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現代法はローマ法が元になっており、歴史上、神々や家畜や野生生物を被告として裁いた例が有る。ところで、AIを裁く事は出来るのだろうか?

AIにも人権を付与すべきか?なんて議論があるそうですが、AIに人権が有ろうと無かろうと、AIは既に人間社会で権限を持つかの様に振る舞っておりますよね?
しかし、その判断の責任をAIそのものに問う事は出来るのでしょうか?同様に、法規に違反した場合にも責任を問えるのでしょうか?そして、それを裁く事は出来るのでしょうか?

通常でしたら、それは所有者や運営者が責任を負うところでしょう。しかし、ローマ法を継承した文化圏に於いては、遠い過去には人間以外のものが裁判にかけられていた事例があります。

例えば、中世ヨーロッパでは、何かやらかした家畜や野生生物に付き、裁判を行い判決で処遇を決める制度が長い間存在しました。


また、更に古く古代ローマ帝国では、異教時代の主神ユピテル以下、三万とも言われる数の神々と、神格化された歴代皇帝達を、全て裁判にかけ、全てを有罪とし、全ての偶像を破壊した事例があります。


現代社会は、ルネサンスにより復活したかつてのギリシャ•ローマ文化の延長上に有ると言えます。
日本人が西欧文明と思っている大量消費文明や様々な近代テクノロジーも、実はキリスト教文明ではなく、ルネサンスの流れから生じた物です。

一方、日本では古代ギリシャ•ローマ文明はかなり美化されて教育されても来ました。ですから、実情を知ると驚く人も多い様です。
実際の古代ローマ帝国は、非常に残酷な帝国でした。ローマに住む市民は、毎日無償で食料の配給を受け、日々処刑ショーや演劇を楽しむ毎日を過ごしていましたが、それは広大な属州から剣で巻き上げた富によるものでした。

古代ローマで貴族や市民の家で給仕をしたり、農場や鉱山で強制労働させられていた奴隷達は、属州拡大の戦争の中で戦争捕虜として常に補充されていた人々でした。奴隷が度々反乱を起こしていたのは、待遇が悲惨だったからに他なりません。
彼らは日本の歴史教育では野蛮な人々と教育されますが、圧倒的な装備を誇ったローマ帝国軍に侵略される立場の人々であった事は余り顧みられません。

古代ローマ軍は、プレートアーマーに身を固め、各射程毎の飛び道具で武装した恐ろしい軍隊でした。その様な装備を持たない文明程度の
人々にとっては非常に恐ろしい侵略者だったのです。

蛮族の大移動も、学校の先生達はまるでナ○スの電撃戦の様なイメージで子供達に説明しますが、当時の蛮族達は、最強と言われたフン族から逃れ、フン族よりは弱いローマ帝国内に、家族ぐるみで家財も持って部族ごと雪崩込んだ人々でした。彼らの中にはプレートアーマーを身に付けた者など殆どおらず、一部の者がチェーンメイルを着込んでいた程度、そんな人々でした。

でも、日本の教育ではローマは善玉で、侵略されて奴隷にされていた人々が悪玉と言うイメージで教えられがちです。しかし実際のローマ軍は、都市を襲えば住民を皆殺しにし、生産力を奪う為に農地に塩を撒き、生き残りは連行して奴隷にする…と言う事を毎回とは言わずとも、恒常的に続けていた軍隊でした。

暴君として知られるネロなども、日本では妙に高評価だったりしますね?判官贔屓的な高評価なのかも知れませんが、実際に行った事を見れば紛れもない暴君です。

日本の教育では、ミラノ勅令によりローマは終わった、と言う結論に生徒達を導く教え方が、長年板に付いているかの様なのです。

実際には現代の大量消費文明や、各種の科学至上主義的なテクノロジーは、古代ローマ文明がルネサンスによって復活したものの上に在ります。
中世や近代前半にはマクドナルドもハリウッド映画もありませんでした。それらは第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に新しく生まれた大量消費スタイルで、キリスト教文明ではありません。

そして、このルネサンスによる古代ローマ復活の延長上にある科学主義、科学崇拝は、結果としてテクノロジーによる人類支配を生み出しました。対話機能を持ち、神の如く振る舞う支配者としてのAI…まるで666の様ですよね?

この666AIによりコントロールされる監視•制御システムによって現代社会は市内全域がコロッセオと化し、たとえ女性や子供が被害者であっても、かつてのローマ市民よろしく誰も助けてはくれません。かつての彼ら程には熱狂せず、優しい笑顔で楽しんでいる様には見えるかも知れませんが、内面は同じです。
集スト•テク犯は、残酷な公共の見せ物と言う意味で、コロッセオでの猛獣ショーや殺し合いショーと同じなのですよ。
これが、ルネサンスで復活した古代ローマの行き着いた先、パンと見せ物のハイパーバージョンなのです。

ところで、先述した動物裁判や神々裁判は、キリスト教文明側によるものです。人間以外のものを出廷させて裁いている、現代の感覚からは不思議に思える裁判です。しかし、当時の常識など時代背景を知ると、いずれも理由が有っての事だったと分かりますね。
現代の社会システムを実質的にコントロールする支配者、666AIは、裁く事は出来るのでしょうか?それとも、普通に所有者や運営者が裁かれるべきなのでしょうか?
どうなのでしょうね?

私は、行き過ぎたテクノロジーなど無くて良いですから、この現代文明とその主神である666AIをかつての様に廃棄して、人権や倫理の在る社会に戻って欲しいと思います。

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