発言という自己紹介「観察しない人間は投影する」
まずタイトルだが、引用記事を貶めるものではない。この「女オタクの棲む暗い池について」という記事はむしろ大変参考になり、言語化できなかった考えを代弁してくれた、という感想を抱いた方もいるくらいだ。未読の方は是非読んでみてほしい。コメント欄での答え合わせに感動するだろう。
扱っている内容がややニッチであるので普段、アニメ、漫画、映画、ゲームなどの創作物とは縁遠い生活を送っている方には、実感の湧かない内容、と、思うなかれ。現代社会ではこの記事の内容と似た事象が政治、行政、芸能、企業広告、問わず様々な場面で発生している。そして特にフィクションと関わることの多い人間には少なからず身に覚えのある内容なので、私を含め多くの方々が高評価をしている。
何故引用記事を書こうと考えたのか
実は私も先の記事に対してコメントを残している。日付的にはかなり新しいのだが、それにしては多くの♡がついていたように思える。
そのコメントの内容に対して思うところのある方がそれなりに存在するのではないか、ということと、私のコメントが言及した相手の発言にも、改めて取り上げたい部分があることから、この記事を書こうと思った。
まずはそのコメントをご覧頂きたい。
これはハンドルネーム「K」さんのコメントに対して返信したものだ。経緯を説明すると、自身もクリエイターであるというKさんが、引用記事とそのコメント欄を読んだ上で、女性オタク界隈について言及していたところ、ハンドルネーム「オタクK」さんを含む複数の方々がそのコメントに言及し、いくらかやり取りをしていた。
私はその1月ほど後にそのやり取りを目撃し、Kさんの発言内容に対して「良くないなぁ」と思ってしまい、引用した上で返信してしまった。すると、コメントに対して♡がついたという通知が来るようになり、複数の通知が来たので元の記事を閲覧した。すると、確か120いくつかあったはずのコメントが110いくつかになっていたので、読み直してみたところ、Kさんが自身のコメントを削除していた。流石に私の返信は無関係だと思うが、少々大人気なかった気もする。その後のコメントなのだが、以下のコメントがついていた。
このハンドルネーム「wicat69」さんという方の発言が記事の投稿者である「さいたま」さんに向けられたものなのか、私に向けられたものなのか判断しかねたので特にコメントはしなかった。ただ、2度目のコメントを読んで、私に向けたものではないかとも思ったが(私がKさんのコメントに「事実誤認」だと返信しているため)。
実は、Kさんの発言にはまだまだ言及したい箇所があったのだが、文字数の関係で削ることになり、人様の記事のコメント欄に連投することは個人的には憚られたのでコメント2回分に収めた。
さいたまさんの記事には
とある。これはまさにその通りだと私も思う。さいたまさんはこれを性別透視(発言から匿名の相手の性別を予測すること)に利用している。これは観察の中でも高度なテクニックであり、もっと初歩的な応用法があるので、今回の記事で軽く説明しようと思う。
語彙や発想から予測できるもの
タイトルに書いた、
発言という自己紹介
「観察しない人間は投影する」
ということについてこれから書いていこうと思う。
Kさんの文章から読み取れるのは、彼女がとても主観的な人間である、ということだ。以下に彼女の言葉を引用しつつ解説していこう。
当初、彼女はさいたまさんの記事に賛同する姿勢を見せつつも、さいたまさんの指摘する内容(女性オタク特有の良くない性質)に対して寛容であることを求めていた。それに対する批判などもあり、コメントを削除してしまっているがオタクKさんに対する返信もあった。
以下【】にKさんの発言を引用していく。
【男性を結局女性の立場で敵に回しているように読めてしまったと思う。】
彼女の発言の根底にあるのは対立意識だ。彼女の世界観では男女は対立するものという認識なのだ。だから、性別を明かして発言する際に「女性が女性を擁護するような発言」をすれば、男性側からは敵視されても仕方がない、という認識をしている。ある種の党派争いを男女はしている、と考えており自身の発言の妥当性よりも、男女どちらの味方をしているか、という視点が重視されていることが分かる。そして、その視点を男性側にも投影してしまっているのだ。
つまり、彼女は女性が女性を擁護する発言をすれば、男性はそれを敵視すると考えている。
次の発言を見ていこう。
【このコメント欄には『ある程度知識・教養があり、ミソジニー(女性差別)は悪だと理性では理解しているものの、やはり女性に対する苦手意識がどうしても拭えない男性』が多い」という事実を鑑みて】
まず、何故「性差別は悪だ」と言えなかったのかが疑問だったが、それは難癖だろう、と一瞬思ったが、ご覧だろうか?
