静かな海

海のような愛。 『陽だまりのかけら』でエッセイを更新中です。

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魔法つかいになりたかった、いつかの小さな女の子へ

魔法つかいになりたかった。 キラキラステッキをくるりと回してかわいい呪文を唱えれば、好きなあの子を振り向かせたり、今日のおやつの綿菓子が空に浮かぶあの雲くらい大きなものになったり、空飛ぶほうきに乗っていつもの街を自由に散歩したり。 悪者に出くわしてピンチになっても、素敵な音楽が流れてとっておきの衣装に着替え、最後にはニコニコ笑うそういう魔法つかいに。 おそらくそれは難しいようだと気が付いた私は、妄想の中だけでも魔法つかいでいようと思いました。 長い長い学校からの帰り道。

    • 勘違い

      「何から話せば良いのかな」。 悲しいことが多すぎる日常に何を添えれば、あなたに触ることができるのだろうか。 このまん丸の地獄は、いまに始まったことで無いと心のどこかではちゃんとに分かっていて、それでも私は。 考えて考えて心を尽くし、考えて考えて言葉を尽くし、それであなたにおずおずと差し出せば、きっと届くなんて、まだそんな夢みたいなことを思っている。 愛し合うことと、分かり合うこととは別物で。 愛すことと、愛されることは最も遠い場所にいる時があって。 2人が1人になることは永

      • 黄金色の小麦畑に君は誰を想う

        人生は複雑だ。異論は、申し訳ないけど認めない。 幸せも、愛も、痛みも、虚無でさえ、絡まり合ってどこから解いてゆくべきかわからない。 人生はマラソンだろうか。 人生は旅だろうか。 人生は雨だろうか。 終わりのあること、探し続けること、あるいは晴れ間がやってくることを表すそれらの比喩はどれも、いつだって私の人生にしっくりとくることはない。 私が大切に抱えてずっとずっと運んできた箱が唐突に開き、中身をまじまじと観察することになったその日。 この重み、さぞ美しく重厚なものが入って

        • いつか悲しみを超える時が来るのかもしれないとまで思う、あなたの表情のはなし

          「楽しい?」とか 「おいしい?」とか 「嬉しい感じの気持ち?」とか、 よく聞いてしまう。 ダイニングテーブルを挟んで向かいに座り、夕飯を頬張りニコニコするあなたを見ている時や、あなたの生まれた日を祝うべくサプライズデートに連れ出しキラキラと子どものように目を輝かせるあなたを見て、こちらまでにやけてしまうような時には、必ず聞いてしまう。 人によっては「恩着せがましいな」とか思われそうなものだけど、パートナーにそういったことを言われたためしは無く、必ず丁寧に答えてくれる。 「

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        記事

          悪夢から這い出てすぐに思うこと

          半袖Tシャツで、少し伸びた髪をキュッとまとめて過ごしています。 昼の間に充分に太陽を浴びた屋根の熱気は冷め切らぬようで、夜も蒸し暑く肌掛けを蹴飛ばしながら過ごす夜。 やっとの思いで眠りと現実の間に潜り込んだと思ったら、見るのは悪夢、なんてことがまあまああります。 二度と目の前に現れないでくれと願ったあの子の出てくる夢、退職したはずの会社でまだ働き続けている夢、無表情のあの人に罵詈雑言をただ浴びせ続けガラスのコップなんかを投げつける胸くそ悪すぎる夢。 起きると決まってぐっ

          悪夢から這い出てすぐに思うこと

          僕らがひとりである事のもの悲しさと安心感について

          早朝、ソファに埋まりながらひとり本を読んでいると、眠れない夜よりも世界がとても静かに感じます。 あるいはもう誰も居ないのかもしれないとさえ思う。 昔見た外国の映画のように、私がこの星に残された最後のひとりで、外を歩けど誰にも会わず数週間もすれば街は植物が生え放題になり、道路には鹿なんかが歩いている、そういう世界線だったらどうしよう。 そういう世界線だったら。 そういう世界線だったとしても私は、このまま変わらず本を読み続けるのかもしれません。 悲しむことを置いておいて、恐れ

          僕らがひとりである事のもの悲しさと安心感について

          グツグツグラタンを見ながら考える落ちた視力や世界のはなし

          今年に入ったあたりから、急激に目が悪くなった気がしています。 以前はキッチンの方にダイニングのテレビをぐいっと向けて、ちらちら見ながら夕飯を作っていたのですが、最近じゃあすっかりボヤボヤで、テレビを見たい時にはメガネをかけなければいけなくなりました。 かといって、そこまでして見たいテレビもあまり無いので、テレビをぐいっとこちらに向けることもほぼ無くなり、ほとんど毎日ラジオを聴きながら夕食を作っています。 先日スーパーに買い物に行った際、メガネをかけ忘れて行ってしまいました

          グツグツグラタンを見ながら考える落ちた視力や世界のはなし

          彼女

          世界でただひとりだけ、わたしの事を自慢のお姉ちゃん、と慕ってくれる3つ下の妹がいます。 このエッセイを書こうと決めてから、改めて彼女はどんな人間なのか、じっと考えてみました。 ずっと同じ屋根の下暮らしてきた彼女。 子ども部屋で、周りは田んぼだらけの広い庭で、数え切れないほどの遊びを一緒に考え、どちらかが泣くほどの喧嘩をしても、姉妹ふたり他に遊び相手もいないので、結局文句を言いながら遊んでくれた彼女。 同じスポーツを始めた小学生の頃からは、子ども部屋も庭も飛び出して体育館

