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地味なお笑い好き人生 3

 意外と長くなっているこの記事ですが今回が最後になるかと思います。今回は最近の私のお笑いとの関係を考えてみようと思います。
 
 最近の私についてだが、実は今までよりもお笑いに詳しくなくなってしまった。いや、詳しくなくなったというより自分よりも詳しい人がたくさんいることを知って、自分の知識の浅さに気がついたというべきだろう。また、お笑いへの探求心が薄れてしまった。
 私はX(Twitter)を始めたのが大学生になってからと今どきの若者にしては大分遅めだった。自分で言うのもなんだが、私には馬鹿真面目な部分があり受験が終わるまでTwitterは入れないようにしていた。大学受験が終わり、Twitterを入れると様々なお笑い情報通たちがいることを知った。身の回りにあまりお笑い好きがいなかった私にとってこれは衝撃的な出来事だったのだ。自分が思っていたよりもこの国には本気のお笑い好きがこんなにもいるのか!と嬉しく思う反面、上には上がいるのかと自分の知識の浅さに少し寂しくなったのも事実だった。この気づきは私とお笑いの距離を少しづつ空けていった。

 最近の私は決まった芸人の番組しか見なくなってしまった。かつては、深夜のネタ番組をできる限り見たり、若手の活躍する番組を積極的に見ていた。しかし、最近は全くと言っていいほどそれらの番組を見る気が無くなってしまった。
 お笑いというのは常に真新しさが求められているように思う。また、「最近のお笑い」と一括りにするのは抵抗があるのだが、近年のお笑いは高度なものになっていると感じる。新しいお笑いが出てくるのはもちろん当然のことなのでこの流れは自然だろう。しかし、完全に私個人の意見だがお笑いは何も考えずに笑うためのエンタメだと思っている。私がお笑いを好きな理由としてはやはり疲れた時に何も考えずにとにかく笑ってリフレッシュできるからというのが一番にくる。
 色々と考えすぎて疲れた時に千鳥やかまいたち、ダイアンをテレビで見ると心から笑うことができる。彼らは今のお笑い界で圧倒的な人気をもつ方たちなだけあって絶対に面白い。小難しいことを考えなくても私たちに笑いをもたらしてくれる。
 ネタ番組や若手の番組は集中して見ないとなんとなく置いていかれる感覚になってしまった。ネタの分析や考察を無意識にしてしまうことに疲れてしまったのだ。大学でお笑いサークルに入っていた時期もあったのだが、それも周りの人たちがお笑いとは何かについて考えている演者としての意識が高すぎてついていけなくなってしまった。私はお笑いは大好きであることには変わりないが、分析したり作り手側になることはできないということを悟った。
 
 コンプライアンスが厳しい現代でも私は芸人のイジリや悪口、性格の悪いネタが大好きだ。もちろん一人ひとり感覚は異なるので様々な意見があると思うが、これ以上お笑い界は窮屈になってほしくない。お笑い界も世代交代が徐々になされている。私はいつまでお笑いについていけるのかわからないが、これからも自分の気の赴くままにお笑いを楽しんでいこうと思う。

 長くなりましたが、私のお笑い人生を振り返るとこんな感じです。文字にしてみることで自分の気づかなかった感情などに気が付けました。もし読んでくださった方がいましたらありがとうございました。


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