あだちる
現在進行形で毒親から逃げ出そうとする過程をまとめています。同じ境遇の方、逃げ出したいけれど、どうしたらいいのかわからない方、応援してくださる方、よろしければご覧ください。励みになります。 更新は週1回程度です。
前回の記事では、転出と引っ越しについてお伝えした。 今回は、転入と支援措置、脱出についてお話ししたい。 支援措置申請の準備 私の場合、実は前回の転出のタイミングで転入先の役所へ電話をかけた。 というのも、転出手続きを行った役所から手続き後電話がかかってきた。 「転入先の役所に連絡を取り、支援措置を希望されている旨をお伝えしたところ、一度お電話をいただきたいとのことです。○○市から転入の○○さんとお伝えしています。そのようにお伝えいただければ、おつなぎしていただけるとのこ
前回の記事で報告した通り、相談迷子になり、心も体も疲れてしまった。 今回はカメの行進ながら当初挙げていた行動計画(下記)について報告したい。 まず、これらの項目を分類してみると こんな風に分けることができる。 するとどうだろうか 実は特別なことは 「毒親に引っ越し先をわかりにくくする手続きや支援の種類と方法」 ぐらいである。 他は、あらかじめ一人でできることと結婚や引っ越しに伴う諸々の手続きと同じことがわかる。 そこでとりあえず、引っ越し先の見繕いから始めた。 引
電話相談 「こうして心が折れていくのか」 たった十分の電話だった。 理解されない。 電話越しに愛想笑いしている私がいた。 前回の記事では精神科を受診し、そこでDV窓口や女性支援センターなどの「相談窓口」へ電話相談を勧められたことを報告した。 精神科の先生の温かい対応に勢いの乗った私は 早速電話を掛けた。 電話先は勤務先付近の女性支援センター。 前回のチャット相談の際に相談先として挙げられた連絡先と同様であった。 数回のコールの後、電話口から聞こえたのは妙齢の女性の声
一週間の葛藤前回の投稿から1週間。 普段の自分なら、 「自分が我慢すればいいだけ」 「本当にうちの親は毒親か?」 逃げ出すこと自体が悪のように、逃げなくていい理由を探していたかもしれない。 そんな意味でもここに書き記すことは意味があるのかもしれない。 いつもあきらめていた自分におさらばして、踏み出した一歩目の報告を良かったら読んでほしい。 一週間の報告前回の記事では以下のように計画に必要な情報を書き出した。 ・なぜ逃げたいのか、逃げたらどうしたいのかを書き出してお
はじめに「毒親」そんな言葉が一般的になったのはこの10年少しなような気がする。 私が親の行いが「・・・?あれ、おかしいんじゃない?」と感じたのは10歳の時。 詳しく書くと身元がばれてしまうので割愛させていただくが、私の親は「過干渉」と「育児放棄」のパターンであった。 一概に「毒親」はこうだ!とは言えないが、意外と一般人に紛れているのではないだろうか? 場合によっては「良い親」、「良い人」と世間では評価されているのではないだろうか? 私にはそれが一番つらかった。 そん