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本気と、甘さと


「本気」なんだけど

スペシャリストとジェネラリスト。自分はどちらを目指すのか?という文脈で、大学時代によく聞いた言葉だ。特化してやることで、誰よりもうまくやれることは、どうもひとつもない人生を歩んできた気がする。小さい頃だって。勉強も運動も、兄には勝てない。きょうだいの誰より好きで練習するのも好きだったエレクトーンも、兄にも、同級生の友人にも技術的に勝てない。絵を書くことも、お習字も好きだったけど、妹の方がどうしたって上手。部活ではうまくなるどころか身体を壊して通院する羽目になるし、自分で一生懸命調べて、勉強していても、スペシャルな成績をとることもなく、表彰されるようなこともない。本気でやってるんだけど…。

誰よりも優秀、誰よりも斬新なアイディア、というのは、本当に残念だけど、できない。でも。どの瞬間も、一生懸命やる。とにかく丁寧にやることは、できる。好奇心を持って、フットワーク軽く動くことができる。自分は、なんらかのスペシャリストになることはないだろう。でも、スペシャリスト同士の隙間を埋めるような、浅いけど広い守備範囲をもつジェネラリストにならなれるだろう、と考えた。

実際、会社員時代は、技術者集団の中で、スペシャリストがこぼす球拾いに奔走することになった。誰もやらない、やりたくない、けどやらないといけない仕事はたくさんあった。フットワーク軽く走り回った。上司からは、その他業務を任せる人という認識ができたのか、いつのまにかいろんなことを経験させてもらった。全社の研修企画をし、CS調査やら経営会議の議事録とり。そのうち、会社としては懐疑的な新規事業を担当。謎の守備範囲の広さだったと思う。

それでもいつもスペシャリストの設計者から貼られる「設計できないやつ」のレッテルが重くて跳ねのけられずにいた。スペシャリストが、スペシャリストにしかできない仕事を存分にやる環境を整えることが、私にできる一番の存在価値だ、と信じてやってたんだ。でもなー。いつも悔しかった。本気なんだけど。

感じる「甘さ」

そうやってスペシャリストにはなれないまま、スキマ産業を埋めるようにあらゆる事務方を担ってきたのだけど、いつもどこかでスペシャリストへの負い目が拭えずにいる。最近の地域の会議で、団体の代表者として参加しているんだけど、一緒に席を並べる人達が「警察官」「看護師」「学校長」「施設長」…そんな方々が、仕事上で直面している課題のエピソードを聞くと、なんと重いこと。なんと大変なことか。たくさんの種類の仕事はしているつもりでいても、スキマ産業で埋めている雑務など、やはりスキマごとでしかないのかもしれない。やっていることの「甘さ」を感じてしまうのだ。確かに「本気」だし、私のできる限りのことを尽くしているのだけど、それでも、スペシャリストの仕事は尊い。本当に。敬意しかない。

それでも。私にできることを。

今日は、デザイン事務所の研修があり、経理スタッフと話をしていて。これからやろうとしているNPO法人設立にかかる会計業務のことを相談したら、任せてください、できますよ、とスペシャリストな返事をいただき感激。技があるって本当にすごい。助かります、というと、「いや、私はぶら下がることしかできないから。自分でつくりだすことはできない。自分で行動してつくりだしている人から、相談を受けて、私の作業でお役に立てるならやらせてもらうだけなんです…」という返事。

重さ軽さ、ではないし、甘い甘くないでもない、と思いたいだけかもしれない。でもそれしかできないから。それならできるから。私にできることを、焦らずやるしかない。

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