとなしい。英語も、こっちの言ってることはわかってるみたいだけど、全てドイツ語で返事が返ってきて、他のお客さんとはドイツ語ではない言葉で話している。なんとなく目についたのを指さして、10分くらい待つけどいい?と聞かれた。たぶん。実際10分くらい待って、マダムと呼ばれてお会計をした。
 「 Where are you from? 」
 お店のおじさんが聞いて、台湾、と答えた。おととい、このケバブ屋の少し先にある電気屋さんで MacBook 用の充電器を買った時も聞かれた。台湾と答えるたび、みんな知ってるかな、と少し不安になる。乗ってきたトルコ航空では、座席についてるスクリーンの地図には、Taiwan とは書いていなかった。台湾だけ書かれていなかった。Ishigaki も Naha も Kagoshima も Jeju も全部表示されているのに、あの辺じゃあどう見たって断然大きい台湾だけ、 Taiwan とも、Taipei とも Kaohsiung とも、タッチスクリーンをどう拡大したって向きを変えたって、何にも表示されない。写真を撮って文句を言ってやろうかと思ったけど、なんだか嫌になってやめた。泊まっているホテルでは、朝食会場で偶然、台湾の女性と隣り合わせた。フランクフルトで自転車の見本市があったそうでそれに合わせて来ていたらしい。彰化の人。地図にはもちろん Zhanghua もなかった。
 そんな話はもちろんいちいち話さないけど、電気屋さんの若い男の子は、
 「知ってるよ。台湾。他の国から、ここは俺の国だ、と言われるなんて本当に嫌な話だよね。」
 と同情してくれて、友達になったような気持ちになった。ケバブ屋のおじさんはどうかな、と思ったら、おじさんも台湾を知っていた。
 「台湾、マッサージいいよね。すごくいい。」
 マッサージしてもらったことあるの?と聞いたら、あるのだという。ちょっとびっくり。台湾マッサージが有名なのって日本人の間だけの話ではないのか。
 おじさんにおじさんはどこから来たのか聞いてみた。おじさんはちょっと、え、俺?という感じになって、そして
 「 Afghanistan. 」
 と言った。ドイツで台湾人がアフガニスタン人をマッサージしていい気持ちになってもらっているんだなと思うと不思議な気持ちになる。私はおじさんにアフガニスタンと言われてもパッと何も出てこなくて、帰り道、おじさんの作ってくれた夕ごはんを持って歩きながら、あんなにいい絨毯があるじゃないか、good massage って言われて good carpet って返せばよかった、でもあの店には絨毯なかったな、っていうか台湾とタイ、もしかして間違えてないかな、タイマッサージじゃないのかな、おじさん、とかぼろぼろ考えている間に、そういえば去年の夏、アフガンの子守唄を習ったんだったと思い出した。秋田で歌うために。

 もう少し色々書きたかったんだけど、時間切れ。今日はこれから劇場で稽古とゲネプロ。とりあえず行ってきます。1年ぶりのアフガンの子守唄を聴きながら支度して。


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