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Art|名画は誰が決めるのか

アルベール・ベナールというフランスの画家がいます。日本ではあまり知られていない画家ではありますが、1874年に若手画家の登竜門とよべる「ローマ賞絵画部門」で首席を獲得し、ローマに留学。帰国後は、ロンドン滞在を経てフランスの公共施設に飾られる作品を残しています。

1913年から8年間は、在ローマ・フランス・アカデミー校長、パリに帰国してすぐの1922年からはエコール・デ・ボザール(パリ国立高等美術学校)の校長になった美術館の重鎮と呼べる人物です。

1874年の美術界の異端と正統

1874年と知ってピンとくる方がいらっしゃるかもしれませが、この年は有名な「印象派展」の第1回が開かれた年です。

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クロード・モネ《印象、日の出
1873年 マルモッタン・モネ美術館蔵

画家や彫刻家たちがお金を出し合って開催した無審査のグループ展「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社 第1回展」、のちの第1回印象派展です。

この展覧会に出品されたのが、クロード・モネが印象派展の前年に描いた《印象、日の出》です。

モネが幼少期を過ごしたフランス北部の港町ル・アーブルの風景を描いているこの絵は、当時の美の基準では「未完成」とみなされるものでした。そのため美術批評家からは「描きかけの壁紙の方がまだ完成されている」や「初めて絵の具を塗りつける小学生のような子どもじみた手つき」というように、美術教育から逸脱した絵とされていたのです。

美術史において「印象派の年」である1874年にローマ賞を受賞したのがアルベール・ベナールで、その受賞作が《ティモファネスの死》です。

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アルベール・ベナール《ティモファネスの死
1874年 パリ国立美術学校蔵

ティモファネスは、古代ギリシアの伝記作家プルタルコスの《対比列伝》に登場する軍師です。野心と支配欲の強かったティモファネスには弟で将軍のティモレオンがおり、その弟から野心を棄てるように忠告を受けていました。しかしティモファネスはこれを聞き受けずにいると、涙するティモレオンが振り返った瞬間に、義兄弟の2人がティモフィネスを刺し殺してしまいます。本作が描かれているのは、まさにその殺害の場面です。

この2枚の作品が、同じ年にパリをにぎわせるわけですが、あまりの作品の違いに驚きを感じます。

印象派展は4月15日から5月15日の開催、一方でローマ賞の結果が出たのが7月28日ですので、世間を騒がせたのはモネの方が先です。一方は「非難」(モネ)、一方は「賞賛」(ベナール)。当時は、明らかにベナールの作品の方が高い評価が下されていたはずです。しかしながらおよそ150年後の現在の美術史では、1874年を象徴する作品は《印象、日の出》です。

この価値の逆転はいつ起きたのでしょうか? そもそも逆転と言っていいのでしょうか。ベルナールの作品の価値が下がったから? モネの作品の価値が上がったから? では価値は誰が決めているの? ベナールの《ティモファネスの死》は名画ではないのか?

さまざまな疑問が沸き起こります。

美の価値は時代とともに変わっていきます。しかし、僕は思うのです《印象、日の出》と同じく《ティモファネスの死》も名画であると。美術史においては、《印象、日の出》の方が重要な作品であることに変わりはないですが、それはあくまで美術史という流れで見たときの価値であって、その作品のすべての評価を決めるものではないと思うのです。

時代が変わって評価もかわるなかでも、変わらないものとは何か、名画とは誰が決めるのか。つねに疑問と時代の眼の差を意識しながら、その答えを考えることもまたアートの楽しみ方だと僕は思うのです。

アートは「世界の見方」をたくさん教えてくれるんですよ。

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