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メゾン・ド・俺たちに明日はない

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上記タイトルで20年以上前、ブログで幼少の頃からの脊髄小脳変性症やそれにまつわるエピソードをせっせと書いてました(現在は削除) 少し自虐的なタイトルですが映画『俺たちに明日はない… もっと読む
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記事一覧

あっそーれ♪ピッカピカの1年生♪EP.2

EP.1の続きです。 小学生時代を思い出してるとどうしてもこのメロディが頭の中に、 今ならわかるんですよね、あの6年間 集団生活を学ぶ必要な時間だったんだなって。 入学を機に海の近くから山の近くへお引越し、 新しく住んだ土地の風習や習わし?なんかもあってまんが日本昔話のような小学校時代の始まりでした。 亥の子(いのこ)さん?ごうりんさんだっけかな? 懐かしい記憶が湧いてきます。 探せばあるもんですね動画(笑) こちらは北条市の映像ですが歌も内容も全く同じことしてまし

すぐ靴先に穴が開くぼくちゃん。EP.1

記事を書くためにこの最近ずっと幼少の頃を考えてました。 5歳の頃だったかな? 確か一人称が『ぼくちゃん』だった気が笑 まあいいや 当時の自分の記憶としては、 ・トラックに引っかけられて空を飛ぶ ・病的に遠慮がち。何も受け取らない笑 ・とにかくすぐ靴先に穴が開く ってぐらいで。 細かいのは思い出してもキリがないしね。 母親は小料理屋(当時はお茶漬け屋って言ってたかな?)で帰宅は深夜、父親は長距離トラックの運転手でたま~に帰ってくる人って感じでした。 たまにイタズラしてシ

プロローグ

気づいたのは小学校上がる前だったそうです。 親が庭で遊んでる私を見ておかしい、足を引きずっていると 市内の町医者から紹介状を持って隣町の大きめの病院へ。 しばらくリハビリをしつつ家では足にギブスをつけてました。 中学生になり検査で異常が見つかり大学病院へ緊急入院。 子供には過酷で痛い約3ヶ月の検査入院の始まりでした。 最初は脊髄小脳変性症以外を疑われ長くは生きれないと 当時医者に言われたそう。 退院帰りのタクシーで聞いた親の 『あんた死ぬとこやったんやで?』 『ふー