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夜明け前 その地はリヴィエラまたはコート・ダジュール  #2

 朝六時だと、夏のこの時期でも南仏はまだ夜中である。いつもの習慣で目が覚めてしまい、泊ったホテルからほんの5分ほどの海岸まで、散歩に出た。
 コート・ダジュール空港からトラムでニースの中心までくると、大きなジャン・メドサン通りが町の南北に通っている。トラムの線路に沿って南に800mほど歩くと、黒と白のモザイクのタイルが敷き詰められたマセナ広場があり、そこから海が見えてくる。海岸と平行に走る通りがデ・ザングレである。この通りには、豪華なホテルが立ち並ぶ。日中のこの海岸はいろんな色でにぎわう。オレンジ、黄色、ピンクなどの蛍光色のウェアでジョギングする人、ピンクのコットンパンツで犬の散歩をする人、サンドレスや真っ赤なTシャツの観光客が皆、一点の影も曇りもない笑顔で歩いている。
 それが今は、誰も人がいない。車も走っていない。白い星の光と、遠くのライトが、波の音にあわせるように、ちらついている。暗い海には人を惹きつける不思議な力があり、吸い寄せられるように、砂浜の上の岩山に立って、規則性があるようでないようなリズムで打ち付ける、波の音に聞き耳を立てていた。
 海に来たら日の出を見たくなるものなのに、本当に誰もいないのだろうか。砂浜や歩道を、目を凝らしてよく見ると、人影が動いていた。その人はカラフルなスポーツウェアや、サンドレスではなく、黒いマントのようなものをかぶり、ごみ箱の中をのぞきこんでいた。そういえば、昼間、浮浪者の住処はみかけたが、その住人には遭遇しなかった。たまたま、私が出会わなかっただけなのか。あるいは、街の人や、この街に夢をみに来た人に気を使ってどこかに潜んでいたのだろうか。つらい過去や、心に傷を背負った身には、全てを照らしだす太陽は明るすぎるということだってある。
 夜中まで浮かれていた人が去り、太陽が昇るまでのこの時間帯に、彼も潮騒の音に誘われて隠れていた路地裏か、どこかの屋根裏から出てきたのではあるまいか。

光を当てられたくないものは、そうっとしておいてくれる、星の光は優しい。昼のあの溢れる色たちをすべて等しく藍色の濃淡に包み込む夜の闇も優しい。
ごみ箱を一つ一つのぞくその人影もわたしも、薄墨色の闇に包まれていた。波の音だけが流れていた。その人から、海に視線を戻し、飛沫を眺めた。飛沫も淡い藍色に染まっていた。

今度は、波間に人の頭が二つ見えた。
「泳がないの?」と不意に声をかけられた。


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