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若さは観測されなければ死と同じ

先日、長年このために走っていたともいえる、自分の仇を自分で討つという出来事を経験し、ついにこの事実に気づいてしまった。「悟りなんかどうでもよかったのだ。」なぜなら、どうせ辿り着いてしまうから。ちゃんと自分に従っていたら、どう転んでも辿り着いてしまうから。そして、結果はすべて同じだ。100の光の境地。結果なんて、どうでもよかったのだ。わたしたちが目指すところは、帰るところは、たった一つだった。それが分かってしまった。不完全な過程だけが愛すべき唯物だった。そうしたら、急に丸くなっていく自分が、寂しくなった。虚しくなった。片割れを探して躍起になっているときにだけ発揮される、自分の爆発的なエネルギーが心の底から大好きだった。一番人間らしくて、美しいから。若さの象徴だから。それを自ら失うことだけを表面的にだけ追いかけてきたことに気づいた。一番美味しいところを、わたしは全部すっ飛ばしていた。その道中こそが、目的だったんだ。もう全部、やめよう。どうでもよかったんだ。何もなかった。初めから。自分で作った許せない仮想敵に対して、自分で仕返しをした。自作自演。ぜんぶぜんぶ、自分でやったことだった。けれど、何も後悔していない。だって、その心意気は、世界で一番かっこよかったから。大好き。楽しかった。ありがとう。

でもね。もういいんだ。分かったから。若さは、観測されないと、ないことになっちゃうからね。

どうも〜