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Art|展覧会ではなく祈りの場だった「国宝 聖林寺十一面観音 ― 三輪山信仰のみほとけ」展

東京国立博物館で開催されている特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ― 三輪山信仰のみほとけ」に行ってきました。

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十一面観音という響き、それは千手観音とともになぜだか惹かれてしまいませんでしょうか。

僕は、顔が11面もあるにも関わらず、バランスのよいシルエットから(千手観音は、手がたくさんあるので、どうしても人型像としてはバランスが悪い気がするのです)、とくに好きな仏像のひとつです。

国宝の十一面観音は7体。この微妙にコンプリートできそうな数も心地よく、仏像好きも講じて企画を立てて、人生で初めて本になったのが『名文で巡る 国宝の十一面観音』(青草書房)だったりします。

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小説家や文筆家、文化人などが著した作品のなかにある仏像に関する文章をまとめた編纂の書籍で、もともと和辻哲郎氏の『古寺巡礼』や白洲正子氏の『十一面観音巡礼』などを読んで古寺を訪ねるのが好きだった僕には、趣味が仕事になったみたいでとても楽しかった思い出があります。

コロナ禍で延期、1年後にようやく開催

十一面観音は、観音菩薩の変化した姿の一例で(千手観音や馬頭観音なども同様に観音菩薩が変化した姿)で、頭上に11の顔をもつ姿と、本体の顔と頭上に10の顔を合わせて11面をもつ姿、さらには頭上に阿弥陀如来の化仏を置く姿もあるなど、十一面観音になってもまた変化をしているといえます。

今回、奈良県桜井市の聖林寺からおいでになった十一面観音は、頭上に11面をもつタイプで、残念ながら3面が消失していますが、残りの8面はそれぞれ豊かな表情をたたえており、本面のふくよかなご尊顔とともにみどころのひとつになっています。

展覧会当初は、2020年に開催される予定でしたが延期。1年後にようやく開催になったという背景もあります。なお、東京国立博物館の本館特別5室という1室での展示で、平成館のような大型展示ではありませんのでご注意を(がっかりしないでね)。

ざっとデータをまとめておきますと、像の高さは209.1㎝。頭上の11面を除けばおよそ2mほどでしょうか。木心乾漆造と呼ばれ、麻布を、木や土などの型の上に、漆で何重にも貼り付けてかためる技法で、木彫りとは違う繊細な表現が可能です。

実際、聖林寺の十一面観音の見どころの一つに、補足しなやかな指先があげられますが、これは中に鉄の芯を入れて芯を作っているものです。

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(聖林寺HPより)

国宝第1号だったり、フェノロサが激賞したりと、逸話はいろいろとあるのですが、今回はとてもこじんまりとした展示ということもあって、観音様と向き合うということを書いてみたいと思っています。

ミニマリストの印象を覆す光背の残欠

寺院の本尊や秘仏などを他の土地に運んで開帳を行うことを「出開帳(でがいちょう)」といいます。今回は、展覧会という体裁で東京においでになっていますが、このコロナ禍にあってちょっと気持ちが落ち込んでいたり、悩み迷っている自分にとっては、出開帳そのものなんだよなぁと感じながら、展示室の中に向かいます。

中に入ると、正方形の展示室のほぼ中央に十一面観音が鎮座しています。その周囲を取り囲むようにさまざまな資料が展示されており、はやる気持ちを抑えながら、まずは今回のテーマ「三輪山信仰のみほとけ」の理解につとめます。

興味深かったのは、室町時代に描かれた《三輪山参詣図》です。三鳥居やかつて十一面観音が安置されていた大神神社(みわじんじゃ)の神宮寺・大御輪寺の位置関係などががわかります。

光背の残欠》も興味深かったです。今までいろいろと聖林寺十一面観音の画像を見てきましたが、光背があることは知りませんでした。

菩薩さまは、悟りを開いて仏になる前の、インドの王子、シッダールタがモデルになっているため、若い王子らしく瓔珞という首飾りや、臂釧といブレスレット、天冠台と呼ばれるヘアバンドなどを付けて着飾った姿をしていることが多いです。ちなみに、悟りを開いた姿になると、そういった装飾を身に着けるものは少なく、シンプルな納衣(のうえ)だけをまとっています。

そういう点で同じ国宝の十一面観音でも、奈良県宇陀市の室生寺の十一面観音は、そういった装飾を多く身に付けたお姿をしています。

一方、聖林寺の十一面観音は、質素であまり飾りを見つけていません。ひじょうにシンプルな天冠台を頭に巻いているくらいです。そのため、僕のずっともっていた印象としては、無印良品派というか、ミニマリストというか、仏様に近い印象がありました。

しかし、この光背の残欠を見るとかなりきらびやかでゴージャス。ちょっと印象がかわりました。魅せる部分もあるのだなぁとイメージを改めることになったのは、驚きでした。

ちなみに十一面観音の台座の後方には、この光背を差し込むためであろう穴が開いています。

もともと大御輪寺に一緒に祀られていた、「地蔵菩薩立像」(現在は法隆寺蔵)、「日光菩薩立像」、「月光菩薩立像」(現在は正暦寺蔵)といった像も同じ部屋に祀られていて、さながら同窓会のよう。明治時代の神仏分離令の影響で廃寺になった大御輪寺の堂内がどんな空間だったのか。妄想が膨らみます。

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展示会ではなく出開帳、そこは祈りの場だった

さて、一通り、今回の展示の趣旨を理解したところでいよいよ十一面観音様と向き合う時間です。

当たり前なのですが、混とんとした時代を生き抜くための教えを問うても、生きるの意味も、生の無常も、なにもかも答えてはくれません。もちろん僕がどんなに熱い視線を投げかけても、視線にも応えることなく一点を見続けています。そうです、答えなどかえってくるわけがありません。

ただただ1300年もの長い間、目の前の1点だけを見つめてきたお姿に、僕のような人間が何度となく同じような問いを投げかけたことでしょう。そのために、顔を変えず1点を見つめたまま、ひたすらその場にあり続けてきたのです。

そんな事実のなか、観音様と向き合っていると「そうか、すべての世界は己れの中にあることなのか」ということに気づかせれた気がします。迷っても、信じても、出した決断は自分自身がするしかないし、これまでもそうしてきたことなのだという、とてもシンプルなことです。

ああ、十一面観音様、遠く奈良からありがとうございます。そんな気持ちが沸き起こってきたのです。

コロナ禍で、何が正しい事なのか、どういうアクションを起こしていくことが正解なのか。そんなことに心を奪われがちではありますが、仏様に向き合うことで、自分を取り戻すような感覚になることができると思います。

こんな時期に東京に来てくださったということは、不安だったり、迷ったりする人間に何かを気付かせようとしているのかもしれません。

東京国立博物館の展示室でしたが、そこは確実に仏教の空間、祈りの場になっていました。

特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ― 三輪山信仰のみほとけ
東京展
会期 2021年6月22日(火)~9月12日(日)
会場 東京国立博物館 本館特別5室
   〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間 午前9時30分~午後5時 *入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日(ただし、8月9日(振休)は開館)
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/shorinji2020

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