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木に会いに行く

 朝起きた時、身体がなかなか思うように動かなかった。
 しかし有難いことに、天気がとても良い。
 窓から差し込む太陽の光に背を向け、椅子に腰掛ける。髪を結んで急所のうなじを出した。背中とうなじに太陽の光を当てて、充電開始する。
 その間、コーヒーを飲みながら、意味のないことを色々と考えた。
 そして思った。

 そうだ、木を見に行こう! と。
 自宅の窓を開ければ、名前も知らない紅葉した木が見られるが、今日は真っ直ぐと高く伸びた木を近くで見たいと思った。

 思い立ったら、私は娘と一緒に実家へと帰った。
 既に帰ってきていた妹と姪っ子たちに、裏山へ散歩しようと誘ってみた。
 すると、妹が驚いたように私を見て言った。

「かなちゃんから散歩なんてめずらしい! いつも寒いか暑いか、面倒くさいとか、紫外線イヤだとかいうくせに・・・!」

 確かにそうだ。
 私は、気が向かなかったら散歩の誘いを冷たく断る。でも、どうしても散歩がしたくなったら、夜中でも一人で散歩に出かける質だ。
 散歩は私にとって、自分を見つめ直すもの。
 精神年齢が低い私でも、頭の中で変換される文字は、ひらがなの『さんぽ』ではない。大人が憂いを帯びたように呟く『散歩』だ。字体で表すと、行書体のイメージを浮かべていただけたら分かりやすい。

「木が見たいから散歩するけど。行きたくないなら一人で行くよ」

 今日は、木に会いに行くという目的のある散歩だ。
 一人で山道を歩くのも味があって良い。
 一人でだって、歩けるはず。

 実家の裏山は、間伐のために道が作ってあり、安全に登れる山だ。最高の貸切散歩ルートをのんびりと歩き、木々を近くで眺める計画だ。子どもたちを引き連れてワイワイと騒がしく登ることも楽しいだろうが、一人で歩いて登るのも別の楽しみがありそうだ。
 だからと言って、何も言わずに一人でさっさと山へ行ってしまっては、皆が心配するかと思って、一応誘ってみたのだ。こんなにも意外だと騒がれるのなら、誘わなければ良かった。

 結局妹たちもついてきた。

 切り開かれた道を、ゆっくりと登っていく。
 登り始めたある瞬間、空気が明らかに変わった気がした。
 別の世界に入り込んだような、緊張感ある澄んだ世界。風にそよぐ木々の音が、さらに幻想的に思わせる。
 立ち並ぶ杉の木の緑は、青空とは対象的で、くすんだ寂しげな緑色をしていた。
 だんだんと、家や川や畑が小さくなって見下ろせる。
 こちらから見下ろすと、さっきまでいた所と同じ場所なのかと疑うほど、その風景は別世界のものに見えた。

 子どもたちは、キャッキャと猿のようにはしゃいでいる。走って登っていっては、のんびりと歩く私たちのいる所まで走って降りてくる。とても騒がしい。早く早くと急かしてくる。
 ここで私の理想の行書体の『散歩』は『さんぽ』に変わってしまった。でも、まあ楽しい。
 私は、道の脇に生えている杉の木を見るために立ち止まった。
 今まで木を見ると、上を見上げていたように思う。この木はいつからここにあったのかと、高く成長した木の天辺を見上げては、『なんて高い木なんだろう・・・』と感動するのだ。空の青と葉の緑を確かめて、あんなに高い木から木へと飛び移る猿たちは怖くないのだろうか。万が一落ちてしまったら大変だろうな、などと猿とセットでくだらないことを考えたりする。
 そんなふうに大体上ばかりみて首を痛くしたものだった。

 でもなぜか、今日は木の根本の方が気になった。
 こんなにも高く伸びた木を支える根は、意外と華奢で頼りないものに思えた。あの高く伸びた木全体を支えられることが不思議だ。この頼りなく見える根の方が、高い所まで伸びた先よりも、昔からそこにあったはず。この根は、長年もの間がんばって自分を支えてきたのだ。
 なかなかやるな、華奢な杉の木の根。

「木の根ってすごい。 レオンのマチルダのその後を想像してしまう」

 私の感動の呟きに、妹が笑い出した。

「やっぱ、かなちゃんいつもおかしいけど、今日もおかしいよ」

 妹も杉の木の根本を見た。こんなにも感動するものが目の前にあるというのに、妹は『感動する』とは呟かない。なぜだ。

「木っていいな。つまり、地球から生えているってこと。この苗木はいつに植えられたと思う?」

「知らんわ~!」

 と言って妹は笑った。
 子供たちも賑やかに、無駄な体力を使って動き回っている。
 私は、沢山立ち並ぶ杉の木の中から、一番気になる木の幹に手のひらを当ててみた。
 それから、
「お疲れ様です・・・」と呟いた。

 妹の、クソうけると言って私をバカにする笑い声も、子どもたちのはしゃぐ声も、風にそよぐくすんだ葉の音も、そういった全ての音が、一瞬聞こえなくなった。







 
 
 
 

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