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Art|京都・法然院、ガラスの枯山水、西中千人さん

京都・東山、琵琶湖疎水という小川の南禅寺から銀閣寺を結ぶ「哲学の道」と呼ばれる小道の途中に法然院というお寺があります。鎌倉時代の初め、浄土宗の開祖・法然上人が建てた草庵が始まりで、現在のお寺の姿は江戸時代初期、1680(延宝8)年に再興されたものです。

京都駅からはバスが法然院前まで来ていますが、緊急事態宣言による減便で、この路線は休止中。銀閣寺に向かう路線の浄土寺バス停で降りて、7,8分歩きます。

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琵琶湖疎水にかかった橋を渡り、山裾の急こう配を登ります。

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その参道に、現代ガラス造形作家の西中千人さんのインスタレーション・アート作品《ガラス枯山水『つながる』》が設置させています。下の写真では、参道の左側、ちょうど山側になっている岸に作品が設営されています。

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西中さんとは、昨年11月に伊勢市クリエイターズ・ワーケーションで参加した際に、伊勢でお会いしたクリエイターのお一人で、東京に戻ったあとも銀座の展示にお邪魔したり、茂原市のアトリエにお邪魔したりと交流させていただきました。

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砂から作り出されるガラスは、1400℃の窯のなかでドロドロに溶けて煮えたぎった、まるでマグマのような真っ赤な流動体から生まれます。長い時間をかけて冷やし固まりながら成型されたガラスは、再び高温に戻せばドロドロのマグマに戻り、また別の形になります。

同じように土から作り出す陶器は、形作られた後に元の粘土に戻らないことから考えると、生まれてからもまたもとに戻って再生を繰り返す、まるで輪廻の世界をあらわしているかのようです。

茅葺の山門に向かう全長40mの参道に、水を用いずに山水の風景を表現する枯山水を西中さんは、ガラスのオブジェや苔、砂などを配置し空間アートを制作します。

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じつは、《ガラス枯山水「つながる」》のガラスのオブジェは、すべて使用済みのガラスからできています。つまりこの庭園は、人間の命を表現するメタファーでもあるのです。

技法ではなく深い精神性の表現を求めたい

西中さんが寄稿した文のなかで《ガラス枯山水「つながる」》はこう書かれています。

循環可能な資源であるガラスを使うことは、あくまで人間の命や、それをも内包する自己の宇宙観を表現するための方法であって、目的ではありません。ガラスの枯山水とともに取り組んでいる、複数のガラス作品を壊した破片を継いで新しい作品にする「呼継」も、再生をテーマにしていますが「目に見えない自分の中にある深層心理を投影する」という根本の創作動機に基づいたもの。より深い精神性の表現を考えたときに、実際の庭をインスタレーションの空間にしたいと思うようになったのは、私にとっては当然の流れでした。(星薬科大学 星薬同窓会報 2021年2月25日号より)

ガラス枯山水「つながる」》で西中さんは、木々の間から参道に差し込む陽光を浴びたガラスはゆらゆらと光を湛え、永遠に枯れることのない湧水を庭に作り出したのです。

水をガラスに見立てた庭園ですが、僕には立ち昇る光の柱のように感じました。

「重なる」という視点

ガラス枯山水「つながる」》の設置には、法然院のご住職、梶田真章さんの理解がなければ実現しなかったと西中さんはいいます。「西中さんの好きなようにやったらいい」という一言で、すべてを任せてもらったというのです。

本当に西中さんの作品に注文はなかったということですが、唯一完成後に作品名の「つながる」について、「重なるだと思うけどね」という一言があったそうです。

輪廻の世界観だったり、持続可能性だったり、または作家としての西中さんの存在だったりのつながりをご本人はイメージされていたそうですが梶田住職は、つながって別のものになるのではなく、それぞれの世界が存在して重なり合う、仏教はそういう教えを説いているということを教えられたそうです。

つながる」も「重なる」もそれぞれ安易に使いがちな言葉なのですが、西中さんが表現した「つながる」と、梶田住職の「重なる」からその言葉をもつ意味をより深く理解できたこととともに、作品はさまざまなに見ることができるということなんですよね。「重なる」はとてもいい言葉だとおもったので、以来自分の言葉のなかでよく使うようになりました。

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