実セ判定の難しさについて「実質セックスとは?」1
はじめに
この記事を開いたということは実セの意味自体はご存知だと思う。だが、念のため簡単に説明しておこう。
実セとは実質セックスの略である。
では実質セックスとは何か?
「実質的にセックスを行なっているに等しいと考えて差し支えない行為あるいは状況、関係」
を意味する言葉である。
定義付けてみると、なにやら理解できるような気もしてくるのだが、この基準には問題がある。それは通常のセックスは紛れもなく生物としての交合であるのに対して、実質セックス(実セ)は直接的な交合以外を指すことだ。
つまり、判断基準に個人の主観が入りやすくなるのだ。
よって人により下記のごとく基準が異なる。
・前戯のような行為
・手を繋いだだけ、指が触れただけ
・精神的な絆
・位置関係(物理的な意味で)
だからこそ実セ判定委員会の逸早い発足が望まれている。
ここで私の脳裏にある小説が想起された。以下に引用する。
少々長いが江戸時代の文なので、かなり読みやすい。是非読んでみてほしい。
自力で読める方は「判定基準」の項まで飛ばして問題ない。読めないかたは「解説」をご覧いただきたい。
とまあ、南総里見八犬伝を引用したわけだが、何故これを引用したかと言えば、この引用箇所に実質セックスの判定に関する大きなヒントがあるからだ。
南総里見八犬伝にみる実質セックス
解説
読むのが面倒な方もいると思うので簡単に現代語訳をしながら解説していこう。
南総里見八犬伝は八犬士と呼ばれる8人が主人公が活躍する伝奇小説なのだが、その八犬士の出生(といっても生まれ自体は普通に父母から)には伏姫という女性と八房という犬が関係している。もちろん獣姦ではない。
そもそもの成り行きはこうだ。
伏姫の父親と八房の前身である玉梓には因縁があり、玉梓は伏姫の父親を呪いながら死亡した。そんな玉梓と縁のある犬がまともな犬であるはずもなく、伏姫の父親が窮地に陥った際に「敵将の首を獲ってきたら娘をやる」という言葉を聞き、本当に実行してしまう。
誤解してほしくはないのだが、八房が褒美になかなか納得しないので冗談まじりに伏姫を提示したのだ。当然娘のことは大事に思っている。
そして、約束は約束。どうしても八房に伏姫を与えなくてはならなくなってしまう。
その際に、八房を殺すことも考えるのだが、やはり約束を違えることはできずに伏姫を与える。
この後、伏姫と八房は共に父親の元を離れるのだが、その時伏姫は八房に「私を犯そうというならお前を殺して私も死ぬ。しかし、私への欲を断つなら共にいられる」と迫り、八房も渋々納得する。(かなり端折っているので気になるようなら原文を読むことをお勧めする。)
では、引用箇所に話を戻そうか。
身体の不調を医者の助手である童子に相談した伏姫に対して童子は、
「医者に聞くまでもなく妊娠やろ。」
と答える。
だが伏姫は、
「夫もいないし、誰にも会ってないし、読経しかしてない。妊娠するわけがない。」
と、言い返す。
そこに童子は、
「いや、夫おるやん?親の許可もらっとるし、八房はなんなん?」
とネット民のような返し方をする。
伏姫は怒って、
「確かに親の許可もあるし、一緒にいるけど、お経の力もあって私の身は汚れてないし、今では八房もお経を喜んでいる。証拠は示せなくとも私の身は清いまま。神様は知ってる。こんな悔しい思いをするなんて、あなたに相談しなければ良かった。」
と、涙ぐんでしまう。
ここで童子がますますニヤニヤする。(そういうところがネット民ぽい)
ここから童子が蘊蓄を披露する。
中国や日本の古い話にある、尋常ではない出生譚を。
そして、伏姫と八房のことにも言及する。
