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3.11とコロナ禍のClubhouseで今、思うこと。雑感。

3月の日曜日の昼下がり、ベランダでビールを飲みながら、その様子をツイートして、考えるとはなしにいつの間にか考えていたのは10年前の東日本大震災のことだった。正確には、その後三日間で起きた出来事。今気がついたが、その時の経験が子育てとの両立をしながら歩み始めるウエディングプランナーの第二の人生の礎になっているのかもしれないと思っている。

3,11は金曜日だった。震災から2日後の日曜日に育休を終えて出社する。その次の月曜日、3/14に後輩の結婚式に呼ばれていた。その時の葛藤と自分の稚拙さを今も忘れていない。思い出すと少し胸が痛み、苦しくなる。

2021年に戻そう。世界は今、新型コロナウイルスの脅威に晒されていて、新しい音声型SNSが流行っている。人と人が物理的に分断された世界で、インターネット上の音声とチカチカ光るアイコンが、人がそこにいる温もりを伝えている。
そのClubhouseでのウエディング業界の若手のルームでは、今のコロナ禍に対するプランナーさんたちの思いが語り合われていた。結婚式の仕事に注ぐ熱い夢と信念を、皆が一生懸命シェアしあっていた。

私はぼんやり彼らの話を聞いていた。そこに「佐伯さんが来てくれている。喋ってくれるかな。」と声がかかる。携帯のアラートが鳴り、画面ではスピーカーに上がるように促すメッセージが表示されている。今の気持ちがまとまりきってない自分に、一瞬戸惑う。今日の私に、彼らに差し出せるものがあるのか。あるとしたら、この話しかない。だけど、がっかりさせてしまうかもしれない。そんな整理のつかぬ気持ちのまま、スピーカーに上がった。

あの日私は生後3ヶ月の長男をバウンサーで寝かせ、2日後に控えた職場復帰の準備をしていた。ソファに座って、考え事をしていた。感覚を『お母さん』から、『支配人の佐伯さん』に戻すために。

揺れは突然やってきた。子供を抱き抱え、テーブルの下に潜る。脳裏には、1ヶ月前のニュージーランド クライストチャーチの地震で全壊したビルの姿がよみがえる。大変なことが起きていることはすぐに分かった。子供をしっかりと抱きしめた。

次の日は日本中で情報が錯綜していた。都心に近いコンビナートでは爆発や火災が起きていた。人々が津波に飲み込まれたことが報道されていた。福島第一原発には、緊張が走っていた。私は、余震が来る度に小さな子供を抱きかかえていた。

その次の日、混乱した職場に復帰した。復帰した途端に、店舗責任者であった私は今までに経験したことのない意志決定の連続に迫られていた。そして、政府からは電力確保のために地域ごとに『計画停電を行う』という方針が発表された。

当時、私の父は東京電力の社員だった。私の会社では、夜通し幹部会議が行われている。私のもとには絶え間なく会社からの電話がかかってきた。『計画停電のスケジュールはわからないのか。なんとか先に教えて欲しい。』父に聞いてみる。『申し訳ないけれど、お父さんたち営業所の職員も、テレビで本店の意向を知るような状況なんだ。会社の中は混乱している。分かったら教えてあげたいけれど、難しいと思う。』FUKUSHIMA50という映画が、コロナ禍でオンライン配信されましたが、ご覧になった方はいますか?全くの想像だけど、父の様子を思い出すと、あの感じが東京電力それぞれの営業所で行われていたのだと思う。父もずっと会社に詰めていた。実は子供の頃、私は雷が嫌いだった。なぜかというと、雷が鳴ると、父が大慌てで会社に行ってしまうから。万が一の停電に備えて、その日は会社に泊まり込み、絶対に帰ってこないから。窓の外の稲妻を眺めて『どうしてパパはいないの?』と母親に聞いていた。昔は今よりも本当によく夕立が来ていたし、ちょっとしたことで家も信号も停電していた。幼い私にとって、暗闇は怖かった。だけど、光だけの問題ならまだいいのだ。常に電力を必要とする医療器具を使っている人や、信号機やシステムや、その他社会の安全を守るために東京電力の社員は家族を置いて家を飛び出す。世間の灯りを守るために。組織の実体や裏の話は知らない。私がいま語っているのは、ひとりの人間の信念とプライドに限った話である。

会社は焦っていた。それはもちろんこの週末にも結婚式が控えているからだ。しかも、3/14(月)には従業員カップルの結婚式も控えていた。私もご招待いただいていた。

いつ起こるかもわからない計画停電に結婚式を実行するのかどうするのか、それも話し合われていた。電源車の確保をするべく各所に問い合わせた。電源車は全て東北に向けて出発していた。当たり前だ。未曾有の大災害なのだ。優先度合いが比べ物にならないと言われた。

新郎新婦の意向は、『やる』とのことだった。会社からの電話は鳴り止まなかった。これ以上父には聞けず、私は返事をのらりくらりと伸ばしていた。母は生まれたばかりの孫を心配して、沖縄(夫の実家)に避難しては?と勧めてきた。家でも会社でも、私は常に意志決定に迫られていた。

