見出し画像

走ることを考え、コロナ禍の結婚式のことを考える。

実は私、昨年末、約1ヶ月の間に立て続けに2回、交通事故に遭いました。1回目は車に乗っていて、信号待ちで後ろから追突される事故。2回目はコンビニの駐車場で、お店に向かって歩いていたら、後ろからきた車にぶつけられてしまう事故。幸い、私に気がついた運転手さんはブレーキを踏んでくれたので、遠くに飛ばされるとか、車の下敷きになるとかは一切なく、単に、派手にしりもちをついただけなのですが。診断は、「頸椎捻挫」と「打撲」のみ。2週間くらい、味覚はおかしくなったけれど、それ以外は「むちうち」と呼ばれる症状で、リハビリのために整形外科に行ったり、接骨院に行ったりする日々をもう、9ヶ月も過ごしています。今日はそんな自分の状況から感じた、本当につぶやきみたいなnoteを書こうと思います。

1.目に見えない怪我のリアルな痛み。

腰や首や膝など、痛みの残っている箇所を一生懸命リハビリしているのですが、まさか、あんな軽い事故で治療がこんなにも長引くと思っていなかったのは、他でもない私本人です。周りの人には、「しっかりみてもらった方がいいよ」と言われ、そうするね、と言ったものの、血も出ていないし、骨折もしていない事故なのだから、きっと1・2ヶ月で治るものだろうと思っていました。でも、実はいまだに、この目に見えない怪我、そして、時折「痛い・・・!」と声をあげるほどに激しい、膝や足首の痛みと戦っています。

結婚式の現場や新幹線や飛行機での出張に行く前の夜は、接骨院でテーピングを巻いてもらいます。なんだか、試合前のアスリートみたいでしょ。見えにくように黒のストッキングを履いて、いつものように黒のピンヒールで涼しい顔して会場を歩き回るわけですが、これが実はいつあの痛みが襲ってくるかの恐怖との戦いで。テーピングとはよくできていて、また、私の先生は超優秀なスポーツトレーナーでその巻き方も的確だから、幸いにも痛くて歩けなくなる、ということはなかったのですが。とにかく、テーピングを巻けば仕事ができる、ということだけは、本当に救いだったと思います。しりもちをついた背中のすぐ後ろ10センチのところには、私にぶつかった車の右前のタイヤがありました。結婚式の現場に立てなくなるほどの怪我、もしくは万が一のことになる可能性もあった中で、本当に、本当に、命があったことはよかったし、生活も仕事も、一応できている。

ただ、私にとって残念なことは「日課だったランニングができなくなってしまった」ということです。体の健康と、心の健康を維持するために、何年も続けてきた「走ること」。「そんなこと?」と思う方も、いると思う。よかったじゃない、二度も事故にあって、命があったんだから。走れなくなったことくらい、よかったじゃないって。でも、たくさん走るわけじゃないし、早いわけでもないけど、朝、色々なことを考えながら黙々と走るあの時間は、私にとっては自分と向き合うとても大切な時間でした。体の調子を整えながら、結婚式のことや、お客様のこと、新しいアイディアや、閃き、新たな気づき、よく走りながら舞い降りてきたものです。「そのうち治ったらまた走れるよね」って思っていたのだけど、もちろん、今も治ると信じているけれど、9ヶ月たった今も痛みが残っているという現実もある。

2.想像して痛みを重ねる。

走れなくなっている今は、筋トレをしたり、ヨガをしたりして体と向き合う時間を作りながら、調子が良い日はかつて走っていたコースを歩いたりしています。「ちょっと走ってみようかな?」と思うけれど、歩きながらも密かな痛みを感じているので、なかなか走ることはできません。何より、これ以上自分の脚を失うことが正直怖い。たとえば今無理をすることで、これから先ずっと痛みが取れなかったら。万が一、おばあちゃんになった時に、歩けなくなったら。そう思うと、やっぱり怖いのです。テーピングや湿布は頻繁に使用すると肌が荒れるので、包帯を巻いて、帰宅したら消炎剤を塗り、マッサージします。実際にこれを書いている朝も、昨夜30分歩いたからか、膝がズキズキしてる。今は梅雨時だから、脚以外にも、首や腰や頭がどんより重い日もあります。痛み止めの薬はこの9ヶ月、毎日飲んでいます。