          遠距離恋愛に燃えていたあの頃

          次のエイプリルフールで、結婚して1年が経ちます。 付き合い始めてからはまる9年。 パートナーの仕事柄、3年半ほど遠距離恋愛をしていた時期がありました。 距離感は関東圏内にいたり、地球の裏側にいたり、まちまち。 私はその頃、彼の休暇に思う存分会いに行くべく、バイトを3つ掛け持ち。 かといって、新しく学び始めた言語をおざなりにする気はさらさら無く、2時間の通学を睡眠と授業の予習に充てながら、サークル活動や華のキャンパスライフとは縁遠い、直行直帰タフネス大学生になっていました。

          遠距離恋愛に燃えていたあの頃

          この春に降った雪のこと

          子どもの頃、「どうして雪の日は静かなの」と聞いたら、「フカフカの雪がたくさんの音を吸収してくれるからだよ」と誰かが教えてくれたことがあります。 だから雪の日は雲が重そうなのかとか、色々な音の色が混ざり合って黒い雲ができるのかとか、妙に納得した記憶があります。 本当かどうかはわからないけれど、その特別な静けさが私は昔から好きでした。 桜が咲いたとか、誰かが卒業したとか、大きな事故があったとか、海の向こうで誰かが泣いているとか、友人がバイクの免許をとったとか、他の友人が病気にな

          この春に降った雪のこと

          ヒーローのいないこの世界で

          あいつが悪いのだ!と指をさせたら、楽になるのだろうか。 心痛めるよりも、弱者を守るヒーローのような気分で、社会を傍観できるのだろうか。 悪者をやっつけて、パンチやキックで空の彼方へ吹っ飛ばすとたくさんの子どもが笑顔になるように、世界はそんな風で良いんだろうか。 尊い犠牲なんてものは無いと、私は思います。 みんなどんな国どんな境遇の人だって、犠牲になんかならなくて良い。 そこにあるのは悲しみだけだから。 間違えたリーダー、間違うリーダーを担ぎあげた誰か、間違いを止められなか

          ヒーローのいないこの世界で

          あの日の空の色を覚えているか

          卒業式が設けられている別れは良い。 ちゃんとにさようならと言えるから、またご飯に行こうなんて気休めを言い合えるから。 日常を過ごしていると、そうとは言わずにいつの間にか触れられなくなる空間や、生き物があります。 布団に潜り、部屋の電気を消して、眠りに落ちるまでの永遠のように感じる長い長い沈黙。 寒い夜のせいか、今は絶対に再現しようとしてもつくり得ない、さようならも言えぬまま居なくなってしまった瞬間の事を思い出す日があります。 あの夏、妹とナスやピーマンを小さな四角に切り

          あの日の空の色を覚えているか

          ひとりだってちゃんと生きられるあなたと

          どうしてもやらなければならない事があり、しばらく家を空けていました。 あれやこれやとバタバタ過ごし、自宅に帰ってきた数日前のこと。 高速バスを降り、電車に乗り、家に向かって歩く。 ゆっくり、良いことも悪いことも自分のことだけに思考を巡らせる贅沢を感じ、重い荷物を何度か背負い直しながら、帰ってきました。 これは本当に不思議なことなのですが、その道すがら、「そうだ、夕飯にあれを作ってみたいのだった」とか、「今年はこんなこともしてみたい」とか、「あの人は元気だろうか、久しぶりに

          ひとりだってちゃんと生きられるあなたと

          僕らいつまでも子どものまま

          新しい年のはじまり。数日間はいつも、新鮮に感じる空気やお笑いだらけのお正月特番にうきうきして過ごします。 ただそんな夢心地も束の間、淡々と揺るがない冷たさを伝えるニュースが帰ってきて、みんなが日常に帰っていく1月の前半戦が、どうも苦手です。 私だけが温かいこたつに足を突っ込んだまま、ひとりリビングに取り残されてしまったような、まだもう少し黒豆をつついていたい気持ちを隠さなければいけないような心地。 子どもの頃は、大人になったらきっと「大丈夫」になると思っていましたが、私はお

          僕らいつまでも子どものまま

          なんでもない日、おめでとう

          先日、パートナーと久しぶりのデートに行きました。 コロナ禍になるまでは、年に一度その年をふり返るための旅行に行っていたのですが、今年も日中のデートに差し替え。 少し奮発して、少しいい感じの焼肉ランチを予約しました。 予約の段階から、雲丹のせ肉寿司ありのコースにするか否か、肉ケーキ(インスタで見かけるお肉でホールケーキを模したあれ)はある方がテンションが上がるんじゃないか、ご飯か冷麺どちらを選ぶかで「あーでもないこーでもない」とかなり悩み、予約が完了する頃にはハイタッチを交わ

          なんでもない日、おめでとう

          誰かに何かを贈るとき、考えていること

          誕生日、クリスマス、各種記念日、なんでもない日。 贈り物チャンスタイムは一年のあちらこちらに潜んでいます。 自他ともに認めるプレゼント魔のわたしは、だいすきな人たちにプレゼントを渡せるチャンスはないかと、しょっちゅう隙をうかがっています。 この習慣はおそらく子どもの頃からで、庭で遊べば「かわいいお花が咲いていたから」と野花をブーケにし母に贈り、宿泊学習で陶芸体験があると聞けば家族の誰に贈ろうかと考えていました。 我が家ではプレゼントが頻繁に贈り贈られる傾向にあり、誕生日は

          誰かに何かを贈るとき、考えていること