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メディアから感動や共感に繋げるには、思い出の引き出しをどれだけ開けられるか、も鍵であると感じた話。


看護師として働き始めてから、ちょうどカメラに興味を持ち始め、よく写真を撮るようになってきて、今では、友人の結婚式の後撮り写真や職場の先輩の子どもさんの七五三を撮ったりしているのであるが。

そんなこんなで、写真も動画も撮るようになって、他の人の作品もたくさん見るようになったのが、今年に入って改めて、ふとPintarestで、いいな、エモいなと思う写真を集めて作った自分のアーカイブを見てみると、フィルム写真やフィルムのようなデジタル写真が多いように感じる。

これからも、自分がいいな、エモいなと思う写真動画をたくさん作っていきたいのであるが、その「エモい」ってなんぞやって考え始めて、書き始めたわけで。


じゃあ、「エモい」を自分の言葉で説明するとしたら、と考えてみると、「自分の中のどこかにある、昔の感情を呼び起こすもの」とか、「言葉で表現するのは難しいけれども、何かの感情に直接刺さるもの」的な意味合いで使う気がするな、なんて思ったり。

社会人になって、カメラに触れ始めた頃で、「いいな、エモいな」と思って、すごく印象的で覚えているのは、「never young beach- お別れの歌」だと思う。


奥山さんが、本作品に対するコメントで、「人がどこかにもってる無意識的な感情の引き出し(懐かしさや共感を呼ぶような喜怒哀楽)を意図的に引き出してあげるのは、難しい。だから、人が気づいていなかった、日常の中で作り出してきた引き出しを、プロがこぞって集まって、意識的に引き出したかった。」と残していた。

確かに、この作品にあるような、近しい距離で動画を撮ったことはあって、どこかしらで、自分の思い出の引き出しが開けられていたからこそ、「いいな、エモいな」と感じたのかな、とも思ったりする。

自分のアーカイブに、フィルムで撮った写真なんかが多いのも、どこかしらで、懐かしさのような、思い出の引き出しを開けられたような、そんな共感があったからこそなのだろうか。

以前、あるメディアの中で、「年齢を重ねるにつれ、懐かしさには勝てない。おじさんは懐かしさに勝てないし、良いと思っちゃう、ハマっちゃうんだよ。」とRhizomatiks:齋藤 精一さんと落合陽一さんが会話で言っていたもの思い出し、なるほどそうか、と、何だか、何かが繋がった気がした社会人4年目である。


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