百貨店ストライキと、やなせたかし

ご覧いただきありがとうございます。
今日は、60年前の百貨店ストライキの現場に
やなせたかしさんがいたよ、というエッセイを書きました。
ストライキとは無縁そうですが、実際はどうだったのでしょうか。


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「大手百貨店のストライキは60年ぶり」

西武池袋本店ストライキの報道をみて、
もしかして…と気になった。


60年前にストライキをおこなった百貨店


60年前に行われたストライキが
三越で行われたものだとしたら、ちょうど
やなせたかしも働いていた頃だ。

最後にストライキが行われた百貨店はどこだろう。

その答えは、9月2日付けの新聞に出ていた。

「三越には、ストもございます」は、1951年に流行した言葉だという。
この年の暮れ、百貨店史上初のストライキを三越の労働組合が決行した。

2023年9月2日.朝日新聞.「天声人語」 

「三越のストには、やなせたかしもございます」


前回ストライキを行った大手百貨店は三越。

やなせたかしはちょうど社員として働いていて、
このときのことは自叙伝にも登場する。
「三越のストには、やなせたかしもございます」だったのだ。

当時、たかしは入社5年目。
日本橋三越本店の宣伝部でデザイナーとして働き、
穏やかなサラリーマン人生を続けるか、
退職してフリーランスになるかで悩んでいた。

その時、三越にストライキが起きた。
「三越にはストライキもあります」と新聞に書かれたのはこの時である。

やなせたかし(1995).『アンパンマンの遺書』.岩波書店

当時の人は、百貨店のストライキをどう受け止めたのだろう。

「三越には、ストもございます」
「三越にはストライキもあります」

文字だけだと、そこまでネガティブな印象は受けない。

 三越の場合は、会社も組合もまさかストライキはやらないだろうと甘くみているうちに、スト権が確立されて会社も組合も大いにあわてた。
 ぼくはどっちもいやだった。でも眼の前で起きたことはしっかりと見た。

やなせたかし(1995).『アンパンマンの遺書』.岩波書店

たかしはどれくらい、三越のストライキに関わっていたのか。
自叙伝の記述だけではわからないけれど、
当事者の描写からは、労働運動の独特な空気が伝わってくる。

ストライキの結果


結局このストライキは権力側の勝利だったが、傷はしばらく残った。正義はやはりアイマイで、どちらが正しいとはいいきれなかった。

やなせたかし(1995).『アンパンマンの遺書』.岩波書店

しばらく残ったという「傷」は、どんなものだったのだろう。

このストライキがきっかけとなり、たかしは三越を辞めた。
辞めたことで、アンパンマン誕生に一歩近づいた。

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西武池袋本店のストライキに思うこと


西武池袋本店のストライキの報道を観ながら、
そごうが経営破綻したときのことを思い出した。

20年以上前、多摩そごうというデパートで従業員が締め出されている、
という速報が流れた。
上空からの映像で、入り口にはたくさんの人が集まっていた。
みんな行ったり来たりしていた。

どれほどショックだっただろう。
会社が経営破綻を知らせなかったため、
いつも通りに従業員は出勤し、お客さんは買い物に来た。
インタビューに答えた人たちの呆然とした表情を、
今でも覚えている。

デパートに楽しい思い出がある人はたくさんいるだろう。
あまり買い物をしないのに勝手だけれど、
デパートの雇用は守られてほしい。
売却決定の報道を苦しい気持ちで見ている。

涼しくなったら、たかしの勤務先だった日本橋三越に行こう。
猪熊弦一郎画伯のデザインに、やなせたかしが「MITSUKOSHI」の文字をレタリングした夢のような包装紙「華ひらく」でなにを包んでもらおうか。

やはりデパートは必要だ。
そこに行くというだけで心が躍るのだから。

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今日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

やなせたかしさんの自叙伝は、
何度読んでもおもしろいです。


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