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好奇心と課題解決と

昨日、ある人と話をしていて改めて自分自身のことを色々考えた。

自分の仕事とか何に興味があるかという話になった時に不意に「カオスな状態が好きなんですよねー」という話になり、後々冷静になって考えると「カオスな状態」ってなんだ??と思い始めた。

カオスとは、、、

カオス(古希: Χάος, Chaos)とは、ギリシア神話に登場する原初神である。「大口を開けた」「空(から)の空間」の意[1]。オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する無限を象徴しているという。
                           (wikipediaより)
宇宙 (コスモス) が生成する以前の原古に存在したとされる混沌の状態をさすギリシア語。
               (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典) 
ギリシャ人の考えた、宇宙発生以前のすべてが混沌(こんとん)としている状態。混沌。無秩序。ケーオス。⇔コスモス。
                          (デジタル大辞泉)

という状況だと。

で、改めてなんでこの状況を好んでいるのか。。
そんななか今の自分の仕事でも「課題発見」と「課題解決」というワードがホットでぼーっと考えてた時にふと気づいた。

もしかして自分は「カオスな状況が好き」というよりも、カオスな状況において何かしらの発見(課題発見)をしてそれによりカオスな状況を収束させていく(課題解決)というプロセスを踏んだ時にアドレナリンが出ているのではないかと。

そのため頭の良い人たちが見つけた「課題」をただ解決する、ある意味言われたことを実行だけすることに興味は湧かず、「課題を発見して」かつ「解決していく」両方のプロセスを踏むことに意義を感じてると気づいた。

で、そうするとなんでそういう状況を好むのかというのを色々思い返してみても思い当たるフシが無いわけではないが、少なからず大学で物理を学んでいたことも関係するかもしれないし、はたまた子供の頃から不思議なこと(いわゆるムー的なUFOとか幽霊とか古代文明とか)が好きだったというのも関係しているのかもしれない。

誰も答えを見つけていないことに対して、自分で答えを見つけようとする思考(妄想?)を子供の頃から意識しないまでも自然とし続けてきたからなのかもしれない。
そういう意味では今も意外と子供心の好奇心は残っているのかなーとも思った。

そうすると自分の子供に対しても接し方が変わって来る気がしていて、このご時世google先生に聞けば大抵のことは教えてくれるけど、すぐにgoogle先生に頼るのではなく図書館行ったり人に聞いたりアナログな方法で自ら答えを探すというプロセスを学ばせるのが良いのかなーとも思った次第。

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