昨夜は歩く道すがらで、「コロナで結婚式を延期せざるを得なかったカップルさんってきっとこんな気持ちなんだろうな」と、ふと思いました。誰も悪くない、不可抗力なできごとで、望んでいたことが叶わなくなってしまった現実。そして、それは、いつ終わるか、誰にもわからない。(ちなみに、運転手さんたちに対して私は1ミリも何とも思っていません。二人とも絶対にわざとじゃないしね。)

私が、「歩けなくなったらどうしよう」と心配していることは、「もし、私たちの結婚式でクラスターを出してしまったらどうしよう」と心配しているお二人の気持ちと、同じなのではないかな、と、今はそんなふうに思っています。

3.「よかったこと」を決めるのは誰なのだろう。

「生きてたんだからいいじゃないか」と励ましてくださる方がたくさんいます。もちろん、その通り。命には何事も変えられない。でもたまに「保険金もらえてラッキーだね」と言ってくださる方もいて、ユーモアだとは思うのだけど、私のこれから先の何十年分の失われるかもしれない走る時間のことを考えると、そんな微々たるお金とは全くもって天秤にかけられない、大きな喪失感を感じるのです。悪気がないのはもちろんわかっているので、私も笑顔で「そうだね」って言っているけど。

「結婚式ができるだけいいじゃないか」・・・延期したり、規模を縮小したり、会場を変えたり、本来なら払わなくてもよかった手数料を支払ったりしながら、それでもなんとか心の火を絶やさずに、一生懸命自分たちの結婚式を挙げようとしているカップルさんも、一度くらい他意のないこんな言葉をかけられているのかもしれない、と思ったら、歩きながら本当にいたたまれない気持ちになりました。そうじゃない、と。できればいいんじゃない。そんな簡単なことじゃない。たまたま、こうなってしまったけれど、本当はなんの心配もなく、楽しく、心からの笑顔で、結婚式に向き合いたかったはずだと。その笑顔の裏側に、もしかしたら隠した、または自分でも見ないようにしている、本当の痛みが隠れているのかもしれない。血は必ずしも目に見える、赤い色をしているとは限らない。

4.結婚の日は、人生でいちばん美しい日にしてあげたい。

ここまで書いてきて思ったけど、もしかしたらこの出来事は、結婚式の神様が、コロナが終わるまで私がちゃんと今のカップルさんたちの気持ちを理解し続けることができるように、その機会を与えたのかもしれないな。自分にしかその真価がわからない大切なものを、中途半端に、永続的に失うということの人の心の痛みを、私がきちんと、心から理解できるように。

うん。そう思うことにしよう。そして、こうすると、脚は痛くても少しだけ気持ちが楽になりますね。自分のこういうなんでもポジティブ変換できるところ、本当に便利だなぁと思う。

お客様に対して、自分にできる最善を考えることは、コロナの有無にかかわらずウエディングプランナーなら常にやるべきこと。二人が、前向きに楽しく、結婚式に向き合うことができるように。しっかり話を聞くこともそう。精度の高い感染症対策もそう。一緒に泣いたり笑ったりしながら、たとえどんな状況下でも、結婚式を諦めないということを。いつも、研修会で若手のプランナーさんたちに「ウエディングプランナーの仕事は、よかったことも悪かったことも全ての人生経験を活かして、お客様に寄り添い、お二人の人生を創る仕事です」って話して聞かせている。だから、走れなくなっている今ですら、「これは学びだな、経験だな、これからの仕事に活かせるな」って心から思っているので、「こんなnote書いて佐伯は落ち込んでいるんじゃないか」、と思ってくださった方がいたら、それはないのでご安心ください。脚は痛いけど。

結婚式を創るということは、その人の人生を創るということ。かけがえのない1日は、二人の人生でいちばん幸せで美しい日にしてあげたいんですよね。

これからも、その気持ちに寄り添いながら、二人と同じ目線で結婚式に向き合っていく努力を続けたいです。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

お読みいただきありがとうございます。 いただきましたサポートはより良い結婚式創りのために大切に使わせていただきます。結婚式には、誰かの幸せを増やす力があると信じています。結婚式に触れることで、人々の心を温め続けることができる世界を目指しています。