高校野球昔話~1971年の番狂わせ〜

父の母校は富山工業高専(現富山高専本郷キャンパス、以下富山高専)です。そもそも高専がどういう学校かというと、文部科学省のHPによれば、

 高等専門学校は実践的・創造的技術者を養成することを目的とした高等教育機関です。
 全国に国公私立合わせて57校あり、全体で約6万人の学生が学んでいます。
文部科学省HP「高等専門学校(高専)について」より

全国の高専の野球部員は3年生までは高校球児としてプレーし、4年生や5年生は大学リーグでプレーするケースと、高専の大会に参加してプレーするケースがあります。そのような学校ですから、当然野球が盛んというわけでもなく、県の上位まで勝ち進んだことはないはずです。

※高専出身のプロ野球選手は元巨人の鬼屋敷正人(近大高専)と現阪神の石井大智(秋田高専)のみ。鬼屋敷は3年時にプロ入り。石井は高専を卒業後、独立リーグを経てプロ入り。

ところがその野球部が1971年の夏に"番狂わせ"を起こしたのです。富山県の高校野球を引っ張る存在といえば、富山商と高岡商。現在では高岡商が出場回数を伸ばしていますが、この2校による対戦は両商対決(富山県には商業高校を名乗る高校が二つしかない)と呼ばれ、さながら早慶戦のように扱われています。

さて1971年。父は当時富山高専の2年生でした。この年の富山商は突出した存在ではなかったようですが、4年前には甲子園でベスト8に入った高校です。富山高専はその富山商と初戦となる2回戦で対戦することになりました。すると、父を含む富山高専の学生たちは授業そっちのけで県営富山球場へ。当然と言うか、この行動は学校にはバレバレだったようですがなんと…

富山高専が富山商に勝利したのです(『富山県高校野球史 1988』によれば、スコアは15-9)。これを受けての校長の反応は、「(学生の行動を)不問に付す」でした。

ちなみに富山高専は次の3回戦で滑川に2-7で敗戦したものの健闘。しかも滑川はこの夏、ベスト4まで勝ち上がっていますから、その"番狂わせ"は必ずしも番狂わせではなかったのかもしれません。

父の若き日の記憶を手掛かりに資料を漁ってみましたが、こういった歴史の積み重ねで今の高校野球があるんだな、とつくづく思いますね。


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