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Rock|ザ・リバティーンズ《ザ・リバティーンズ》

会社員になってからの20代後半は、以前ほど新しい音楽を聴かなくなった。新しい音楽を追いかける時間がなくなって、昔から聞きなれた音楽を繰り返し再生して、良かったように感じる昔のことを思い出していた。

そんなときに、ザ・リバティーンズに出会った。ちょうど彼らの2枚目のアルバム《ザ・リバティーンズ》(2004年)をリリースしたころだった(ちなみに、このアルバムは、邦盤では「リバティーンズ革命」という、なんともダサい名前をつけたのか謎)。

港区の図書館の地下公会堂で、当時「ロッキング・オン」の編集長だった山崎洋一郎さんが、音源を紹介しながら、注目のバンドを紹介するイベントがあった。ひそかにロッキング・オンに入社したいと思っていた僕は、実際に本を作っている人は、どんな人なんだろうという興味で向かった。

そこで、山崎さんが「イチオシ」と紹介していたのがリバティーンズだった。たぶん、そのとき観た映像が、これだ(と思う)。

アップ・ザ・ブランケット Up The Bracket」という、リバティーンズにとって、1枚目のアルバムの先行シングルにあたる曲だ。

ビートルズやストーンズ、ザ・フーから、レッド・ツェッペリン、クラッシュ、オアシスの引きつがれてきたブリティッシュ・ロックの正統な継承者のように映ったのは、やはりギターを持つ二人のフロントマン、ピート・ドハーティとカール・バラーが放つ、エロティックで刹那的なオーラにほかならなかった。

最高の曲を書くと思ったら、途端に喧嘩をしてバンドを危機に落とし込む。しれっと再結成して、最高傑作を残すなんていうストーリーは、レノン・マッカートニー、ジャガー・リチャーズ、ギャラガー兄弟といった、個性がぶつかりあうソングライティングチームの男同士の愛情や友情、憎悪といった様相も、ブリティッシュ・ロックの継承者と呼ぶに本当にふさわしかったと思う。

そのなかでセカンド・アルバムがその年の8月にリリースされるという情報が入り、楽しみにしていた記憶がある。

ドラッグ問題でメンバー離脱。ロック伝説

セカンド・アルバムが発売される前に、リバティーンズは、7月のフジロックに出演することが決まっていた。来日とニューアルバム、音楽誌はこぞってリバティーンズの特集を組んでいたが、その内容は新譜への期待や情報ではなく、ピートとカールの対立だった。

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ザ・リバティーンズ《ザ・リバティーンズ》(2004年)
The Libertines《The Libertines》

ピートは、根っからの悪童よろしく、ドラッグ問題を起こしてバンドにたびたび危機を与えていた。実際、前年2003年にはピートが住居侵入罪で、2か月の実刑を受けていたし、セカンド・アルバムのレコーディング中にも、ピートのドラッグ問題が再発し、リハビリのためにタイに送られるが、そこを脱走するなど、バンドが正常な活動ができない状況になっていた。

しかも、リバティーンズとは別に「ベイビー・シャンブルズ」という新バンドを結成するというじゅないか。

けっきょく、フジロックには、ピート抜きの3人で出演。以降のキャンセルできないギグの数々をカール抜きでやり続けるという信じられない展開。出演メンバーがドラッグ問題で来日できず、なんて、1960年代のロック最盛期のようなことが起こるのか、と目を疑ったものだ。

クソったれたちの美しい瞬間

そんなバンドとしては、ろくでもない状態でいどんだレコーディングにもかかわらず、《ザ・リバティーンズ》は、ロックアルバムとして完成度が高い、バンドの最高傑作といっていい(3枚しかアルバム出していないけど)。

ファーストの荒々しさはないものの、メロディーやハーモニーが極度に洗練されている。ピートとカールは、それぞれが曲を書けるのだが、ファーストでは、誰が作曲したか、といのがわかる演出がされているが、セカンドは、誰がどの曲を書いたとかは、関係なく、ギターもコーラスも重ねられていて、1枚のアルバムとしての完成度が高い。

オープニングナンバー「キャント・スタンド・ミー・ナウ」。先行シングルにもなっている。

ピートとカールのハーモニーが美しい。このアルバムのなかで一番好きな曲。

この曲もいい。左のチャンネルから聞こえるおそらくピートのギターだと思うんだけど、バッキングギターがコーラスのように鳴っていて心地よい。

ロックがビジネスになった時代に、メンバーがドラッグ問題で、ライブの穴をあけて、しかも新バンド組んで、けっきょくその年の12月に解散しちゃうとか、こんなハチャメチャなことがあるのか、と思う方もいると思うが、Mott the Hoopleが《Ballad Of Mott The Hoople》で、「Rock and roll is a loser's game」(ロックンロールは敗者のゲームだ)と歌ったように、そもそもロックは、聖人君主の音楽でなんかなかった。

ドラッグを正当化しているというわけではなく、そもそも社会からはみ出た、不適合者たちのための音楽がロックだった。それが、いつのまにか消費経済に組み込まれて、社会の一部になってしまったように見えるが、根本的には、しょうもないヤツらに最後に残された敗者復活戦なのだ。

リバティーンズは、そうしたロックがもともと原動力にしてきた衝動、既存の価値観を破壊するための表現ツールであったことを、今一度社会に突き付けたように、僕には見えた。

このアルバムのリリースからもう16年も経っているのか。カールは1978年、ピートが1978年生まれで、40歳をともに超えている(僕とほぼ同じ年代)。

ストーンズで言えば、《ダーティー・ワーク》の頃か。まだ半分だ。

2018年のリバティーンズ。







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