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クリスチャン・マークレーを翻訳して遊ぶ

クリスチャン・マークレー展、めちゃくちゃ楽しかった。大喜びで見ていた。マークレー作品が気づかせてくれる事を書いてみる。

・音は、空気の振動である。その意味で物理的である。
・音楽は、我々が認識する限り、一般的には非物質的な現象だと思われる。

・音は、瞬間に属する。
・音楽は、幅のある現在に属する(前後の音がその間の音の聞こえ方を決める)。
・レコードは、過去の音を物理的に記録し、現在において再生する。


音を翻訳するやり方。

・音楽レビュー。音楽を言語に、等価で変換する事は不可能だろう。比喩に次ぐ比喩。それでも、何かを伝えたい、それで言葉が過剰になる。え、仕事だからやってるだけ?

・レコードは、物理的な溝に記録する。
レコードを割る、食べる…ファストフードの様に音楽を消費する…それは一種の再生方法か?
レコードに偶然着いた傷、物理的な傷、それを新しい音楽の記録とみなす事。

・レコードジャケット。フリージャズはポロックの抽象画に翻訳された。では抽象画から音楽を翻訳し直す事は可能か?アイデア1.カンディンスキーを逆再生すること。

・レコードジャケット。クラシックの権威の男性表象と、無名の女性の足の表象。文化産業の欺瞞を暴くこと。アイデア2.フルトヴェングラーのストリップショー。

・映画における音楽の記録。その膨大な素材からリミックスする。偶然に任せた、フリージャズ、それは見せかけであって、緻密な計算の上で和音が鳴る。

・オノマトペ。言語への変換。聞こえたままに変換する。コケコッコー、cock-a-doodle-doo、それはカナとアルファベットによる差なのか。
splash=バシャ!これは聞こえたままなのかどうか。動詞?オノマトペ?

・絵の具をぶちまける=splash。その音の記録としての抽象表現主義。ポップアート風のカリグラフィをその上に重ねる。戦後美術史の短絡回路。お見事!
・叫び…ムンクの。スーパーフラットの?


音を再生するやり方。

・オノマトペから音を再生する。脳内。物質から観念へ。
・ピアノを弾く手の写真。そこから和音を推定する。もしタッチミスがあってもそのまま再生されるだろう。物質は嘘をつかない(ユージーン・スタジオのドビュッシーは正しく再生される、想像において。その対比)。

・ビニール袋、新聞広告、街中のエフェメラルな楽譜。誰も再生しないような楽譜。名前のない音楽。こっそりと歌ってみる。どんなメロディだったか、もう忘れてしまった。

・五線譜=枠組を用意すれば、偶然の音楽が始まる。五線譜上の汚れ、誰かの落書き、それを再生してみること(いつも思い出すのは野村仁作品だ、例えば《'moon' score》)。
枠組を設定すること。これを音楽と見做しなさい、と。4'33''。点音(おとだて)。
“便器をアートと見做しなさい”。

・こうして定義を拡張された楽譜を、手話で再生する。翻訳過程で失われるものはなにか?翻訳過程で生まれるものは何か?
1-0の二進数への翻訳の過程で少しづつ失われていくもの、それは翻訳を繰り返すほど消えていく(例えば、メアリー・ルシエ《ポロライド・イメージ・シリーズ:シゲコ》)。
何かを何かに等価に変換する事はできない、むしろ全ては差異、差異しかないのか。
再生された音とオリジナルを同一と見做せなくても、オリジナルの分身とみなすこと。
A=Aではなく、A→A'。
差異しかないのかもしれない、が、同一ではないが似ている何かがある。

美術館を出ると、世界は音楽で溢れている、というわけだ。騒々しい機械の音。自分が死ぬ場面を想像するコンピューターのスクリーン、1-0の象徴のコードがそれを翻訳している。今、この瞬間のタイピング音もまたこの文章へと翻訳-録音され、別の形で再生される時を待っている。


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