結局、僕は艦これが好きなのか?

 前の自意識過剰と被害妄想丸出しのnoteで書いた通りに、僕は13年の春からずーっとブラウザ版の「艦これ」をプレイしている。
 去年の夏あたり、ちょうど就労支援に通い始めた時期から手を出す頻度が減って、今年に入ってからは殆どおざなりに遠征と演習しかやっておらず、イベントもギリギリになってやっと手を付けると言う始末で、「これでファン名乗ってるのはダメだろ」と言う気さえ出てる。

 それに手を出す手を出すと言ったっきりの二次創作も、大昔に合同で一作書いたっきりで、後は小説のプロット一つ切れてないし、絵も大して描いてないし、当然晒してない。
 もうこうなってくると自分は逆風に意地でしがみついてるのか、費やした年数と好きなキャラが居ると言うだけで意地でファンを名乗っているのか、と言う気すらしているのが現状だ。
(その割に犯罪者呼ばわりで自意識過剰に反応し、自虐ハイになっていたわけだが)

結局自分はなんでまだ、このゲームに、このコンテンツにしがみついているのか。
そう考え始めると、わからなくなってくるのも確かだった。

 と言うわけで、「自分はなんでまだ艦これが好きなのか」を考え始めてみた。

 実は自分はなんだかんだアズールレーンやウマ娘にも手を出していたりする。
 前者は前使ってたスマホが電池持ちの悪さと爆熱CPUで悪名高いExeriaZ5で、端末の寿命ギリギリであまりに不安定すぎて起動すら危うくなったのでプレイしなくなり、端末を変えたもののなんとなく放置中だ。
 後者は無課金ガチャの度重なる爆死と、自身のキャパ詰まりを起こしはじめた頃から手が遠のいた。

 ぶっちゃけ艦これをプレイしてるのも奇跡な程度に、去年以来僕はゲームに手を出せていない。

 今「艦これの華」と言われているリアルイベントに関しては、実は大して興味はない。
 オーケストラコンサートと軍港都市の散策系イベントは行ってみたかったが、それは港街の景色が見たかったのや、現地の博物館やら軍港が魅力的だからで、その他のリアルイベントに関してはTwitterかレポ漫画を見ているだけで十分だとさえ思ってたりする。
 XX祭り系に参加するならば、個人的にはむしろその金で韓国に渡ってナマのLSTやギアリング級でも見に行きたいぐらいだ。
(よくもまあここまで色々やるなとは感心するし、色々引っ張ってくるその力も凄いとは思うが)
 ローソンコラボは毎回クリアファイルを貰いに行くが、カレー機関には特に行く気にはなれないし、『遊撃隊』に関してはちょっと批判したい気すらある(声優さんがイベント出る時のキャラコスならともかく、公式自らコスプレ商売の写真集出すなよ……)。

 じゃあゲームが魅力的か? そんなの決まってる。ノーだ。
 期間限定イベントでウィンチェスター・ミステリー・ハウスと化したマップにつきあわされるのは正直疲労の限りだ。
 過集中状態で別の作業をやっていて遠征でのこまめな資源溜めができなかったりするのもいつもの話で、遠征組のキラキラ維持、装備管理、マンスリー遠征と作業が煩雑すぎて、よくかつての自分がこれをウィークリー任務まで込みでやれてたなと言うぐらい面倒くさくてたまらない。
 アーケード版はそもそも動作IQの低すぎる僕が出来るゲームじゃない。

 じゃあ何が好きなんだと言われたら、月並みだが結局「キャラと世界観」に行き着く。
 だが、これも落とし穴があって、所謂「公式の解釈違い」と言うやつだ。
 艦これは頻繁にこれをやってくれるし、妙なキャラ付けをたまにやってくるから、本当にどうしようもない。
 ただ同時にハマるキャラ解釈とか、「そう来たか」という絡みも半々ぐらいでやってくるのがタチが悪いのだ。

 例を通るなら霧島のヤクザボイスで失望させた後、霧島に姪っ子のごとく懐いてくるサウスダコタと言う絡みを見せて「おお」と唸ったりとかである。
  こういう事をさせてくるもんだし、補うように他人の二次創作や自分の想像の余地が入ってくるから、なかなか完全な失望が出来ないでいる。

(これに関してはアズレンのキャラ造形の解釈は更に極端で、原型の反映や作内の立ち振る舞いが魅力あるキャラは好きになれる一方、他作品の露骨なパロディしかやって無いキャラなどは耐えきれず封印していたりする。
逆にウマ娘はライターがグラブルで鍛えられてるのか、アスリートとティーンの少女と実馬の物語の混ぜ方が上手く、余程でなければ失望はしなかったりする)

 世界観に関しては「艦これ」の世界観は関連作によってまちまちで、原作はせいぜいフレーバーテキストやキャラの台詞の中に隠れている程度でしかない。
 じゃあ何故世界観が好きなどと寝ぼけたことをほざいているのかと考え始めた時、その世界観を拡張して、それをゲームに当て嵌めながら楽しんでいるのが結局僕自身なのだと言うことに気づいた。

 結局はゲームの世界観の中に無理やり自分の好きなような箱庭を無理やり作って、本来自分と同一化すべき「提督」をあえて切り離し、きちんとしたバックグラウンドのあるキャラクタに置き換える。
 そして自分の頭の中で「このキャラ達がどう動くか」と言うことを考えたり、他人のそう言う創作を見るのが好きなのだろう。
 思えば、基本僕はそういう遊び方ばかりする。
「艦これ」にかぎらず、「アズールレーン」でも、「ウマ娘」でも。
 そこに自分好みの箱庭を作って、本来プレイヤーたる人間を自分が勝手に作ったキャラクターに当て嵌めたり、原作のキャラクターを尊重しつつも自分の解釈に添わせて頭の中で動かして遊ぶ訳だ。

 そしてこうやって書いていくと、何故僕が「艦これ」ファンでいられるのかという理由が氷解してきた。
 結局僕はコンテンツそのものと言うより、そういうコンテンツを介した「箱庭遊び」「お人形遊び」がひたすら大好きらしい。
 そして「艦これ」は僕のこの二つの遊びに最適な砂場で、与えられる「お人形」と自分で作った「箱庭のオブジェクト」を弄りながら頭の中で光景や物語を描いたり、そうしながらゲームを遊ぶのが好きなのだ。

 こうやって文字に起こすとどうしようもなく気持ち悪い遊び方に見えるが、僕は自分で作った箱庭とお人形を文字にして金を得た程度には、「箱庭遊び」と「お人形遊び」に没頭する類の人間なのだ。

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