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ここどこー?目的地どこー?

新幹線に乗っているのか?!
というくらいの速さで日々が終わっていく。

朝起きて、社用パソコンを開き、研修を受けて、夜になる。
「なんとなくの日々」は、「何もしない日々」よりもずっと虚しくて早い。


3年弱付き合っていた彼女と別れた。

ここで彼女の話を全く書かなかったのは、その存在が大き過ぎたからだ。

もしも彼女との日常を書いていれば、ネタが尽きて1ヶ月も書けないなんてこともなかっただろうし、過去のエッセイたちがこんなにも暗いものにはならなかったかもしれない。

それでも頑なに書かなかったのは、「自分」の日々を書きたかったからだ。
自分の日常に入り込んでくる、つまりは自分と同化してくる他人の存在を、僕は恐れていた。いや、嫌がっていたと言った方が近いか。
そして、ここや自分の日記に彼女を書かないことで、自分と彼女との心の距離を保っていた。僕は、その距離を関係上必要なものだと思っていたし、僕自身自我を保っていくためには不可欠だった。


カップルってのは、相当に厄介な関係性だと思う。
友達とも家族とも違う、微妙で絶妙な距離感。それを維持していく為には相当なバランス感覚が必要になるんじゃなかろうか。
そのバランス感覚を無意識に備えている人もいれば、備えていない人もいる。
「頑張る」という言葉のもと、足をピクつかせながら手を広げて立っているような人は、いくら愛があってもダメだ。
人間は恒常的なストレスに耐えられるようにはできていない。

残念ながら僕は後者の人間だった。
長い綱渡りをしているような気持ちはいつまで経っても拭えなかった。


別れは急に告げた。
それ以外方法を思いつけなかった。

もちろん理由を聞かれた。とても。
僕は好きじゃなくなったから。と、それだけを答えた。嘘だけど。
気持ちを話したところで理解してもらえる見込みはない。
その理由は、何より他人同士だから。

好きだけど恋人という関係に疲れた。なんて言っても理解してもらえるわけがない。というか、それを理解してくれなさそうだから別れるのだ。でも嫌いになったわけじゃない。意味がわからない。自分でも。

それでも僕は限界だったから、別れを選んだ。


社会人になってから、「なんとなくの日々」を過ごしているけれど、好きな子を失った僕はこれから更に虚しさを加速させる。

時速300キロで走る新幹線の中、振り落とされる不安もなく、ただ座席に座って外の景気を眺めてる。現在地も目的地も知らないままで。


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