結婚式の朝がきた。
『今、やるのか。』と正直、思ってしまった。
停電になったらどうするのだろうか。放射能汚染が群馬まできていたらどうするのだろうか。延期は考えないのだろうか。
小さな息子を抱えて、私は会場に向かった。

だけど、結婚式の会場は、良い意味でいつも通りだった。私がよく知っている、幸せと感謝の気持ちに溢れていた。二人によって準備されたものはどれもゲストを喜ばせたいと思う心が形になったものだった。私がいつも仕事で創ってきたもの、後輩たちに伝えてきたもの。たくさんの笑顔と清らかなコンパッションしかなかった。計画停電は行われず、結婚式は安全に楽しく温かに遂行された。

最後の挨拶をしている時の新郎の姿は今も脳裏に焼き付いている。

『結婚式を行うことを、本当に、本当に悩みました。だけど僕たちにとってはこの日でした。来てくださって、ありがとうございました・・・!』

ずっと幸せそうに笑っていた笑顔の彼はそこにはいなくて、言いようのない痛みと苦しみに耐えながら、感謝の気持ちをなんとか絞り出しているようだった。そう言えば、新婦の父も東電の社員だった。

誰もが大変な時に、自分のことだけを考えて心から二人のことを応援することができなかった自分を猛烈に恥じた。結婚式の価値も、準備の大変さも、新郎新婦の真心も、スタッフの誠意も、全部分かっていなくてはいけないはずの私が、『いまやるんだ、延期したりしないのかな。』と思ってしまったことに。彼らの人生を丸ごと抱きしめて応援してあげるべき立場の私が、一瞬でも延期して欲しいと思ってしまった。ウエディング事業者として一番の背徳行為だ。彼のスピーチを聞きながら流していた私の涙は、半分はこの困難を乗り越えて今日を迎えたことへの感動で、残りの半分は果てしない後悔と自責の念だった。

『だからきっと私はあの時、ガイドラインを作ることを思いつけたんだよ』と彼らに伝えた。
あの苦しい痛みを少しでも無くすことができるように。間違えた認識の感染症対策で、意味なく傷つくカップルがいなくて済むように。結婚式という美しい文化が長く人々に必要とされ愛されるように。誰もが迷う今に、進むべき方向を照らす光を届けるために。

一年前、コロナが世間に広がり始めた頃、私たちは結婚式をやるかどうか迷っている新郎新婦やご家族、参列するゲスト、受け入れる事業者のみなさんが、やるにしてもやらないにしても、とにかくなるべく『自分たちにとっての』正確な判断ができるようにと『新型コロナウイルス感染拡大における結婚式ガイドライン』をリリースした。(詳しくはSUEHIROのnoteをご覧ください)あの日の私のような思いをする人が、一人でも少なくなるようにという願いを込めて。あの時どんどんリツイートされて行ったガイドラインは、Clubhouseが始まった今になって、お会いしたことのない全国の事業者さん、カップルさんから『参考にさせていただきました』とフィードバックをいただいている。誰かの力になれたという事実を感じることができて、リリースしてよかったと心から思っている。正直、ほっとしていると言っても良いかも知れない。

結婚式の次の日あたりから私の住むエリアでも計画停電が始まった。その時が来ると、ぷつんと、家中の全ての電力がストップした。私はそっとカーテンを開けて外を見た。子供はすやすや眠っている。窓の外に広がるのは、果てしない漆黒の闇だった。その時私は『ああ、本当の世界はこういうものだったのだ。』と思った。夜が来れば地上は闇に飲み込まれる。不安に包まれる。得体の知れない恐怖が襲ってくる。でも、人は暗闇に負けない。強く生き抜くためにそこに火を起こし、明かりを灯したのは、紛れもない人間の英知なのだ。これは、何年も後に聞いた話だけれど、父はあの3.11の夜、一人暮らしのお年寄りの家に手動の発電機を持って行って、二人の職員で交代しながら夜通し医療器具に電力を送り続けていたそうだ。

様々な人生経験を乗り越えながら、約20年に渡って結婚式を見つめ続けてきた私が今感じているのは、結婚式という文化を守るのは、そこで仕事をさせてもらっている私たち自身であるということである。他の誰でもない、私たちが、他人事でなく自分ごととして、真剣に結婚式に向き合う。漁師が海を愛するように、自分たちの海は自分たちで愛し守らなくてはならない。そして、例え小さくてもたくさんの明かりを、そう、人々の未来に温かな光を灯していける仕事をし続けたいと思っている。

3.11とコロナパンデミックで失われてしまった全ての命への追悼の意と、困難に立ち向かう人々の真心と勇気への敬意、そして海よりも深い自戒の心を込めて書きました。SUEHIROを通しては、いつでも結婚式文化の一歩先を照らしていけるような活動をしていきたいとイメージしています。うまくいかないこともあるかもしれないけれど、これからも『現役ウエディングプランナー目線』を貫きながら一生懸命模索していくつもりでいるので、応援してもらえたら嬉しいです。今この時まで、家族にも誰にも話していなかった話です。最後までお読みいただきありがとうございました。

お読みいただきありがとうございます。 いただきましたサポートはより良い結婚式創りのために大切に使わせていただきます。結婚式には、誰かの幸せを増やす力があると信じています。結婚式に触れることで、人々の心を温め続けることができる世界を目指しています。