「確かに、あんたら直接はヤっとらんわ。八房も今は欲ないし。せやけど、あんたは八房を夫として山ん中来とるし、八房もあんたのこと妻や思っとる。八房もあんたが好きやからお経を聞いて喜んだわけやし、あんたも八房のこと思いやっとるやろ。妻と夫がお互いに思い合っとるわけやし、そんなん実質セックスやん。子供できるわ」
と、実セ判定する。
判定基準
この童子はどうみても実セ判定をしており、実セ判定委員会の一員なのではないかと考えられる。(実際に「実セ!実セ!」と囃し立てているようにみえなくもない)
それでは童子が示してくれた条件を見ていこう。
1、直接の交合(セックス)がない。
2、お互いに夫婦(つがい)だと認めている。
3、お互いに強い気持ちで思い合っている。
4、妊娠している。(或いは何か生んだ)
以上が伏姫と八房の場合の条件である。
細かく言えば、
八房は、元々は伏姫に対して欲を向けていたわけであるし、
伏姫は、八房に対して「私がこんな畜生の妻になるなんて、、、」
と思っていた。
だから、↑の状況も基準に盛り込むかどうかは悩みどころなのだ。
そうなると3の基準に、
「一方が一方を欲しがっていたが、それを克服して欲を超越していること」「最初は嫌だったが、今はそうでもない」も含まねばならないが、これは少々判定基準が厳しくなりすぎる気もする。採用は見送りたい。
よって、1〜4の条件をもって「伏姫基準」としたい。
一文で表すなら、「まがりなりにもお互いを夫婦と認める者同士が、強く思い合って、直接的な交わりを無しに子を成す」ということだ。
さらに簡単に言うなら、「精神的な繋がりによって子を成す」だが、これだと細かい前提が変わってしまう気もする。
前者を実質セックスの「伏姫基準」としたい。
しかし奇しくもこの基準は冒頭で語った、
「精神的な絆」
に通ずるものがある。だとすると、その他の基準にも考察の余地があるように思える。
勿論、前戯や手を繋ぐ行為まで実質セックスにするのは流石に度が過ぎている。
これでは判定基準がガバガバすぎる。
やはり、妊娠あるいは何かを生むことが必要なのだ。
それならば誰の目にも明らかであるし、実際の交合がなくとも、あったとみなすことができる。
その際問題となるのは想像妊娠だ。一見、伏姫基準に当てはまるようにも見えるが、よく考えれば何も生まれていない。何も生まれないのであれば実セとは言い難いであろう。
精神的な絆にこだわりすぎると「エモいシーンの羅列」になってしまうので、これにも注意が必要だ。
次に問題なのは位置関係であるが。
見方によっては蝕でさえもセックスとなってしまう。
例えば日蝕や月蝕だが、これらは位置関係によって完全に交わっており、何か生まれている気がしないでもない。
そもそも、太陽と太陰であるのだから、陰陽の交わりであり、太極が生まれている。
蝕とはセックスでは?
と、考えてしまう部分もあるが、これを認めてしまえば物理現象までセックスになってしまうので却下したい。化学反応に核融合、超新星爆発、変形合体まで含まれてしまう。
あくまで、意志を持った存在でなければならないだろう。勿論概念もダメだ。思想なども統合されるがセックスではない。
ガイア理論?擬人化?弁証法?
これ以上はただのカプ厨でしかない。
また、同性の場合も含む可能性があるが、まず百合しか含まないだろう。
その理由はBLの有害図書認定の理由を考えれば自明だ。
あくまで「実質」であることが大事である。
結び
尋常の方法以外での出生には実セがつきものであるが、そういった話は古今東西に数多にあり、実セなのかそうでないのかが曖昧である。
今後、そういった話を収集し分析していきたいと思う。恐らく多くは異類婚姻譚になるだろうが、その過程で伏姫基準とはまた別の判定基準が見出せるかもしれない。長い道のりになると思うので興味のある方だけついてきてほしい。
続き
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