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わかりやすく書くのはノーコストではない

※人によって違うかもしれません

元々僕は、人に説明するのが苦手でした。その克服の為に、ブログ(当時ははてなダイアリー)やTwitterや、はてブを使い出したのです。

今は、それなりにわかりやすく書く、説明するというスキルを身につけられたと思っていますし、そう評価されることも多いです。

ただ、それは決してわかりやすく説明することを、無条件で得意になった、ノーコストでそれができるようになったというわけではありません。

コストとは

お金とは限りません。この記事ではだいたい、時間と、脳の思考リソースを指します。

僕のような内向的な人間(コミュニケーションが苦手か得意かというよりは、興味や関心が自分の内側に向くタイプの人のこと)にとっては、他人とのコミュニケーションなどで、心のコストを支払うことも多々あります。

あるいは、人には一日にできる決断に回数決断疲れ)というものがあるとされています。

・ 心の働き、脳は有限のリソースである
・ 時間は有限のリソースである

この記事では、こういった有限のリソースを使うことを、コストを支払うと呼びます。

説明するとは

相手がいて、その相手がどういう言葉・単語を使っていて、どういう前提知識がある、つまり、どういう言葉・概念・知識が相手に欠けていて、それを補うために、どういう順序で伝えるか?

相手が理解できるように説明するためには、これらの情報が必要です。

フェイス・トゥ・フェイスであれば、これらの情報を、ノンバーバルコミュニケーションを駆使して集めることができます。これはコミュニケーションという時間や、ある種内向的な人間にとってMPなどのコストを支払う行為です。

※MP: メンタルポイント

見知った人であれば、ある程度までは相手について知っているはずですが、相手の知識がいつまでも固定ではありませんし、脳の記憶容量には限りがあるため、我々普通の人間にとっては、全ての見知った人に対する情報を覚えておけるわけでもありません。これに関してもやはり、多少なりともコストを支払う必要があります。

見知らぬ読者であれば、まず筆者は想定読者を決めた上で、その読者について、自分の経験から推測を行う、あるいは何かしらの方法で調査を行って、情報を収集します。もちろん、これは多大なコストのかかる行為です。

これらは、説明する人の気質によって、コストは増減するでしょう。

元々、説明とかコミュニケーションが苦手な僕が、説明するスキルを身につけたとはいっても、MP消費が0のスキルになったわけではありません。

僕の場合はさらに、説明モードと、何か難しいことにチャレンジするときのモードでは全く違います。モードの切り替え自体もコストがそれなりに必要です。n日単位か、頑張ってもせいぜい一日2・3回切り替えられればいい方です(何回も切り替えると疲弊するというか、集中できなくなる)。

説明をノーコストでできると思うことの問題

たとえば、最先端の研究をしている研究者がいて、そういう人が研究について説明が得意か?というと、そうとは限りません。前述のとおり、相手の知識レベルを調査したりするコストを支払う行為だからです。

国民を納得させないのに税金を投入するのは良くないという論調があります。もちろん、それはある程度正しいでしょう。税金を悪い使い方をする人は古今東西あとを絶ちません。

ですが、説明するというのはコストがそれなり以上にかかる行為であり、研究者の時間は、いってみれば税金なり、企業の研究開発費なりを投じることで得られたものです。

お金が正しく使われているかを調査するために頑張りすぎると、お金が無駄になってしまうというもので、ある種のトレードオフですが、説明をノーコストだと思っている人は、トレードオフであると認識できないか、軽視してしまいます。

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僕は最先端の研究者ではありませんが、そこそこ難しいプログラムを設計・実装できます。実際に技術書典といった技術同人イベントでもJavaScript ASTの本(世界でもあまり無いはずのBabelについて解説した本)や、Bitcoinプロトコル互換のJavaScriptによる実装と解説の本なども出しています。

過去に書いたブログ記事でテクニカルなものとしては、FM-Indexというアルゴリズムについて書いたハクビシンにもわかる全文検索があります。

※2019/7/27 に 技書博 という技術同人イベントもあります

何かを始める事も大切ですが、それを継続することは思いのほか難しいものです。特にモチベーションの維持というのはすごく繊細な問題です。

僕が支払ったコストに対して、何かしら見返りがあるからこそ、ブログやTwitterや本の執筆を続けられています。

一番うれしい見返りは感想です。「仕事で役に立ちました」とか「いい本でした」とかいわれると、MPがぎゅーんと回復しちゃいます。ブログとかで言及して貰えれば、もう天元突破です。

お金は…、まぁ支払った時間を考えるとアレですが、あるととてもうれしいものです(5000兆円欲しい)。お金なんて要らないと嘯くほど裕福なわけでもないので。

イイネのような、言葉ではない、何かしらの評価も、感想ほどでは無いにしても、うれしいものです。これはある種ゲーマーがスコアを稼ぐ感覚に近いでしょう。

TwitterのRTや、Facebookのシェアや、はてブなんかもすごくうれしいです。この人はこの情報を広めてくれるんだという気持ちになります。よくクリエイターの人が、イイネよりはRTの方がありがたいといっていますが、本当その通りだと思います。

このとき、説明能力をノーコストだと思っている人は、ギブ&テイクでいうところのテイカー(テイクだけをする人)になりがちです。

じつは去年、とある人とトラブル気味になってしまいました。その人は、僕が彼に対してわかりやすく説明することを当たり前だと思っていたため、僕が精神的に参ってしまったのです。

仕事であれば、それは給料をもらう行為として受け入れてたかもしれません。もしくは判断がもう少し早ければ精神的に参る前に何かしらの対策方法をとっていたでしょう。さらにいうとその人は少し風変わりなタイプの人だったというのもあります。

ぼくがNoteに書いている理由

コストの話とは外れるのですが、ぼくがNoteで記事を書き続けている(一週間に1本は書くようにしている)のは、ある種の縛りプレイのためです。

技術に限定した記事はNote以外(まぁぶっちゃけQiitaとか)や同人誌で書いていますが、Noteではそういった記事は書かず、エモや概念的なこと、ポエムを書くようにしています。

油断をすると僕はそれなりに長い期間ずっと集中しつづけてしまう、たとえばひたすらゲームや、プログラミング、文章を書く、小説を読むなどを続けてしまうところがあります。でも、一週間に一度は、Noteで記事を書くというモードに切り替えることができるというのが、僕にとってのNoteで書いているモチベーションです。

もっと、イイネとか感想を貰える、あるいはバズるとうれしいし、モチベーションも上がるでしょう(催促じゃないよ!)

毎週Noteを書くというのは、目的が自分の中ではっきりしてるので、イイネや感想をもらえなくても、消耗することはあまりありません。

ちなみに微妙に台無しになる感じのことをいうと、最初は金儲けたい!!!!って気持ちがありましたが、僕が書けることの範囲に限定すれば、Noteで金を取ることを考えるくらいなら、Pixiv Boothの方が金になりそうという結論になってしまいました。(それでも、Noteが面白い場所であるとは思ったので、今でもこうやって記事を書く場所として選んでいます。)

僕やクリエイターだって生き物だもの

承認欲求とか色々な心のあれこれを抱えた、生き物なので、機械のように低コストで繰り返し行動ができるわけではありません。

感想とか、ブログで言及とか、イイネとか、そういうものを貰えるとうれしいし、まったく無反応だと「これだめかー」とか「ああ、僕って人から求められていないのかー」とか「生きてても…」みたいなことになってしまうかもしれないので、ほんの少しでも応援したい気持ちがあれば、感想とか、ブログで言及とか、RTとかイイネとかはてブとかくれると、励みになります。

我々だって生き物だもの…。

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