コメント欄の方々を「ある程度知識・教養があり」と評価しているのを。
例えば「あなたはある程度知識・教養がありますね」という言葉は一般的にどう認識されるだろう。
更に、「事実を鑑みて」だ。コメント欄を読めば分かるが、女性差別の話などしていないし、事実認定するには独自の世界観を持ち過ぎている。悪いことを悪いことだと指摘するのが差別だと言うのならこの世は悪人の天国だ。この発言から彼女の女性優位の世界観が伝わってくる上、現実よりも想像が先行した思考をしていることが分かる。
では次だ。
【女性はその共感能力の高さゆえに、少しの棘でも含まれて文章を投げつけられれば傷つくので、男性ほど相手に反論する文化が無い。】
返信でも書いたが、この文章を読んだ時に本当に驚いたのは
「共感能力ってそんなのだったっけ?」
ということだ。私の文にも棘があっただろうが、彼女の感覚は少々恐ろしく感じた。他者に寄り添わない共感とは何なのか?
より多く、より広く、他者に寄り添えるのが共感能力が高い人間だろう。
そして、この文が言いたいのは何だろうか?
そのまま逆にしてみれば、「男性は共感能力が低いから反論する」と言っているわけだが、
これは従来の共感の意味なのだろうか?
そうなると、男性は他人の気持ちが分からないから反論するとなるし、彼女の言う共感なら、男性は言葉の棘で傷つかないから反論できる、となる。
正直ここは分からない。ただ、少なくとも男性が反論する文化を好意的捉えていないことは確かだ。
次へ行こう。
【女性は自分の責任だと自身を責める感情の方が大きい傾向にある。】
これも逆に考えれば、「男性は女性よりも自分の責任だと自身を責めない」と主張しているわけである。彼女の世界観では女性の方が責任感もあり、自罰的かつ自責思考なのだ。社会生活をしていてそう感じるのは難しいのではないかと思うが。
次だ。
【オタクKさんの「ここのノートと併せて女性オタクの性質をよく理解出来た」というコメントにハートが多くついているということは、私の文章を読んだ方に不快感やストレスを与えてしまった】
そう、この発言は非常に重要だ。私は彼女の発言を全て読んだ。彼女の言う不快感やストレスとは何だろうか。彼女は投稿者のさいたまさんに賛同する形でコメントを始めた。
ただ、
徐々に女性優位の思想が随所に溢れ出し、それを読んだ男性が不快に感じてストレスを感じた
と言いたいのだろうか。
それとも、
女性オタクの悪癖についての記事に賛同しつつ男性差別的なコメントをしていたことを自覚していた
のだろうか。
それとも、
自身に対する返信などを攻撃と捉えて、対立している意識があったから、オタクKさんに♡をつけた方々を敵対者と捉えた
のだろうか。
いずれにせよ、この発想の根底にあるのは、
「私に反感を持つ者は、私と対立している意見や人物に賛成するだろう」
という認識だ。
最後の発言だ。
【私が生物学的に「女性」である限り、コメント欄の皆さんから信頼は得られない可能性も充分に配慮している。】
濁した書き方をしているが、コメント欄の方々を男性と断定し、
自らが女性だから、信頼を得られない
と主張している。
お分かりだろうか?
「コメント欄の男性が女性差別をしてくることくらい分かってます」
と言いたいのだろう。彼女の中には
「自分の意見が拙いから軽んじられる」
という発想は無く、
「自分の意見が軽んじられるのは男性が女性を差別するからだ」
という発想があるのだ。
分析してみる
Kさんは、文の内容から察するに、客観的な視点をもっておらず、主観的な思い込みを事実として自己完結するタイプだ。
また、自身を賢いと考えている。でなければ複数人の他人に対して、
「ある程度知識・教養があり」
などとは言えない。そして、
「理性では理解しているものの」
だ。この発言はどうだろうか?
