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映し出される映像の奥に


2/10(土) 新橋駅最寄りのミニシアターで
同時上映された伴田 良輔監督の
『森へ island』(2022)
『道 パッサカリア』(2023)
を観に行きました。

年末にも『道 パッサカリア』を
鑑賞しましたが
ストーリーや脚本の無い映画は
初めてでした。

予測したり意味を考えたりすることは
雑音に感じて、目に映り込むそのままを
眺めるような感覚でいました
自分の中に沸き起こるものにも
気づきながら

うまく言語化できないけれど
生と死は、当たり前に同時に
いつもすぐそばある
そんなことが気配として感じられ
心も体も静かになっていく

人間、自然、モノ、現象に対して
上下や優劣などの差が無く
フラットな存在

一般的な映画と違って、
人間が主役だったり人間の視点が
前提になっていません、
私はなんだかそれに落ち着きと
安心感を得ました。

出演されている人は
そのままの、その方をその場に
差し出しされているようで
だからこそ醸し出される生々しさを
感じる、というより
感触として身体に起こります。

ゆっくりと動かれるその体が
砂時計の砂が落ちていくように
生と死が地続きでもあり
紙一重で翻る可能性があることを
浮き彫りしていく
私たちは生きながら
死に向かってもいて
死はいつもすぐそばにある

『道 パッサカリア』の後半に
学校の校庭で、三人の人が
弦楽器などを演奏しながら歩いている
シーンがありました。

上空から映すその様子には、
彼らの真っ黒な影が
くっきりと映し出されています。

人の動きについて
伸びやかに大きく動く影

真っ黒な影が気になり見つめていると
身体と影の主従が入れ替わり、
影が主体のように浮かび上がるように
見えました。
直前まで当たり前に
主とみなしていた、
生命活動が営まれている肉体が
影に追随いしている

そう見えた途端、
首筋がぞくっとしました

影(実体ではないと捉えられているもの)が
実は、主体で霊性であり
私たちの肉体は霊性のうちの
一部が表出し、生命活動を営んでいる
有限の事象ではないだろうか

三人の演奏者は演奏を終えると
なだらかな勾配の場所、
枯草の山のようなところに
横たわります、仰向けに

影は、寝転ぶ体の下に収まり
体と重なり一体化しています
まるで、物理的な体だけが全て、
影は存在していないかのように

私たちが日常、当たり前に目にしている
人や自然、世界の見え方に帰着しました。

世界の、この世の裏側を
ちらりと見せてもらったような
緊張というか怖さというか

できればDVDを入手して
日がな一日繰り返し再生したい
ぼーっと眺めていたい

監督は三作目を準備されてるそうで、
三部作として国内でも
配給される予定とのこと、
今からとても楽しみです。

それまでにBlu-rayプレイヤー
買おうかな

長々と書き記しましたが、
すんごいもん観ちゃった
そんな気持ちと余韻を味わっています

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