このような偏見や実情に見合わない差別感情は捨てた方が良い。自身を不幸にするだけだ。
彼女が全てのコメントを削除してしまったのは残念だと思うし、多くの方々とやり取りした発言を削除するのは如何なものか、とも思う。他の方が投稿した、かなり下劣かつ攻撃的なコメントは残っているので、彼女のコメントは消されたわけではないだろう。
彼女の発言から考えて、他人の考えを語彙や発想から読み取る能力は育っていないと判断できる。
先程取り上げた発言を見れば分かるが、
彼女は、
自分だったらこう思う
という考え方を、そのまま相手に投影してしまっている。これは自他の境界が曖昧かつ視野狭窄であるからだ。
だから彼女の発言には客観性がなく、彼女の世界観における現実が事実として発言に現れている。
だからこそ、彼女が相手に投影した考えは彼女の考えそのものか、彼女の男性差別思想に基づいた事実の伴わない偏見となる。
そのまま彼女の発言を裏返すと、1つ目の引用は、
「私にとって女性批判は女性に対する攻撃で、女性を敵に回すもの」
2つ目、3つ目、4つ目はそのままなので裏返す必要はない。
5つ目
「私は気に入らない相手と対立する意見を高評価する」
6つ目
「私は相手が男性なら信頼しない」
彼女は文章で自分の在り方を吐露してしまったのだ。
客観性のない人間は自身の発想を相手に投影してしまうことで、自己紹介をすることになってしまう。
ネットによくいるやばい人
ここからはKさんの発言ではない。ネットどころか現実にも無視できない割合で存在する、やばい人について話そう。ここで話す理由は、当然関係あるからだ。
例えば、
ある事柄について問題視している人がいたらどう思うか?
まずは詳しく話を聞くことが重要だが、私は非常に恐ろしい反応を見たことがある。それも頻繁に。難しいことではないのでそのまま書こう。
「よっぽど嫌な目に遭ったんだね」
はっきり言おう。この考え方はかなりまずい。
何がまずいか?ここまで読んだ方ならお分かりだろう。これは自己紹介だ。
つまり、
「私は自分が嫌な目に遭ってからしか、問題を問題だと思えません」
現実はもう少しマシかもしれない。自分や近しい人が、かもしれないからだ。
この考え方には根本的に自分さえ良ければそれで良い、という自然な意識がある。こういったタイプは共感能力が低く、攻撃性が高い場合が多い。
また、相手の言動ではなく、相手そのものを攻撃する傾向がある。よく見ていると分かる。
「お前の意見は◯◯という理由でダメだ」
「お前の意見では△△という問題が解決できないじゃないか」
「お前の意見では□□という問題が新しく生まれるじゃないか」
こういった意見は攻撃ではない。この意見が公平な意見ではないにしても、議論という範囲で許される。
だが、
「◯◯ごときが口を開くな」
「◯◯のくせに意見するなんて身の程知らず」
このような意見は攻撃だ。相手の意見は否定しても存在は否定してはいけない。本来議論は広くおこうべきだが、こういったことしか言えない人間は議論の場から排除する必要がある。
一応言っておくが、
議論の結果に責任のある人間のみが議論に参加するべきだ。誰でも参加するべきとは思わない。むしろ結果に責任を負わない者が参加することこそ、結果に責任を負う者に対する差別だ。
とまあ、最後の方はとっ散らかってしまったが、他人と関わる時は、
「自分だったらどう思うか」
と同時に、相手の言動を偏見なく観察して、
「この人ならどう思うか」
も考えられるようになると、視野が広がり、社会生活でも応用できる。これは人間関係を優位に築くためのテクニックではなく、社会に生きる者として他者との交流を、双方にとって豊かなものとするために利用できれば良いと思う。だが、ついていけないものは、見捨てるのではなく、置いて少し先へ行く、くらいの厳しさも社会には必要だと思う。
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